1103 新居
エスタルに住み始めたバルートは中々慣れない生活に毎日そわそわしていた、邸宅は大きく幾つもある部屋に使用人や侍女が付いていて、何をするにもお世話される待遇に貴族なら当然と考えるのだろうがバルートには苦痛でしかなかった。
ずっと見られているような視線を感じ、階下に降りてきただけでどうされましたか、何かご用ですか、外出されるなら馬車をご用意しましょうか等と母親以上に過保護にされている対応を受けていた。
内心では放っておいてと言いたいぐらいだったが、相手はそれが仕事であり悪気がないのが分かっているだけに無下には出来なかった、なので殆ど自室か外に出歩いて時間を潰していた。
侯爵なんて偉い称号を貰い受けても何をすれば良いのかなんて分からない、自分の町の治安、町長や有力者達との会議で決め事をすると言われてもバルートはほぼ任せっきりの状態で、ただうんと頷くぐらいであった。
(お魚さんは上手く出来るかも知れないけど僕は政治なんてやった事も無いから)
今日もこれが自分の領地なんだと町中をぶらぶらと歩いていた。
「どうしようかな、お魚さんの所に行ってみようかな」
フィッシングとバルートで一つの領地を東西に分けて治めていた、これはマルティアーゼがエスタル諸侯達に配慮した為である。
いきなりの諸侯に領地も等しく与えてしまっては不満も高まるだろうと、領地だけは二人で治めさせたのである。
首都エスタルから北へ行ったそれ程大きくはない町で、フィッシングは東をバルートは西側に居を構ているのである、住み始めて初めの頃に一度会いに行ったきりで久しぶりに行ってみようかと思った。
それ程遠くもない散歩には丁度良い距離で、フィッシングの所に行こうと決めたバルートは少し気分が軽くなった様に邸宅に向かった。
バルートの邸宅も傍から見れば豪華だが、フィッシングの邸宅も作りが違うだけで一味違う豪華な感じに見える。
バルートは恐る恐る門の呼び鈴を鳴らした、暫くすると邸宅から使用人がやって来て訪問の理由を伝えると邸宅に入れて貰う。
居間に通され待っているとフィッシングが気怠そうにやって来た。
「よう、どうしたんだ?」
頭を掻きながらドカッと椅子に座ると、ニヤニヤと笑みをバルートに見せて言ってきた。
「何でも無いです、どうしてるのかなって見に来ただけです」
「なんだそりゃ……へへっ、まさか寂しいから会いに来たんじゃねえだろうな」
図星を突かれてバルートは赤面する。
「ち、違うです、お魚さんがお酒ばかり呑んでないでないか、ちゃんと仕事をしてるのか見に来たです」
「仕事なんて楽なもんじゃねえかよ、分かる奴にやらせときゃ良いんだよ、適材適所ってやつだ、ただし賄賂や犯罪行為だけは許さねえ見つけ次第、その場で俺の剣の錆にしてやるって言ってあるからな」
その言葉には死にたいなら好きにすりゃ良いという意味があった。
「あわわ、なんて酷い領主……」
「当たりめえだろ、下のもんの尻ぬぐいは領主がやらねえでどうすんだ、領主が舐められてちゃいけねえんだぞ、統治ってのはこうするもんなんだよ」
「ここの人達に殺される未来しか見えないです」
けけけけっとフィッシングが大笑いをした。
「俺をやれる奴がいるなら大いに結構な事だぜ、いつでも相手をしてやらぁ、俺がなんでエスタルに来たか分かってんのか、剣豪になる為にきたのにこんな所でやられるわけねえだろ、俺はここで名を上げてやるんだエスタルにフィッシングありってな」
「そんな事になったら僕が世界を救うです、グルバヌスと一緒に消えて貰うです」
またけけけけっとフィッシングが笑った。
何と言ってもこの二人は仲良しなのは明白で、出会った時から喧嘩しては笑い合っていた。
少しの時間ではあったが久しぶりにフィッシングの顔を見て落ち着きを取り戻したバルートは、気分良く邸宅を後にした。
「お魚さんみたいに堂々と出来れば良いなぁ、でも馬鹿にはなりたくないです」
相手の生活を知れば自分の生活も何だか気楽に感じられる、そう思えるだけでも来た甲斐があった。
(お魚さんのやり方は暴力的だけど何かあれば領主の僕の責任になるんだよね、誰かに任せて責任を取るぐらいなら僕がもっと発言した方が良いのかな)
余所者が歴史あるエスタルでこれまでの慣習に手入れをして反感を買うのが恐くて何も言ってこなかったが、何も知らないからと良いように言い訳をされて不正を放置させるのも違うとバルートは思っていた。
(ここは僕が任された領地なんだ、マルさんの為にもちゃんとしないといけない)
マルティアーゼを手助けする為に覚悟をして来たのだから変わらないといけないと、決意を固めてきた理由をバルートは改めて理解した。
(少しずつ町の事を覚えていこう)
自分なりの治政でやれば良いんだ、僕がこの土地の領主なんだと歩む足取りに力を入れて邸宅に戻っていった。
町中をカラカラとひっきりなしに行き交う馬車と人混みの間をマリアは避けながら歩いていた。
初めてのエスタル、知り合いも伝手もない大都会の町を歩く。
北方では目立つ浅黒い肌を隠す様に外套で身を包んだ彼女はエスタルの中心部に来ていた。
(人が多いね)
沿岸州とはまた違う混雑ぶりだった、向こうは陽気な声が飛び交っていたが北方は声の質が違っていた、騒がしい、けれど何処か物悲しい感じがした。
話し声は聞こえてくるのにぼそぼそと話していて内容まで入ってこないざわめきである。
暑さは和らいで乾いた風のお陰でべたつくような事はないものの、運動をすればまだ気持ちの悪さが残る、そんな季節になっていた。
マリアは立ち並ぶ露天商に売られているのか見て回る、北方の珍しいものとは何だろう、エスタルの名産もしらないマリアは一軒一軒確かめるように見ていた。
(ふうん、革の服が多いんだね、毛皮付きの外套か……暖かそう)
一度雪を体験したマリアはまたあの寒さがやって来る前に暖かい服を買い揃えておこうと思っていた所だった。
(後で買いに来れば良いよね)
エスタルに来てやっと借家に住み始めたばかりで、最低限の家具は置いてあったが生活に必要な物はまだまだ足りなかった、料理なんて出来ないマリアに調理器具は必要は無かったが、防寒具や薪、保存食を買い込んでおかないと寒さと空腹で死んでしまう。
それにマリアの仕事は移住ではない情報収集で遊びで来ていたわけでは無い、雪が降る前に一度サレスの所に戻ると約束したのだ。
(さっさと買い物を済ませるか)
「わあ、綺麗な外套……わぶっ」
どんっ、マリアが店から離れようと振り向くと、丁度店にやって来た少女とぶつかった。
少女がマリアの胸に顔を突っ込み反動で尻餅をついて転けた。
「いたっ」
「何処見てんだよ」
とマリアが怒ると、
「ご免なさい」
少女は謝ってきた。
「ほら、立ちな」
マリアが手を差し伸べると、有り難うと少女は手を借りて立ち上がった。
「怪我はしてないかい?」
少女の体を見回し怪我をしていないか確認をしてあげた、今までのマリアならそのまま怒鳴って立ち去っていただろうが、サレス達との出会いで人に対して気遣いが出来る様になっていた。
「大丈夫です、暖かそうな外套が目に入ってつい夢中になってしまいました」
「あぁこれかい、私も良いなって思ってたんだよ、趣味が合うじゃないかい」
「私はこの襟元にふさふさが付いてるのが好きなんです」
「あぁ分かるよそれ、暖かいからそのまま寝ちゃいそうになるんだよね」
そうなんですよ、と少女が嬉しそうに言うとマリアも自然と笑みを浮かべた。
(何だろうこの子の感じ)
「あんたこの町の子かい、あたしは此処に来たばかりで町の事がよく分からないんだ、良かったら教えてくれないかい?」
「え……いえ、私もエスタルは初めてなんです」
「てっきりエスタルの人間だと思ってたよ、そうかいじゃあ一緒に町を回らないかい、一人より二人で買い物した方が楽しいだろ」
「でも、良いんですか……お忙しいのでは?」
心配そうに少女が言う。
「平気だよ、今日中に買いだしさえ終わらせれば他に予定はないし、あっそうだ名前はなんて言うんだい、あたしはマリアだ」
「ラーダです」
「そうかラーダか宜しくな、じゃあ行こうぜ」
二人が歩き出す、お互い初めてのエスタルという事で親近感の湧いた二人は楽しそうに話ながら人混みの中に消えていった。




