66話 誇りの行方 ~黒髪の弁舌者1~
時間をかけていられないので、同時進行するとアゼレアは言った。
まずはマテオに言って、資料を机の上に移動させてもらうと、わたしは「よいしょ」と、分厚い資料を開く。
次に資料の内容を確認だ。
千歯扱き――この資料には、その詳細が書かれている。
「まずは、これを……」
わたしはページを繰りながら声に出して読み上げた。
「棒打ち脱穀だと、一人で一日に処理できるのはせいぜい稲の一、二束……」
アゼレアが黙って頷き、続きを促す。
「でも千歯扱きだと、一人で一日に百束、単純計算で少なく見ても、稲の場合は約五倍から十倍。小麦の場合は約四倍から六倍以上。しかも腕力に頼らず、誰でも一定の効率で作業できる。これは……すごいね」
読み上げながら、自分の声が熱を帯びているのを感じた。
……稲ってことは、お米もあるんだ。
横目で見ると、アゼレアは静かに聞き入っている。
「これなら、農家の人たちにとっても大助かりだと思う。きっと、メネズ派の人たちだって反対できないはず」
「そうね。これに反対する馬鹿はいないわね……私もそう思うわ」
アゼレアが頷く。
けれど、疑念が拭えずわたしは尋ねた。
「……もし、それでも反対したら?」
アゼレアの口の端がわずかに上がる。
「大丈夫よ。そのときは私が言ってやるわ。ここまで説明されて反対するのは、もはや貴族ではないわ」
吐き捨てるような声音に、思わず身震いした。
メネズ派を徹底的に叩き潰すつもりだろうか。
……お手柔らかにね。一応、犯罪には加担してないんだから。
心の中でそっと付け加える。
会議へ向かう直前、アゼレアがふいに足を止めた。
アゼレアが何か呟き、指先で髪を払うと、オレンジゴールドの輝きがすっと消え、漆黒に染まっていく。
「――っ!? な、なにそれっ!」
驚き、声を上げるわたしに、アゼレアは小さく笑った。
「幻惑魔法――公の場では禁じられているけれど、今回は身内の会議。問題はないわ」
「……大丈夫なの、ね」
ひとまず頷いたけれど、心の中で小さく呟く。
……逆に、公の場じゃ絶対使えないんだね。
「ルルーナ、行くぞ……」
アゼレアの雰囲気がガラリと変わる。
彼女の「任せろ」という眼差しに、またしても心強さを感じていた。
◇ ◆ ◇
会議室に入ると机の上に資料を広げた。
わたしは胸を張る。
千歯扱きの効率を数字で示し説明すると、政務官たちは一様に頷いた。
「確かにこれなら……」
「作業が一気に変わるぞ」
賛同の声があちこちから漏れる。
だが、メネズ派の面々は沈黙を崩さず、不満げな表情を浮かべていた。
「……だが、導入の費用が莫大では?」
一人が口を開く。
「収穫効率で十分に回収できるわ」
わたしは即座に答えた。
「だが、農民に扱える保証が――」
「難しくなんかない。力も要らない。子供や老人でも扱えます」
「しかし、導入すれば農民が楽をしすぎて怠けるのでは?」
「効率が上がることで余剰時間は別の仕事に回せます」
数字と理屈で返すたび、相手は黙り込む。
けれど、しつこく別の角度から難癖をつけてくる。
それを繰り返した末――アゼレアの声が鋭く空気を切った。
「……貴族の誇りはどこへ置いてきた? まさか、犬に食わせて捨ててきたか?」
味方だとわかっているわたしまで、びくりと肩が震える。
低く響く声に、会議室の空気が一変した。
張り詰めた沈黙の中、皆が息を呑む。
アゼレアの雰囲気が統治者のものとなり、さらに鋭さが増す。
……アゼレア、なにする気?
でも、不思議と怖くなかった。
アゼレアの本当の姿を、わたしは知っている――だから信じられる。
「な、貴様……新参者か!」
メネズ派の一人が怒鳴り、机を叩いた。
しかし、別の数人は顔を青ざめ、椅子を軋ませて後ずさる者までいた。
彼らはその声に、聞き覚えがあったのだろう。
かつて仕えた主の声――背筋を伸ばさずにはいられなかった、あの威厳が蘇っていた。
手が震え、声を失う者。
表情を必死に取り繕いながらも、畏怖の色を隠せない者。
目を逸らすことすらできず、ただ見つめている者。
……大丈夫。
心の奥でそう思いながら、わたしは彼女の背を見つめていた。




