67話 笑い声 ~ようやく笑えた温かな場所3~
頭を悩ませた翌朝。
ロエナとともに執務室へ向かうと、机に腰を下ろしたアゼレアにマテオの姿もあった。
机の上には、すでにマテオの報告書が整然と並んでいた。
マテオは席を立つと、深く一礼する。
「孤児たちの受け入れは順調のようですね」
「ええ……そうなんだけど」
昨夜の安堵した子供たちの寝顔を思い出しながら、わたしは言葉を濁した。
そんなわたしの様子に「問題が?」と、マテオが首を傾げる。
「保護しただけじゃ意味がないと思うの。生きていくための力を身につけてほしいって思って。でも、誰が教えるのか……」
誰か思い当たる相手はいるだろうか。
わたしの言葉にマテオはしばし考え込み、やがて口を開いた。
「受けてくれるかはわかりませんが……フェルトに頼んでみてはどうでしょう」
「フェルト?」
「部下を説得した際に居た、あの時のご老です」
……あぁ~、あのお爺さん。
「政務からは身を引いていますが、学識は健在です。子供たちに読み書きを教えるくらいなら――」
マテオの言葉をアゼレアが低く遮った。
「フェルトは、もう年だ……他をあたった方がいいのではないか?」
妙に固い声音。
わたしはその横顔を見上げ、少し考え込む。
「でも、話してみるだけでも……」
食い下がると、アゼレアは目を伏せ、渋々と頷いた。
「……好きにしろ」
◇ ◆ ◇
昼過ぎ、わたしたちはフェルトの家を訪れた。
使用人に案内され扉を開くと、中から聞き覚えのある声が返る。
「おや、代理殿に……姫様。お久しゅうございますな」
「……爺も元気そうでなによりだ」
隣で淡々と応じるアゼレア。
その言葉に、わたしは一度ならず、二度もぱちり、ぱちりと瞬きをした。
「……えっ? 爺? アゼレアのお爺ちゃん?」
フェルトは頬を緩め、懐かしむように笑う。
「ええ。小さい頃から家庭教師をしておりましたので――」
「その話はよい。それに祖父でもない!」
アゼレアが慌てたように遮った。
わたしは、吹き出しそうになるのを必死に堪える。
……アゼレアにも苦手な人がいるんだ。
フェルトは静かに椅子へ腰を下ろし、白い髭を撫でながら言った。
「しかしな……儂ももう歳じゃ。体も思うようには動かん。政務など到底無理じゃぞ」
「政務ではありません」
わたしはすぐに首を横に振った。
「お願いしたいのは、文字の読み書きと計算を教えることです。孤児たちに、生きるための力を身につけてほしいんです」
フェルトは眉をひそめ、ちらりとアゼレアを見やる。
「ほぉ……そのようなことを。いつぞやの姫様の案ですかな?」
「……いいや」
アゼレアが言い返す。
「こいつがそう決めただけだ」
フェルトは小さく頷くと、わたしに向き直る。
わたしは深く息を吸い、フェルトをまっすぐに見つめた。
「わたし、わかってるんです。食べ物や寝床を与えるだけじゃ、また同じことの繰り返しになる。でも、文字や計算ができれば、自分で働いて、お金を稼いで、生きていけるようになる。だから……どうしても、あなたの力が必要なんです」
フェルトは目を細め、しばらく黙り込んだ。
その目は、わたしの考えを見極めようとしているように見える。
わたしは続ける。
かつて所長から学び、そして、自分で考えたこと。
フェルトを説得するため、言葉を紡ぐ。
「教育を受けていない子供たちは……いずれ、生活に苦しみ、犯罪に手を出してしまうと思うんです。でも、本当に悪い者たちが狙っているのは……そういう子供たち。結局、犯罪に利用され、いいように捨てられる……だから――」
言葉を聞き終える前に、フェルトは大きなため息をつき、頬を掻いた。
「……まったく、年寄りを使い倒そうというのか。どこまで姫様に似とるんじゃ」
言葉は愚痴のように聞こえるのに、フェルトの声音はどこか嬉しそうだった。
「じゃあ――っ!」
「うむ。子供らに字と数を教えるくらいなら、まだできよう」
その言葉に、胸の奥がぱっと明るくなる。
ぐっと身を乗り出したわたしに、フェルトは苦笑を浮かべた。
「ただし、あの頃と変わらず厳しいぞ? よいのか? 泣いて逃げ出す子が出ても知らんからな」
わたしは力強く頷くと、隣でアゼレアがわずかに顔をしかめた。
「……それは、保証しよう」
……やっぱりアゼレア、爺が苦手なんだ。
しかめっ面のアゼレアを見て、わたしは小さく笑ってしまった。




