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68話  自分にできること ~守るために3~



 気圧(けお)されそうになるのを必死に堪え、言葉を返す。


「……行く」


 ライアットの瞳が鋭く光る。

 試すように、もう一度問いかけられる。


「恐れずに言うか。いいか、これは遊びでも鍛錬でもない。本物の死地に足を踏み入れることになるぞ」


 喉が乾く。

 けれど、視線を逸らさずに答えた。


「……それでも、行きます」


 一瞬だけ、ライアットの目が細められた。

 次に口を開いたとき、その声音は父親ではなく、隊を率いる者だった。


「……ここからは上司と部下だ。余計な口を挟むな。俺の指示に従え」


 鋼のような言葉が胸に重く響く。

 私は大きく息を吸い込み、しっかりと頷いた。


「はい!」


 返事をした途端、ライアットの顔から迷いが消え、戦士の気配が満ちる。

 私は剣の柄を握り直し、その背中を追う覚悟を固めた。



 ◇ ◆ ◇



 森の中は、雪解け水の滴る音だけが響いていた。

 鳥のさえずりもなく、枝葉を揺らす風すら感じない。

 その静けさは、かえって不気味だった。


 ライアットは一歩ごとに地面を確かめるように進む。

 目を凝らし、耳を澄まし、鼻で空気を嗅ぎながら痕跡を拾っていく。


 時折屈みこんでは、泥に刻まれた爪痕や、枝に付着した黒ずんだ毛を指先でなぞった。


 ……こんな細かいものまで。

 

 ライアットの背中に食らいつきながら、改めてその技量に息を呑む。


 ドクン、ドクンと心臓が耳元でうるさい。

 私は、落ち葉を踏むことすら躊躇する緊張に包まれていた。


 それでも、必死にライアットの足取りを追う。


「……ここだな」


 ライアットが立ち止まった。

 その視線の先、雪解けで開けた地面に黒い塊が横たわっている。


 近づくと、やはり獣の死骸だった。

 皮膚は所々裂け、口元には泡のように血が固まった跡。

 体毛はまだらに黒く変色し、鼻をつく異臭を放っていた。


 吐き気をぐっと堪える。

 けれど視線を逸らさず、目に焼きつけた。


 死骸の先――木立の間に口を開いた暗い影がある。

 岩肌に穿たれた洞穴。

 ここからでも、奥は暗くて見えない。


 私は思わず、ごくりと唾を飲んだ。


「エステラ、周囲を警戒しろ」


 ライアットの短い指示に「はい」と返事をして、剣を抜く。


 私は息を潜め、洞穴の周辺に目を配る。

 森はしんと静まり返っていて、風に枝が軋む音さえ不気味に聞こえた。


 その間に、ライアットは獣の死骸へと近づいていく。

 膝をつき、腹部を裂かれた傷口に手をかざした。


「……食いちぎられた痕だな。だが、噛み跡の幅が大きすぎる」


 血に濡れた毛皮をめくり、顎の大きさを確かめる。

 そして断言した。


「狼じゃない。ウルフイーターでも、この大きさにはならん」


 ぞくりと背筋が冷える。

 なら、この獣を死に至らしめたのは……。


 ライアットはさらに血の跡を辿るように指を走らせ、洞穴の方へと視線を向けた。


 入り口から奥へ――赤黒いしみが続いている。


「……やはり、中だな」


 そう言って立ち上がると、ライアットは振り返り、真っ直ぐに私を見た。


「エステラ……覚悟はいいか」


 鼓動が速くなる。

 喉がからからに乾いていく。

 それでも、唇をきゅっと結び、強く頷く。


「……はい」


 ライアットもわずかに口元を引き締め、頷いた。


「行くぞ」


 その声に続き、私たちは洞穴へと足を踏み入れた。





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