1048 狭路の戦い
初めは合同会議の言い争いから、今では戦争規模にまで拡大してしまったムングロ国とケルテ国の争いは、留まる事を知らないようで日増しに激しくなっていた。
元々はムングロに豊漁が訪れたのを機に貧困国からの脱却を図った所為でもある、その恩恵を受けられなかったケルテやディストレア、ベストラの三国の不満は不信から少しずつ亀裂が広がってきたのである。
そして今、ムングロ、ケルテ国間の緩衝地帯での小競り合いは、お互いの国軍総出の戦いになっていた。
総出と言っても狭い沿岸州の街道で全軍が戦える道幅もなく、せいぜいが二、三百程度のぶつかり合いではあるが、小国同士にとっては国の命運を賭けた大戦争である。
沿岸州で最大の兵力を持つケルテと、急上昇した経済力を使って正規兵を増やしてきたムングロとは、お互いの検問所まで押し込み押し込まれと一進一退の攻防が続いていた。
街道を塞ぐ敵の死体は邪魔になると海に投げ捨てられ、死ねばこんな非道な扱いをされるのかと戦う兵士達も死なないよう、仲間が倒されれば必死に自軍まで引き摺って少しでも家族の元に返せるよう回収されていく。
夜になれば自然と自陣に下がり明日の為に英気を養うという暗黙の休戦が行われ、一見すると穏やかな戦争に思えるが、暗く狭い街道で戦えば海沿いの崖に落ちて転落死という戦争とは別の死に、お互いにそんな無駄死にだけはしたくないという意識があったようだ。
そんな拮抗した戦いもついに崩れる日がやって来た。
押され気味にじりじりと後退していき、後ろに検問所が見え始めるまでの所まで下がってきたムングロ兵が、
「もっと味方を前に出して交代してくれ、俺達をいつまで戦わせる気だ……ぐっ」
叫ぶ兵士の泣き言も喧騒と敵の剣によって掻き消される。
後衛も前に出ようとするが密集した人に通る隙間もなく、前衛は後ろに下がろうと押し合いが生じていた、やっと前に出られると思った時には直ぐ目の前に敵が居る状態で、一気に危機的状況に放り込まれる兵士達がバタバタと倒されていった。
「検問所まで一気に押し込め」
攻勢のケルテ軍から檄が飛ぶ、いつもなら今日はこのぐらいにしておこうかという場所で、更に前進の命令に兵士達も今日は何かが違うと感じたようだ。
まだ日中、日が暮れるには早い時間で検問所まで押し込めた絶好の機会にケルテ軍はここで形勢を有利にしておこうと考えた。
戦場の匂いとも言うのか、長く戦っていると今日はいつもとは雰囲気が違うのを感じ取る事が出来る、それを感じたムングロ兵の顔が緊張に包まれ敵の猛攻に及び腰になっていた。
ひっ。
何でも無い敵の一振りにも驚き、体は後ろへ自軍の後ろへ姿を隠そうとするが、後ろからは前に前にと押し返され逃げる事が出来なくなっていた。
いくら頭数を近付けたところでケルテ兵は建築、土木派遣で鍛え上げられた屈強な傭兵がいる、却って昨日今日入隊したムングロの新兵では練度や実力が違いすぎて、こういう状況で踏ん張れるかの力が試された。
「検問所まで後退」
流石にこれは不味いと思ったムングロ軍が検問所を盾に守ろうと後退するが、それを好機とケルテ軍が検問所に雪崩込んでいく。
止まらぬ勢いに更にムングロ軍は後退を余儀なくされ、ついにケルテ軍に領内の侵入を許してしまう。
こうなってしまうとムングロ軍は何処で防衛をすべきかを考え、一番近いムーベの町まで下がって防戦線を張る事にした。
「どうしますか、このまま一気に押し込みましょうか?」
ケルテ軍も検問所を取れれば明日から此処を拠点に出来ると考えていたのだが、敵が取り返しに来ずに一気に撤退を開始した事に更に内部へ前進するべきか迷っていた。
中途半端な太陽の位置に軍を任された諸侯は判断に悩み、今日は此処で野営する事にして、国から兵站と物資の要請と戦況報告に伝令を飛ばした。
「やっと戦況が変わったのだ、ここは慎重に行こう」
軍事では沿岸州で一番のケルテも、ムングロのここまでの戦いを見て簡単に落とせそうにない事は分かっていた。
このケルテ軍の行動でムングロ軍は作戦を練る時間と準備をする余裕が出来て助かった、しかし国側としては被害の大きさと何より国内に侵入された事に大きな衝撃を受けていて、
「国に敵を招き入れるとは何と言う事だ……どうするのだ」
「全くです、兵士を増やしたというのに何をしているのでしょうか我が軍は」
「緊急でもっと人を集めるのだ」
集まる大臣達が軍の醜態に苛々と口調が荒れていた、大臣達からすれば兵士を増やしてやったのにという思いがあるのだろう、それなのに押されて自国に敵が侵入してきた結果に焦っていた、ここからケルテ軍を追い出す事が出来なければ自分達の身にも危険が及ぶからで、なんとしてもムングロ軍には勝って貰わなくてはいけないのだ。
そんな自分の身を一番に考えているのは他でもない戦っている兵士達だ、国が侵略されどの様な処分をされるかを気にする前に、彼らの目の前には生か死かが迫っているのである。
ムーベの町は兵士で溢れ返る、それ程大きくない町は喧騒で埋め尽くされ、走り回る兵士と命令が飛び交い、町の至る所に配置された部隊に荷物が運ばれていくのを、何をしているんだとそこに住む人々は固唾を呑んで眺めていた。
一夜明けて明るくなるとムーベからムングロ軍が、検問所からはケルテ軍が兵を移動を始め街道上で戦闘が始まった。
昨日の動揺が消えたムングロ軍は、部隊ごとに入れ替えを行う戦いを取り入れたようで、ケルテ軍の勢いを抑えつつ懸命に戦闘を維持しながら号令が来るまで戦い続ける。
「後退、後退」
ムングロ軍はその声を聞くと一斉に下がるのではなく、まず後衛が距離を取って下がり戦闘態勢が出来ると前衛が後衛の影に隠れるように一気に後退をするという移動の仕方で、それを繰り返しながらムーベの町まで少しずつ下がって行った。
ケルテ軍は撤退していくムングロ軍を追いかける、昨日と同じくまだ日は低く、この調子だと今日中に町を占領出来ると踏んだケルテ軍は勇んで敵を追いかけてはムングロ軍を追い込んでいく。
すると、ムーベの町が見えてきた辺りからケルテ軍の中で不穏な事を言う者が出た。
「この辺りは……確か」
傭兵として戦っていた兵士がムーベの町が見えてきてから何かを思い出したように考え込み、
「そうだ、町に入ると左側に住居が広がってて坂になってたんだ」
その言葉の意味する事が何かを言う前に彼は町に入るなと周りに伝えた。
土木、建築で何度か派遣された町の特徴を思い出した傭兵は、坂に気を付けるよう前を進む兵士達に叫ぶが声は虚しく軍はムーベの町に入った。
街道から町に入った途端に景色が一変する程、視界が広がったと思った途端、ケルテ軍で悲鳴が巻き起こった。
左手には崖が抉れた様に広がった土地に、見上げるぐらいの急な坂には家々が密集しており、その家々から弓や投石が雨あられとケルテ軍に降り注いできた。
この時代の弓は飛距離がなく木製の弓では威力も低かったが、それを補うように高所を利用して攻撃を仕掛けてきた。
投石も同じく高さを利用すれば威力が増し、狭い街道からやって来るケルテ軍には逃げる場所がなく、適当に投げても誰かに当たった。
当然それだけでケルテ軍を壊滅まで持って行けるはずもない、彼らには籐で作った軽い盾を腕に付けており、弓や石などを防ぐ手段があった。
一時は驚き何十名かはやられてしまったが、盾を頭上に身を守ると再度前進で町の侵入を試みる。
そこはムングロ軍も予想をしていて、次にケルテ軍の前線に投網が投げ込まれ網に絡まって動けなくなった所にムングロ軍が突撃すると、身動きの取れないケルテ軍は為す術無く剣の餌食となって前線の数百名はあっという間に街道上で深い眠りに就いていった。
阿鼻叫喚となったケルテ軍は急いで後退の合図を繰り返すが、前線にいた者達の殆どはやられてしまい大損害を被ったケルテ軍は検問所まで逃げるように退却していった。
わあああっと、昨日の苦い思いを吹き飛ばすかのような大歓声がムングロ軍に起こる、しかし双方被害を出したとはいえ戦争が終わったわけでは無い。
ここまで拡大した戦争になればもう決着の終着点は話し合いではなく、勝敗を決するまで止まる事はない所まで来ていた。




