70話 その先へ ~私が立ち上がる理由3~
心臓がひどく脈打ち、耳元でうるさい。
……どうしよう。父さんから、どう報告したかは聞いてない。
口を開けずにいる時間が、やけに長く感じられた。
……嘘はだめ。ここで誤魔化したら……周りを巻き込んじゃう。
私はぐっと拳を握り、正面から所長の瞳を見返した。
「はい……」
声は震えていた。
けれど、隠すことはしなかった。
所長の瞳がじっと私を見据えた。
「……魔法を使えるな?」
鋭い問いに喉が詰まった。
返す言葉が出ない。
……答えられない。
所長は間を置かず続ける。
「ライアットが魔法を使えるのは知っている。傭兵として戦場を渡り歩いた者だ。実績もある。平民の中にも、まれに魔法を扱える者がいることは承知している……」
机の上に組んだ指が、わずかに動いた。
「教えたのはライアットだな?」
胸の奥で迷いが渦巻く。
……所長は父さんが魔法を使えることを知っている。きっと、誤魔化したら……もっと厄介になる。
ここで嘘をついても、きっと意味はない。
強く唇を噛み、視線を逸らさずに告げた。
「……はい。父さんに、教わりました」
短い沈黙のあと、所長の口元がわずかに緩む。
「素直でよろしい」
低い声だったが、不思議と冷たさは感じなかった。
「私が渡した首飾りは持っているか?」
「えっ……? あ、はい。持ってます」
急な問いかけに戸惑いながらも、私は胸元からそっと取り出した。
「見せなさい」
言われるまま、机の上に置く。
所長はそれを手に取り、静かに観察した。
赤水晶のような石を透かして、指先で軽くなぞる。
「これは、空気中に漂う魔素を吸収して蓄積できる物だ」
「ん……?」
「つまり、魔力を蓄える機能がある。渡してからそれなりに経つが……溜まっている量が随分と少ない。アゼレアの魔法を防いだとしても、減りが大きいな」
その淡々とした声に背筋が冷たくなる。
……これが防いでくれたんだ。
だが、減りが激しいとはどういうことだろう。
思い当たるのは、身体強化とあの一撃のみ。
……でも、あれは。
「それは……わ、私が……身体強化をずっと使っていたからだと……」
所長は、見透かしたような目で私を見た。
「身体強化は魔力をほとんど使わない。習わなかったか?」
「……習いました」
「では、この減り方の証明にはならん」
「……っ」
自分でも説明できなかった。
所長は静かに首飾りを机に置き、私の目をまっすぐに射抜いた。
目を逸らすことさえ許されないような重圧に、握った掌に汗が滲む。
「では、エステラ。魔物の後ろ足を吹き飛ばした魔法……あれは、どうやって放った?」
「……自分でも、わからないんです」
声が震える。
けれど、嘘はつけなかった。
所長は椅子の背に深く身を預け、指を組んで静かに問う。
「どういう状況だったのか、説明してみなさい」
「あのとき、魔物の動きを止めようと必死で……身体強化を全開にして……それを矢に込めたつもりでした。でも、放ったのは――」
瞼の裏に、あの灼熱の閃光が蘇る。
「魔法のような一撃でした」
「つまり、自分でもわからないということか?」
「……はい」
短い返事に所長は小さく息を吐いた。
「制御できない魔法ほど危険なものはない。君の一撃は……下手をすれば、上級貴族に匹敵するほどの威力だ」
「――っ!?」
耳を疑った。
思わず椅子の肘掛けを掴み、前のめりになった。
……わ、私が……上級貴族に……?
所長は眉ひとつ動かさず、冷ややかに続けた。
「力は可能性だ。しかし、制御できなければ恐怖でしかない」
胸の奥が熱く痛み、気づけば拳を強く握りすぎて、爪が手に食い込んでいた。
……私なんかが、そんな力を?
「それじゃ……暴発したら……」
目を伏せた私に、所長の声が落ちた。
「ならば学べ」
はっと顔を上げる。
紫の瞳が揺るがぬまま、真っ直ぐに私を見ていた。
「それって……?」
「困惑するのも無理はない。平民が魔法を学ぶなど、常識外れだからな」
淡々と告げる声に自然と眉が寄る。
所長が何を考えているか、私には少しも読めなかった。
「エステラ。平民と貴族の違いはなんだ?」
「……魔力の、有無……ですか? あとは家柄とか」
所長が軽く頷く。
「そうだ。だが私は君に貴族になれと言っているのではない。その可能性を捨てるべきではない、と告げているだけだ」
所長はわずかに視線を伏せ、次に私を見上げる時には瞳の奥に冷たい光を宿していた。
「君の妹は――法を曲げた。いや、叩き折ったと言った方が正しい」
「ルルが……」
胸が震える。
信じられないけれど、どこか納得してしまう。
ルルーナなら……と。
所長は静かに頷き、口調をわずかに和らげた。
「時間のある時でいい。ジークから学びなさい」




