42話 小さな調査官 ~流行り病を突き止めろ1~
徐々に冬の厳しさが和らいできた光の月、後節下旬。
日常の中にも精霊たちが混ざり始め、一緒に遊びたい気持ちを抑えて、今日もわたしは講義室でお勉強である。
所長の教えはいつも厳しいが、わたしの常識を正してくれるのは有り難い。
今日の講義は経済の基本について。
前世の知識が少しでも役立つと思ったけれど、この世界の経済構造はまったく異なっていて、理解するのがとても難しい。
普段通り講義を終えると、今日は少し違った話題が持ち込まれた。
「ルルーナ、ここにある報告書を見なさい」
所長の声は普段通り落ち着いていた。
「東地区の風邪の流行?」
わたしはその書類に目を通した。
そこには、サンドレアムの東地区で風邪が流行しているという詳細が書かれていた。
特に厳しい状況にあるのは、貧民街の子供たち。
彼らは治療院や診療所で、治療が受けられない。
体力もないため、風邪が命取りになることもあるという。
……そりゃ……そうなるよね。
思わず眉をひそめてしまった。
だが、わたしが知っている孤児院も、資金的に厳しいはず。
なのに、風邪が流行っているという話は聞いたことがない。
「東地区とは違い、孤児院では同じような症状がほとんど見られない。この違いには何か原因があるはずだが、君はどう考える?」
レンのおかげで、徹底した衛生管理が行われているからなのだろうか。
もし孤児院で予防できているのであれば、それを貧民街でも行うことで、多くの命が救えるかもしれないと、そんな考えが浮かぶ。
でも、わたしはまだ五歳で、外の世界に直接的に関与することは難しい。
わたしには関係のない話だが、それでも何かできないかと思ってしまった。
「どうして、わたしに?」
「私も含め、貴族であれば毒に関しては対策できるが、病気に対しては対処法が無い。現状は魔法で治すことぐらいだからな。流行り病が蔓延する前に、食い止めねばならない」
所長の瞳には、いつもの冷静さが漂っている。
でも、その奥にわたしに対する期待が感じられた。
……風邪じゃないの? 流行り病なら、そりゃマズイけど。
「いつも難題ばかり持ち込まれるからな。たまには、こちらの問題を解決してもらってもかまわないだろう?」
その言葉が所長の口から出た瞬間、所長の口の端がわずかに上がった気がした。
……くぅ~……断れない。
◇ ◆ ◇
三の鐘が鳴る頃、東地区の流行り病について所長と話し合っていると、講義室の扉をノックする音が聞こえた。
「失礼します。トランです」
扉の外から声がして、所長は「入れ」と呼び入れる。
わたしの前に一人の見知らぬ男性が現れると、所長はわたしに向かって、彼の紹介を始めた。
「ルルーナ、東地区担当のトランだ。彼は大小含め、街の様々な問題に対処している」
所長の言葉に、わたしは軽くお辞儀をした。
わたしの名を明かしたということは、信用に足る人物なのだろう。
トランはクセの強い茶髪に眼鏡をかけた、まだ若い男性だった。
年齢は二十歳前後だろうか。
トランも軽く頭を下げ、「初めまして、ルルーナ様。お会いできて光栄です」と挨拶を交わす。
声は穏やかで親しみやすいが、その中にも確かな自信が伺える。
……この人が、お兄ちゃんの言ってたトランさんか。
「初めまして、トランさん。アイナの件ではお世話になりました」
わたしは礼儀正しく答えた。
トランの視線が、わたしを観察しているのがわかる。
「ルルーナ様のことは、アイナさんからよく聞いております。あなたの優しさと気遣いに感謝していましたよ」と、トランは微笑んだ。
その言葉に、わたしは少し照れてしまった。
本人の口からじゃないにせよ、素直に感謝を述べられるのは、まだ慣れない。
「ありがとうございます。でも、アイナにはわたしも助けられてばかりで……」
……ムズムズするなぁ。なんで様付けなんだろう?
紹介が終わると、所長が口を開いた。
「さて、トラン。貧民街の状況について報告を。ルルーナ、君も聞いておくといい」
所長の指示を受けたトランは頷き、真剣な表情に変わった。
「現在、東地区では風邪が急速に拡大。特に子供たちの間での感染が目立ち、薬が行き届いていないため、多くの人々が苦しんでいるのが現状です。こちらを御覧ください」
トランは追加の資料を所長とわたしに手渡すと、説明を続けた。
……なるほどねぇ。
わたしはトランの説明を聞きながら、症状が詳細に記された書類に目を通した。
そこには急な発熱や頭痛、筋肉痛に咳。
喉の痛みや、疲労感。
さらには、怠さに吐き気、眩暈などの症状が書いており、一つの病気に思い当たった。
……これって、風邪じゃなくてインフルエンザ?
もしそうなら、子供や高齢者、免疫力の低い人々に重症化しやすい病気だ。
医療が行き届いていない環境では、危険性が高い。
前世においては予防接種や抗ウイルス薬の使用が一般的だが、この世界ではそれらが存在しない可能性がある。
わたしは危機感を抱いた。
……この世界でも、ウイルスみたいなものがあるのかな。
トランが長い説明を終え「調査する件は後日に」と言って退出すると、所長が防音の結界を作動させた。
「さて、君の意見を聞きたい」




