65話 誇りの行方 ~枷にはならない2~
歓声と嗚咽に包まれる庭をあとにし、わたしたちは執務室へと戻っていた。
歩きながらも胸の鼓動は収まらず、頭の中は先ほどの血の契約という言葉でいっぱいだった。
わたしの知るそれは、親子の印だったはず。
しかし、先程の周りの様子を見れば、只事じゃないのだけはわかった。
「ねぇ、アゼレア、血の契約って……」
問いかける声は、自分でも驚くほどかすれていた。
アゼレアは一瞬だけ目を伏せ、すぐに前を見据えて歩みを続けた。
「……それを語ることはできないわ。内容を口にした時点で、私の命は砕け散る仕組みだから」
「えっ!?」
思わず立ち止まる。
胸の奥が冷たくなり、先ほどまでの喜びが一瞬で揺らぐ。
「じゃ、じゃあ……もし間違えて話してしまったら……」
不安に駆られて畳みかけるように問う。
するとアゼレアは振り返り、苦笑を浮かべた。
「心配いらないわ。これは、私にとって何の制約にもならない。形だけの契約よ」
「……ほんとうに?」
アゼレアが優しく微笑んだ。
「もちろん。お前を不安にさせるためのものではない。むしろ、お前を守るための仕組みだと思えばいい」
あなたではなく、お前。
裏も飾りもない言葉だと、わたしには分かった。
柔らかな声音に、胸の奥の不安が少しだけ和らいだ。
けれど完全には拭えず、わたしはぎゅっと衣の裾を握りしめる。
……形だけだって言ってくれた。信じよう。信じていいんだ。
そう自分に言い聞かせながら、わたしはアゼレアの背を追いかけて歩き出す。
執務室に戻ると、机の上には積み上げられた書類が待ち構えていた。
わたしは椅子に腰を下ろす。
インク壺の蓋を外しながら、隣の机に座るアゼレアへと問いかけた。
「……結局、わたしの下ってどういうこと?」
筆を手にしたまま尋ねると、アゼレアは肩をすくめて笑った。
「アゼレア・トバルではなく、ただのアゼレアになった、ということね」
「……ん?」
わたしが首を傾げると、アゼレアは机に手を置き、静かに言葉を続けた。
「たしかに私は上級貴族よ。だけど、そこにアードとしての統治権を行使する力も継承権もない。今の私は……ただの上級貴族アゼレアに過ぎないわ」
「つまり……わたしの方が偉いってこと?」
なんとなく聞き返すと、アゼレアは口元を緩め愉快そうに笑った。
「そう。限定的に私とお前の立場だけ見れば、そういうことになるわ」
「……ほかの貴族から見たら?」
「平民の……それも子供の奴隷になった上級貴族、というふうに映るわね」
くすりと笑うアゼレア。
けれどその答えに、わたしの胸は再び重くなる。
「そ、それじゃあ……やっぱり、わたしのせいで……」
わたしの心情を察したのか、アゼレアはすぐに首を横に振った。
「心配はいらないわ。むしろ都合がいいくらい」
「……そうなの?」
「そう思う者ほど、態度に本性が出やすい」
さらりとアゼレアは言ってのける。
「敵か味方か、一目でわかるようになる」
にやりと笑うその横顔に、不思議と不安が溶けていく。
……やっぱりアゼレアは強い。だからわたしも、信じて進まなきゃ。
そう思いながら、わたしは再び筆を取り、机の上の書類に向き合った。
「ほら、やることは多いぞ」
「……けど、これってどう説明しようか?」
わたしが書類の山を指さすと、アゼレアはすっと目を細めた。
「説明の前に、やることがあるだろう?」
「うん?」
首を傾げるわたしに、アゼレアは鋭い光を宿した瞳を向ける。
「まずは――貴族の誇りを忘れたメネズ派の目を、覚まさせねばな」
その言葉に、部屋の空気がわずかに張りつめた。
わたしは思わず背筋を伸ばし、深く息を吸った。




