1067 辺境の戦い
ローザンまでの行軍の間に周囲の景色はがらりと変わり、上がってきた気温に目覚めた森が一斉に葉を広げ爽やかな若葉の香り漂う街道に、白銀の鎧と鈍色の鎧の一団が顔を見合わせ対峙していた。
検問所の前にずらりと並んだローザン軍の陣頭に立つディアンドルの前に、街道からやって来たエスタル軍が整列していくのを毅然とみていた。
横一杯に広がって整列したエスタル軍の中央の兵士がさっと道を空けると、二手に分かれた真ん中に一筋の道が出来た、その道をマルティアーゼが一人ディアンドルに歩いてくる。
両軍合わせて五万以上の兵士が集う街道で声すら上げず、静寂の中の二人の動向に注目していた。
マルティアーゼがディアンドルの前で立ち止まった。
「今日はそんな薄汚い服で来たのかい」
ディアンドルはマルティアーゼの服装を見て笑った、今日はエスタル王女らしいドレスの出で立ちではなく、傭兵の時の上下革の服装であった。
「……」
マルティアーゼは言葉に反応せずじっとディアンドルを見つめた。
「エスタルの王女は他国の王に対する礼儀すらしなくても良いというのかい、それとも辺境の国王などに挨拶すらしなくても構わないとでもいうのかい」
馬鹿にしてくるディアンドルの目は笑っておらずマルティアーゼの目を見ながら真顔で言う。
「本日はマルティアーゼではなくエスタル王国王女エスタル・マルティアーゼとして、ローザン王国ディアンドル王へエスタル王ファリスと前王ストロマエ夫妻暗殺について答えて頂きます」
マルティアーゼの態度にディアンドルの形相が変わり、
「何を生意気な……一体誰に物を言ってるんだい!」
とディアンドルが怒鳴った、一瞬にして緊張が兵士達に伝わりその場の全員が身を強張らせた。
魔導も使わない剣も持たない彼女なのにその声だけで屈強の兵士すら黙らせる力を持っていた、今動けば彼女から怒鳴られるのではないかと必死に動かないようにしていた。
時すら止まった雰囲気の中でマルティアーゼだけは冷静にディアンドルに相対していた。
「書状の内容は読ませて貰いましたが、あの様な言い訳が通じるはずがない事は分かってるはずでしょう、何故エスタル国王を暗殺したのか説明して貰います」
「言い訳とはどういう事だい、本当はお前が殺したんじゃないのかい、それを私の所為にすれば誰もが自分の味方になってくれると思ってんじゃないのかい、お前は昔から私と違って周りに愛想を振りまくのが得意だったからね、そうやって私に罪をなすりつけて玉座を手に入れようとしても無駄だよ、ローザンの民達はもうお前の嘘に気付いてるんだよ」
「ローザン王、貴方の戯れに付き合うつもりはありません、私の事が嫌いなのは分かってます、それなら私を直接殺しに来れば良かったのに貴方は手を出してはいけない人達に出してしまった、この責任は取って貰います」
みるみる内にディアンドルの顔色が変わり、
「責任を取れだって、何を証拠に勝手に私を犯人扱いしてるんだいふざけるんじゃないよ」
と、マルティアーゼの発言にディアンドルが激怒した。
「ローザン大公夫妻の犯人も分かっていますグルバヌスですね、あの者とギルドが接触し貴方と繋がって共謀しているのは確認済みです、それにエスタル王族殺害に暗殺者を送り込んだ事も分かってます、もう逃げられませんよ」
ぎぎぎっと歯ぎしりが聞こえてきそうに歯を食いしばってディアンドルはマルティアーゼを睨んだ、しかし彼女は急に表情を収めて、
「お父様達をやったのはグルバヌスよ私は知らないわ、あいつが勝手にした事で私にとっても迷惑な男だったわ、罪というならあの男に文句を言いなさい、エスタル王もそうよ、私が暗殺者を送ったですって……馬鹿馬鹿しい、厳重な警備のエスタルでギルドもいるのに暗殺者を送れるはずがないでしょうに」
「当然グルバヌスにも罪は償って貰います、今はローザン王、貴方に罪を償って貰わなくてはいけないのです」
とマルティアーゼは言うと手を挙げた、すると後ろから兵士に囲まれ連れて来られる人物をみてディアンドルの顔が歪んで舌打ちをした。
「この人が全てを教えてくれました」
マルティアーゼの隣に立たされた人物が顔を上げてディアンドルを見ると、びくりと体を震わせ申し訳ありませんと謝った、すると小さな声で、
「……役立たずが」
ディアンドルは目力だけで殺そうとするかのように身を強張らせて震える相手を睨んでいた。
「もう一度聞くわよ、貴方をエスタル王宮に潜入させ毒殺してくるように命令されたのは誰かしらランさん」
連れてきた人物はローザンでマルティアーゼの侍女長をしていたランだった、彼女はディアンドルの眼前で、マルティアーゼ含めエスタル王族を殺してこいと命令されたと震える声で告発した。
「やらなければ母の命はないと言われまして……」
「ローザン王これでよく分かったでしょう、貴方がランさんを使って毒させた事、もう言い逃れは出来ないわ」
「……」
ディアンドルは何も答えず目を瞑ってただ黙っていた、今彼女の頭の中では目まぐるしく思考を巡らせ、この状況をどの様にひっくり返そうかと考えているのだろうと、マルティアーゼは彼女が何を言ってくるのか待ち続けた、そしてディアンドルが目を開いた時、彼女の表情に光はなく冷徹な鋭い眼光でマルティアーゼを見てきた。
「それで……お前は私に何をさせたいのだい?」
吹っ切れたような言葉、抑揚のない響きに人の感情を置いてきたような冷たさを感じた。
「ローザン王にはエスタルまで来て貰います」
「他国の王を捕まえられると思ってるのかい?」
「ええ、そうさせて貰います」
マルティアーゼは腰から鉄環を取り出し歩み出た、兵士にさせるより自分の手でディアンドルを捕縛するのが彼女のせめてもの情けだと思ったからだ。
一歩また一歩と彼女に近付いていくマルティアーゼに、ディアンドルは微動だにせず目の前まで待った。
「ローザン王、手を前に」
「分かったわ」
とディアンドルが腕を前に出そうとした時、
「姫様!」
どんっとマルティアーゼの身体に衝撃が伝わり、その勢いで地面に崩れ落ちた。
はっ、と地面に倒れたマルティアーゼが見上げると、そこにはランが立っており彼女の胸には一本の短剣が刺さっていた。
「ちっ馬鹿が……」
ディアンドルは踵を返して走り去っていく。
ブルブルと足から力が抜けて崩れていくランの顔がマルティアーゼに向けられたかと感じた時、バタンッとその場に倒れた。
「ランさん」
駆け寄ってくるエスタル兵にローザン兵も前に出て来て剣を抜く。
「王女を守れ」
わああっと、一瞬にして王女を守るエスタル軍と彼女を殺せと命令を出されたローザン軍で街道は戦場と化して両軍入り乱れて戦いが始まった。
「姫様、此処は危険です下がりましょう」
混戦の中、トムがマルティアーゼに駆け寄って来て叫び、マルティアーゼと刺されたランは後方に連れて行かれた。
「……ランさん」
彼女は既に亡くなっていた、ディアンドルの一撃が的確に心臓へと突き刺さっておりほぼ即死だっただろう。
マルティアーゼに見せた崩れ落ちる一瞬、彼女の動いた唇にはご免なさいの一言が伺えた。
マルティアーゼの記憶によく似た思い出が思い浮かんできた、それはかつて彼女の侍女だったフランの事だった。
(あの時と同じ、私を守る為に身代わりに……)
「どうしてランさん……」
これが彼女なりの罪滅ぼしなのか、厳しかったランがこんな感情的な行動を取るなんて思いもせず、もっと冷静な性格だと思っていた。
「ご免なさいランさん、貴方のお陰で助かったわ」
冷たくなっていくランの胸には剣が刺さったまま血で染まっていた、マルティアーゼは彼女を後で手厚く葬るからと安全な場所まで運んで欲しいと伝えた。
「……姫様」
見守っていたトムが声を掛けると、立ち上がったマルティアーゼの体がぼんやりと光り出した。
「魔道士達を此処に、ローザンを落とします」
「姫様!」
トムが止めようとするが、マルティアーゼは首を振って、
「もう何も言わないで手遅れよ、あの人は改心する気持ちはないわ」
「マルティアーゼ様、参りましたご指示を」
短剣で殺そうとした事がディアンドル自身犯人であると認めたようなもので、もう彼女とは対話は不可能と感じたマルティアーゼはディアンドルとの戦争を決意をした。
ローザン兵が強いのは見てきたマルティアーゼには分かっている、それでもやらなくてはいけない、彼女を生かしておけばまた誰かが傷付くかも知れないし、もう誰かが私の身代わりなんてさせたくは無かった。
(今そこに行くわよ)
彼女は戦っている戦場の向こうにいるディアンドルに向けて叫んだ。




