69話 自分にできること ~炎の道標2~
轟音と共に巨体が地に崩れ落ち、森に重い沈黙が訪れる。
沈黙が戻った森の中。
ライアットは剣を払って血を振り落とすと、耳を澄ませた。
「……他に気配はねぇな」
低く呟きながらも、視線は周囲を鋭く走らせている。
私も矢を番えたまま、枝の上から息を殺した。
やがてライアットが手を上げ、ゆっくりと合図する。
「……よし、警戒を解け。ただし、完全には気を抜くな」
私も枝から飛び降り、息を整える。
目の前には、頭を砕かれた化け物の巨体が転がっていた。
まだ生々しい腐臭が鼻を刺し、喉の奥が軋む。
「こ、こいつ……いったい何なの?」
恐怖に震える声で問うと、ライアットは低く唸り、死骸に近寄った。
腹部の裂け方や脚の筋肉の形を確認し、やがて重く口を開いた。
「元はタルタニだろうな……」
「えっ!?」
ライアットの告げた答えに、耳を疑った。
タルタニ――牛に似た大柄の魔獣。
頭に咲く花を抜かなければ従順で、家畜として飼育されることすらある温和な存在。
……あれが、こんな化け物に?
「タ、タルタニなの!? 信じられない……」
私が息を呑むと、ライアットは短く答えた。
「まぁ、調べりゃわかるさ。痕跡は残ってる」
その声音は静かだが、瞳の奥には鋭い光が宿っていた。
ライアットは死骸から目を離し、洞穴の暗がりを睨む。
「まだ気を抜くな。中に何があるか……これからだ」
背筋を正し、私も矢を握り直した。
戦いは、まだ終わっていない。
再び洞穴に一歩踏み入れる。
奥へ進むほど、先程の戦闘で嗅いだ臭いよりも、もっと濃く、もっと重い。
「うっ……ひどい臭い……」
息を抑えながら進むと、目に飛び込んできたのは無残に崩れた死骸だった。
人のものと思しき骨と肉片。
獣の死骸も混じり合い、床に散乱している。
奥に据えられた粗末な机の上には、紙片が無造作に置かれていた。
しかし、体液にまみれて文字は滲み、判別がつかない。
「……何かを、ここでやっていたのは確かだな」
ライアットが呟き、周囲を見渡す。
そして、死骸となった巨体に視線を戻す。
「タルタニなら従順だ。ここまで連れてくるのも容易かったはずだ」
その声は冷たく、確信めいていた。
「そ、それじゃ……」
問いかけに、ライアットは短く頷いた。
「獣は魔素を溜め込めば魔獣になる。さらに濃く溜め込めば魔物に変わる……だが、それは普通なら濃い魔素地帯でしか起きん」
「でも、ここは……結界の中だよ?」
「そうだ」
険しい顔で死骸を見下ろすライアットの声が、洞穴に低く響いた。
「つまり――人為的に、魔物に仕立てようとした奴がいたってことだ。その結果、食われた……で、残ったのがあいつ、魔物化したタルタニだ」
全身に冷たいものが走る。
……人為的に魔物を……? そんなことが本当に。
ライアットは踵を返し、洞穴の外を指した。
「……とりあえず帰るぞ。これは騎士団に報告しなきゃならん案件だ」
私は黙って頷き、出口の光を見つめた。
父の背中に続きながら、胸の奥で重くのしかかるものを振り払えずにいた。
洞穴を出ると、冷たい外気が肺に流れ込み、思わず大きく息を吐いた。
腐臭に染まった空気が少しずつ和らぎ、張り詰めていた心もようやく緩む。
振り返れば、暗がりの奥に転がるもう一体のタルタニの死骸。
誰かが人為的に変容させた。
その目的も、犯人も分からない。
けれどそれは、私が首を突っ込んでいい領域じゃない。
ライアットの言う通り、騎士団へ報告すべき案件だ。
ただ、もう一つ。
あの最後の一矢。
明らかに身体強化とは違う力が宿っていた。
灼熱の光となって放たれ、分厚い皮膚をものともせず、後ろ脚を吹き飛ばした一撃。
なのに、身体への負担はさほどでもなかった。
なぜ撃てたのか、どうして可能だったのか。
まるで見当もつかない。
けれどその炎の熱は、確かに私の中にまだ残っている気がした。
謎は深まるばかり。
けれど今日の経験は、きっと自分の糧になる。
ルルーナを守れる力に、必ず繋げてみせる。
そう胸に誓いながら、私はライアットの背を追って歩き出した。
ふと空を見上げれば、木々の間に差し込む春の光が、雪解けの森を静かに照らしていた。




