1064 ケルテ陥落
アルステルに帰らなかったフィッシングはというと、皆と街道で別れ一人沿岸州へ西の街道に向かった。
楽しくもなかったエスタルが余程鬱憤が溜まったのか逃げるように先を急ぐ。
積もった雪は殆どが太陽の熱で溶けて走りやすくなっており、リンに会う為に赤い石畳の上を気持ちよさそうに街道をひたすら駆け抜けていった。
周囲を恐ろしい森に挟まれている街道に一人であっても彼はビクつきもせず、野宿でも遠くから聞こえてくる不気味な物音も子守歌のように耳を傾けながら眠りに就いていた。
「やっとかよ」
多くに見える微かな海原と潮風に街道を抜けた事に気付き、突き当たりに差し掛かった街道を南へ折れて北方の出口へ向かった。
高い連山の谷間を抜けると一気に生温い風が頬を撫でてくる、山ひとつでこれ程の気候の変動が未だに信じらない様子で、気温の上がった気候に暑苦しい外套と上着を脱いで涼しげな格好になった。
フィッシングの赤髪はやはり温暖な地域では映える。
燦々と照りつける陽光に輝く髪だけでも元から熱帯地方の人間かと思う程に似合っており、本人もこの陽気な気候を肌で感じると元気が出てくるように表情も明るく自然と笑みが溢れていた。
しかしベストラの検問所を通ると国の雰囲気ががらりと変わり、ぴりぴりした緊張感が感じられた。
「なんだ?」
至って町の雰囲気に変わりが無いように見えても何かがおかしかった、街道には多くの人が出歩いて活気があるように思えたが何かが足りなかったのだ、それは人の声だった
いつもより人の騒ぎ声が少ないように聞こえる。
「こんな静かだったか」
久しぶりの沿岸州なので自分の勘違いかと思われたがフィッシングの感覚は間違っていなかった。
声は聞こえる、店に立つ店員の物売りの声が町に響いていた、だがこれまではその店の声もかき消える細に人々の声があったはずなのに、今は人の多さに比べて騒ぐ声はなく静かだったのだ。
「ま、どうでもいいや」
リンに会いに来ただけで国に何か起こっていようが関係ないやと、フィッシングは気にせず郊外にあるリンの家へ向かった。
「フィッシュ!」
彼を見るなり飛びついてきたリンを優しく抱きしめた。
「よお、寂しかったろ」
当然だと言うようにリンは熱い接吻で答えた。
カルエをアルステルに送り届けてからの再会に、もう離れないぞと時間も忘れてお互いの体を擦り合い抱き合った。
「リン、もう良いだろ暑いぜ」
あぁんと体を離そうとするフィッシングに抵抗してくるリンに、
「落ち着けよ、すぐにゃ帰らねえよ、家に入らせてくれ水が飲みてえんだ」
と、リンを宥めた。
冷たい水をぐいっと一息で潤したフィッシングは、
「ふう、いきなり暑くなると体がおかしくなるぜ」
「向こうはまだ寒いのかい?」
そう言うリンの服装は布の服と短いズボンだけと言った軽い格好で、下着を着けていないのか動く度に胸が上下に軽やかに跳ねていた。
「まぁな、風はまだ冷てえしサスタークならまだ雪が残ってんじゃねえか、それよか何かあったのか、何か町が静かだったぞ」
「戦争だよ、ムングロとケルテがいがみ合ってて戦争をおっぱじめやがったんだ、ケルテが分が悪くなったからディストレアとベストラが援軍を出したんだよ」
「お仲間同士で戦争かよ」
呆れた様にフィッシングは言う、小国同士連合という形であったからこそ他国から攻められずにいたのに、今回の事で弱い国がより一層弱小国に成り下がる事になるだろうと思われた。
「馬鹿なもんだよ、ちょっと景気が良くなったからって調子に乗るからだよ、三国相手に勝てると思ってんのかね」
「弱えもん同士で潰し合って何が楽しいんだ」
「本当だよ、殺し合いより楽しんだ者の勝ちなんだよ、こんな風にね」
リンがそっとフィッシングの背中から手を回して甘い言葉を投げかけた。
「分かってんじゃねえか、へへっ」
「だってさぁ、随分ごご無沙汰なんだよ……今日はもう寝かせないからね」
「そいつぁ長い戦いになりそうだな」
ふふっと二人は笑い、フィッシングはリンを抱え上げると部屋の奥へと消えていった。
丁度この頃グルバヌス達が街道を破壊し、援軍として向かったディストレアとベストラ軍の本隊が足止めを食らっていた、
数カ所に渡る街道の崩壊でケルテの町に入りきらない兵士達で溢れていた、その兵士達も生きた人間で何日も留まるにもそれなりの食糧が必要となる、その食糧事情は援軍を頼んだケルテ側に重くのし掛かり、初めの内は町が積極的に便宜を図っていたが人々の不満は日を追うごとに高まってきていた。
人々からすれば日に日に食事が貧しくなり、そうでなくとも元々食糧事情が乏しいケルテ国だ、食べ物を買うにも品物自体が手に入りにくくなってくればどうしても苛立ちが募ってくるのは当然の結果だった、そうなれば町の方も出て行って貰いたいと思う様になっていた。
その間に先行組がいる対岸の方から現れたのはムングロ軍の一団であった、それを確認したケルテの諸侯達が、
「ケルテが落ちたのか……」
沿岸州では強国であったケルテがムングロにやられた、この事実に驚愕し落胆していた。
どうすべきか国王はどうなったのか、確認も指示も得られない状態で諸侯達はお互い話しあったが結論は出ず対岸のムングロ軍と睨み合うしか出来なかった。
その対岸の首都ケルテではムングロ軍が歓喜の雄叫びを上げていた。
城を取り囲み捕虜にしたケルテ軍を前面にムングロ軍はケルテ王に降伏の勧告を叫んでいた。
「首都は既に我がムングロ軍で占拠した、潔く降伏せよ」
グルバヌス達が大半のケルテ兵を排除してくれたお陰で、一気に首都まで進軍をしてきたムングロ軍の勢いを止める事は出来なかった。
此処が最後と首都で決戦を挑んだケルテ軍だったが、最後は僅かに生き残ったケルテ兵は剣を置いた。その後に分断され国に帰る事が出来なくなったディストレア本隊を撃破して破壊された街道に姿を現したのが、先程対岸から確認出来たムングロ軍であった。
完全に首都を取られ城門を固く閉めて籠城の構えを見せたケルテ王は。苦汁の表情で臣下達に謝り降伏の意を告げると国王自ら先頭に立ち城門を開いた。
そして勝利の雄叫びが巻き起こりムングロ国がケルテ国を破った事に歓喜した。
沿岸州の歴史から言えば快挙である、港町から始まった小国がキエヌの手助けがあったとはいえ戦争に勝ったというのは歴史から見て快挙というしかなかった。
直ぐに伝令が本国に走る、だが首都までは占領したとしてもそこから北部をどうすべきか指示を仰がなくてはいけなかった。
破壊された街道の復旧だけでも数ヶ月は掛かりそうである、しかもその先には敵が待ち構えているのだから簡単に直す事も出来ない、しかし街道を直さなくては北方と南方を繋ぐ幹線道路で、経済に大打撃となる為、放置するわけにもいかない。
そこでムングロ軍は崩れた街道から対岸の敵兵に向かって大声でケルテ陥落、国王の降伏を叫び何とか伝えようとした。
北部の兵達はムングロ軍が何かを叫んでいることは分かるが、余りにも遠く聞き取れず煽られているのかと眺める事しか出来ずにいた。
「やむを得ぬか……木組みで橋を架けろ」
「しかし繋げた途端に攻め寄せてくるのではありませんか?」
「崩落は三カ所、二カ所までは問題無かろう、あれだけのムングロ兵がいるという事は……考えたくは無いがこちらも陛下の事が気に掛かる」
このままでは埒が明かないと、ケルテの諸侯は崩れた街道に橋を架けて相手が何を言っているのか聞き取れる所まで近付く事に決めた。




