67話 笑い声 ~ようやく笑えた温かな場所1~
会議が終わってから数日。
机の上に積まれていた書類の山も、終わりが徐々に見えてきた。
それにしても、元メネズ派の政務官たちに良心が残っていて助かった。
彼らを取り込めるか、それとも反発で政務が崩れるか。
あれは、一種の賭けのようなものだった。
仮に上手くいかなかったとしても、あのアゼレアのことだ、別の案があったのかもしれない。
けれど、農業改革に向けて彼らが動き始めたのを見れば、間違ってはいなかったと思える。
新しい収入源の目途も立った。
だからこそ、次にやるべきことは決まっている。
「……孤児を迎える準備をしよう」
呟いた声に、アゼレアとマテオが頷いた。
政務の舵取りは、この二人に任せられる。
農業改革は、元メネズ派の政務官たちが動いてくれる。
ならば、わたしにできること――わたしがやらなければならないことはひとつ。
◇ ◆ ◇
翌朝。
執務室で、わたしはマテオを呼び寄せた。
「マテオ、レント商会に依頼を。布と服、それから洗濯板と……ぬか石鹸もお願いします」
「レント商会……ですか?」
レント商会の名前は、まだまだ有名ではないらしい。
「ええ、サンドレアムに店を構える商会です。そこの洗濯板という商品と、ぬか石鹸は評判なんですよ」
わたしは得意げに答えた。
「わかりました。名目は孤児たちのためですね?」
すぐに意図を汲んで、マテオが頷く。
彼は手際よく控えに書きつけながら、口元に小さな笑みを浮かべた。
「承知しました。こういう手配なら、商会もすぐに応じてくれるでしょう」
「ありがとう。わたしは馬車の準備が整ったら、迎えに行くわ」
昼下がり。
邸の前に馬車が用意された。
御者台に年長の使用人が控えている。
「お嬢様、また西の外れで?」
「はい。お願いします」
遅れてきたアゼレアを見て、御者が感慨深く言う。
「また姫様を乗せられるなんて思いませんでした」
「もう姫ではないぞ」
否定されたのに御者は嬉しそうに笑って、頭を掻いた。
「俺にとっちゃ姫様でさぁ」
「……好きにしろ」
ぶっきらぼうに言うと、アゼレアは顔をそむけた。
だが、ちらりと見えたその口元は笑っていた。
わたしはその横顔を見ながら、邸の前に用意された馬車に、ロエナを伴って乗り込んだ。
冬の冷たい空気の中、馬車は町を抜けていく。
道端では農民たちが畑を見回り、あぜを鍬で直している。
やがて街の外れに差しかかると、小麦畑には青々とした冬小麦の穂が揺れ、春の収穫を待っていた。
そんな風景を横目に目的地へ近づくと、ゆっくりと馬車が停車した。
ロエナが最初に降りる。
次いで、アゼレアがゆっくりと馬車の外に出た瞬間――
「アゼレア様……」
その姿を目にした黒衣の部下たちが、次々に膝をついた。
驚愕に息を呑む者、嗚咽をもらす者。
長らく待ち望んだ主の帰還に、誰一人として立っていられなかった。
そして最後にわたしが馬車から降り立つと、静まり返った空気の中に、確かな熱が広がっていった。
「……詳細は、マテオから聞いているな?」
アゼレアの低い声に、全員が揃って「はっ」と答える。
その声は震えていたが、しっかりと響いていた。
アゼレアが視線をわたしへと向ける。
わたしは促されて、一歩前に出た。
「では、案内してください」
部下たちはすぐに立ち上がり、わたしたちを先導した。
西の外れの小さな建物――粗末な木造の倉庫のような場所に、子供たちが身を寄せ合っていた。
ぞろぞろと外に出てきた孤児は、およそ六十名。
思っていたより体調の悪そうな子は少ない。
それはきっと、アゼレアが密かに物資を回してくれていたおかげだ。
「本当に、こんな……」
息を呑むわたしの前に、年長の子が一歩前へ出て、眉をひそめた。
「どこへ行くの? ……ここから出たくない」
怯えを隠さない声に、他の子供たちも顔を曇らせる。
離れたくない、また追い出されるかもしれない――そんな恐怖が透けて見えた。




