66話 誇りの行方 ~黒髪の弁舌者2~
沈黙を切り裂くように、アゼレアの声が再び響いた。
「何が気に食わぬ? 民が楽をして怠けることか? ……民が楽をしてはいけないのか?」
鋭い眼差しが室内をなぞる。
誰もが息を呑んだまま動けずにいた。
「これは貴殿らの収入を底上げする、画期的な改革だぞ。貴殿らの理屈では、民は苦労して当たり前ということになる」
「い、いや……」
たまらず一人の政務官が声を上げる。
下級貴族の男だ。
「その代わりに、我らは命をかけて守っているのだ!」
「……ふん」
アゼレアは鼻で笑い、冷たく言い放つ。
「命をかけて守っている、だと? ――違うな。命をかけて自分を守っているの間違いではないか?」
その言葉に、政務官の顔が真っ赤に染まる。
反論しようと口を開いたが、言葉が出てこない。
「思い出せ。かつて奴隷制度が廃止された時、雇い主が奴隷に引き裂かれ、ぼろ雑巾のように転がっていたな。なぜそうなったか、わかるか?」
「あれは……! あいつらが勝手にやったことで――」
「そうだな。勝手にやったことだ」
アゼレアの瞳がギラリと光る。
「だが、それは雇い主が奴隷に酷い仕打ちを繰り返した結果でもある……では、同じことを町単位でやったらどうなる?」
「そ、それは……」
政務官の声が震え、喉の奥で詰まった。
「町は機能しなくなり、やがて壊れるだろう」
静かに放たれた言葉に、会議室の空気が凍りついた。
誰もが喉を鳴らすこともできず、ただ視線を落とすしかなかった。
沈黙を破るように、政務官が言葉を絞り出す。
「な、なら……ならば今のままでもいいではないか!」
「なぜだ?」
アゼレアの声は低く鋭い。
「い、今のままでも、民たちは満足しているはずだ!」
「そうかもしれんな」
政務官の主張に、アゼレアが薄く笑う。
しかし、その目は、まったく笑っていない。
「それで?」
「そ、それで……? どういう意味だ」
「財政難だと言っておるだろう」
声が一段と冷えた。
「貴殿は政務官か? この状況を作り出したのは、前アード代理であるメネズとその側近たち。そして、その恩恵を受けていたメネズ派の貴殿らだ――どう責任を取る?」
「い、いや、我々は……無関係で……」
「無関係なわけがあるまい」
腕を組み、アゼレアの琥珀色の瞳が、メネズ派の政務官たちを一瞥する。
「なぜ止めなかった? 貴殿らは誰に忠節を誓っているのだ? あのままでいれば、いずれトバルの政務に関わった貴族全てが罰せられる寸前だったのだぞ?」
アゼレアの鋭い言葉を聴きながら、ふと思う。
……もしかして、アゼレアはこの人たちも助けようとしてたの?
加担していなかった貴族を救う。
彼女ならやりそうだ……。
ちらりと見れば、政務官は言葉を失い、額に汗をにじませていた。
室内に重苦しい沈黙が続く。
「答えられぬということは……保身ということか。己可愛さに仕える主を変える輩か?」
「ち、違う! 我々は……貴族だ! 町だっ! 町を守るために――」
「そうか」
アゼレアはゆっくりと頷く。
「ならば町が発展し、民の笑顔が増えれば……問題はないわけだな?」
「あ、いや……」
「それに加え、貴殿らの懐も潤う……問題があるか?」
「し、しかし……」
アゼレアの瞳が細まり、政務官を射抜いた。
「今一度問う。貴殿らの誇りはどこにある?」
しばしの沈黙の後、政務官はかすれた声で答えた。
「……町と共に」
わたしにはわかった。
彼女の目元が、ほんの少し緩んだことを。
何人もの政務官が、アゼレアの言葉に耐えきれず椅子の上で拳を握りしめていた。
反論どころか、声さえ出ない。
政務官の言葉を確認すると、アゼレアは隣に座るわたしへと視線を向けた。
「だそうだぞ、ルルーナ様?」
その一言に、会議室の視線が一斉にわたしへと集まった。
アゼレアが主導権を渡したのだ。
わたしに駆け引きなんてできない。
でも……。
政務官たちの圧は随分と小さくなった気がする。
自分でも不思議に思う。
これなら、所長と対面で話している時の方が緊張するかもしれない。
これも、彼女のおかげだろうか。
深く息を吸い、それでも震えそうになる声を抑えて言葉を紡ぐ。
「……お聞きします。貴族の誇りとか、そういうことは関係なく答えて下さい」
政務官たちが困惑したように顔を見合わせる。
「本当はメネズを恐れていたんじゃないですか? あなた方は、犯罪に加担してはいなかったはずです」
「……」
誰もが言葉を失い、目を伏せる。
もうメネズはいないはずなのに、どこかその影に怯えているように見えた。
「わたしも、その気持ちはわかります……だって死ぬのは怖いですもの」
言葉が詰まりそうになる。
だが、それでも続ける。
「その恐怖が、大切な人の命を奪うことを……恐れていただけなのではないですか?」
沈黙のあと、一人の政務官が小さく頷いた。
「……逆らえば死か、追放でした」
その声に、周囲の者たちも次々に静かに頷く。
「だから……権力が他の者に渡るのを恐れているのではないですか? また同じことを繰り返されるかもしれないと」
室内にわたしの声が響く。
政務官たちの反論はなく、ただ俯くだけ。
「心配しないでください。もう悪政は終わりました。これからは全力で町の発展に協力していただけませんか?」
「私は……メネズ様の派閥で……」
か細い声が返る。
わたしは机に手を置き、真っ直ぐにその下級貴族を見つめた。
「わたし、思うんです。派閥って、まだ必要ですか?」
「……はっ?」
「町を良くするために、みんな同じ方向を向いているのに、派閥なんて必要ですか?」
本当は必要ないと、もうわかっているはずだ。
「だ、だが……」
「考えは違っても、目指しているものは同じじゃないですか? 町のために」
はっとしたように政務官は顔を上げ、目を見開いた。
今にも零れ落ちそうなほど目に涙を溜めて、ゆっくりと頭を垂れた。
「……申し訳ありません」
わたしは頷き、はっきりと告げる。
「では、この改革の指揮をあなたに任せます――メネズ派なんてもういないんだと、町のみんなに知らしめて下さい。胸を張って、あなたはトバルの貴族だと」
わたしの言葉に、俯いていた政務官がゆっくりと顔を上げた。
その目の奥に、光が宿ったように見える。
「必ず……やり遂げます」
隣でアゼレアが小さく口元を歪め、ぼそりと呟いた。
「落ちたな……人たらしめ」




