52話 命懸けの新生活 ~整理してみよう2~
眩しい朝日が薄布のカーテン越しに差し込んでいた。
けれど、その温かな光でさえ、昨夜から胸に巣くった不安を拭い去ってはくれない。
わたしは寝台の上で身じろぎし、小さく息を吐いた。
眠ったはずなのに、気持ちはずしりと重い。
夢うつつで見た精霊たちの影が、まだ瞼の裏に残っている。
いつの間にか椅子の上に陣取っていた古狸が、心配そうに寝台に寄ってきた。
一晩中、そこで見守っていてくれたようだ。
古狸の頭を撫でると、気持ち良さそうに目を細めた。
「ふふっ……大丈夫よ。行かなきゃ」
自分に言い聞かせるように呟き、身支度を整える。
用意されていた清楚なドレスに袖を通し、鏡の前に立つ。
鏡に映る自分の顔は少し青ざめていた。
なんとか笑顔を作りながら、頬を叩いて気持ちを立て直す。
……よし!
扉を叩く音がする。
……昨日と違う。
「お嬢様、アゼレア様がお食事の席にてお待ちです」
昨夜の侍女とは違う人物だった。
呼び声が妙に硬い気がして、わたしは胸を押さえながら小さく頷く。
「はい。すぐに参ります」
案内されたのは昨夜とは違う食堂だった。
香ばしい焼き立てのパンに温かいスープ。
それに彩り鮮やかな果実など、長い卓の上に並べられた朝食は、豪華ではあるけれど、どこか形式的な整え方をしている。
朝日を背に受け、アゼレアは卓の上座に座っていた。
その姿は光に包まれて美しく、けれど誰よりも冷たく見えた。
「おはよう、ルルーナ。よく眠れたかしら?」
「……はい。お心遣い、感謝いたします」
わたしは椅子に腰を下ろす。
手を合わせて祈るように目を伏せ、食事に手をつけるふりをした。
昨夜の光景が頭を離れず、喉が食べ物を受け付けない。
アゼレアはそんな様子を面白げに眺めながら、赤いブドウを一粒摘み、ゆっくりと口に運んだ。
「昨夜のこと……気にしているのかしら?」
その言葉に心臓が跳ねる。
けれど、わたしは笑顔を崩さず、かすれた声で答えた。
「いえ……アゼレア様の御心を理解いたしました」
「そう。ならよいのだけれど」
アゼレアはブドウの房を卓に置き、視線を鋭く細めた。
「この屋敷で生きるには、それなりの覚悟が要るわ。あなたがただの幼子で終わるのなら、ここに居場所はない」
彼女は柔らかく微笑んでいるのに、その声音は背筋を凍らせるほどの冷たさを帯びていた。
そして、ゆっくりとナイフを持ち上げる。
卓上のリンゴを薄く切り分けながら、淡々とアゼレアは続けた。
「だから、あなたに一つ……試練を与えることにしましょう」
切り分けられたリンゴの赤が、血のように見える。
「この邸の地下倉で働く使用人たちに、今日中に倉庫の整理をさせなさい。彼らは読み書きもままならない者ばかり。あなたが仕切らなければ、到底終わらないでしょうね」
「……え?」
思わず声が漏れる。
……倉庫の整理? 使用人に指示? 何を言ってるの?
「わたしには、到底無理だと――」
「できなければ……無能と判断するしかないわ」
アゼレアは切り分けたリンゴを口に運び、紅の唇を冷たくほころばせた。
「無能な者は……この邸には不要よ」
嫌な汗が背中を伝う。
昨夜の侍女の姿が脳裏に浮かんだ。
……これ……難題だ!
机の下でぎゅっと手を握りしめる。
その瞬間、窓辺にかすかな揺らめきが現れた。
妖精たちが、小さな手で応援するかのように拳を振っている。
……うん。やるしかないね。
わたしは深く息を吸い込み、お腹の下に力を込める。
震えそうになる体を必死に抑えた。
「承知しました……やり遂げてみせます」
アゼレアの琥珀色の瞳が、愉快そうに細められる。
「ふふ……いい返事ね。楽しみにしているわ、ルルーナ」
こうして、邸に来て最初の朝。
わたしは命を懸けた試練を課せられることとなった。




