1030
悪夢のような結果になった。
エストラ軍は南へ町から逃げるように後退すると、進路を東に変えガル国外へ飛び出すように脱出を図る、諸侯、部隊長を守る様に固まって動く者が居れば行動に付いていけず背後のガウリス軍に恐怖して散り散りに森の中に身を隠す者と、エストラ軍は早く周囲が見渡せる広い平原に出ようと必死に森を駆け抜けて行った。
「ストレイ、殿は任せて先に行け」
仲間の声に応える暇も無く視線だけで応じたストレイ候は守られながら森を抜け出てくると、脱出出来た兵を纏めさせた。
続々とばらばらに森を抜けてくる兵達が平原に集まっている味方を見て置いてけぼりにされたのでは無いかと安堵の表情に変わる、逃げ延びた兵の数はこの時で半数ぐらいしか見えなかった。
戦闘でもかなりの兵がやられ、退却の際に逃げ遅れた者がまだ森の中にいるのだろうが、この場に留まるわけにもいかない。
「セリウスがガウリス軍を引き付けてくれている、それを差し引いてもこの数は何たる有様だ……」
絶好の機会だと思い、計画にも抜かりは無く情報が漏れないように隠密行動を徹底していたのにどうしてガウリスにばれていたのか、メラルドに行っていたのは影武者か偽情報だったの言うのかと、いくら考えてもあの場面でガウリスがやって来る事に納得出来なかった。
「仕方ない一旦国に戻り再編するしかない……移動」
まだ森から出てくる兵士達を尻目にエストラ軍は国に移動を開始した、その時、森の中から歓声とも就かない声を張り上げやって来る者がいた。
ガウリス軍である。
殿を努めたセリウス隊はガウリスの進行を食い止める事が出来なかった様だ、飛び出して来たガウリス軍を見てストレイ候は戦う気もなく全軍撤退の合図を飛ばした。
追ってくるガウリス軍に逃げるストレイ軍、最後尾から飲まれていく兵士達を気に掛けている暇も無く一直線にエストラを目指して馬を走らせた。
ガウリスも逃がす気は無いようで、先頭に立つガウリスは何度も全速力の号令を掛けては追いついたエストラ兵を斬り倒していく。
「逃がすな、戦う気も無しに我が国に攻めるとどうなるか思い知らせろ」
こうなったら草食動物と肉食動物の追いかけっこのように、逃げるだけと追いかけるだけの隊列が平原から荒野に変わるまで続けられた。
「これでは馬がバテてしまいます」
「分かってるが、後ろにはガウリスが居るんだぞ」
此処で足を止めれば一気に飲み込んできそうなガウリス軍に、恐怖でストレイ候は止まれの命令を出せずにいた。
「先行して前の部隊に停止命令、隊列を組んでガウリス軍を待ち受けろと伝えてこい」
「はっ」
ずっと前を走る部隊なら隊列を組む時間ぐらいはあるだろうと命令を出した、ストレイ候は何処かで一度ガウリス軍と対峙をしなくては全滅させられると考えた。
「全軍停止」
ガウリスが手を挙げ叫ぶと、ゆるゆると進軍の足が止まり始めると、後続が次々と合流を果たす。
前方にはエストラ軍が行く手を遮るように横並びで待ち構えていて、その中へ逃げ延びたエストラ軍が吸い込まれる様に消えていった。
お互い馬は疲労を隠しきれず荒い息を吐いていて、直ぐに戦闘に入ろうとはせず距離を取って睨み合った。
「総指揮を執っている者は誰か、出てくるが良い」
そこにガウリスが声を張り上げエストラ軍の総大将を呼びつけた、すると一騎の馬が前に出て来て、
「エストラ軍を率いるはストレイ・アーダン侯爵だ」
「若造のストレイか」
その頭脳を生かして何かと進言しては嫌がらせを受けているというのをグルバヌスから聞いた事があった、生まれは名家で教養もあるからグルバヌスのような人間を毛嫌いしているらしい。
(典型的な坊ちゃんのようだな)
ガウリスも名門の家系出身だが、ストレイ候とは正反対に育てられていたので己を客観的に評価し傲慢にならないよう自制出来たが、彼の様にグルバヌスの人を見抜く力の無い者は、己に対しても過大評価しているようにガウリスには見えた。
「おおかた儂や陛下がいないのを好機とみて攻めてきたのだろうが、戦略だけで戦争に勝てると驕ったか、ふっ」
ガウリスの目には痩せ細った子共にしか見えないストレイ候にその様な印象を持った。
「何故我が国との和平を破り攻め入ったか」
ガウリスが叫ぶと、
「知れた事だ、我が祖父達の苦悩を知ればキエヌに復讐しかないだろう」
とストレイが答える。
「それで和平まで破り祖国を窮地に陥らせるとは、愚かな孫と祖父も呆れておるだろうな、ははっ」
「ぬかせガウリス、一時的な和平などどうせお前達が破る為の時間稼ぎだろう、キエヌが攻めてくる前にこちらが先に攻めたまで、エストラとキエヌは永遠に相容れぬ」
「折角の平和を捨ててまで早死にしたいようだ、愚かな国だ」
(ゼペスも愚かな臣下を持ったものだ、グルバヌスが作った平和を享受していれば長生き出来たものを、やはりエストラに新時代の波を受け止める力はないか)
「お前をここで倒せば良いのだ、此処を墓場と思えガウリス、突撃」
数が減ったとはいえまだガウリス軍とは二倍の二万弱の兵がいる、あの狭い場所とは違い広い平地なら思う存分戦えるだろうとストレイ侯は全軍に号令を掛けた。
敵の魔道士も祖国から遠く離れた此処までは追いつけなかったのか、何処にもローブ姿は見当たらず剣と剣の勝負ならまだ勝機はあると踏んでいた。
両軍大声をだして距離を詰めていく、カーンッ、カキンッと金属音が乾いた荒野に響き渡ると、一カ所に三万の兵が合流していった。
鳴り止まない怒号と打ち合い、悲鳴と雄叫び。
キエヌ兵の強さは有名だがエストラ兵もこれまでのような臆病風に吹かれて逃げ腰で戦う様な事もせず、しっかりと戦えばキエヌ兵に向かって行くだけの気概は持ち合わせていた。
確かにエストラ兵の練度は上がっている、先の大戦で生き残った者達が培った経験が自信を付けさせたのだろう、臆せず果敢にキエヌ兵に向き合い傷付いた味方を守る様に前に出ていく姿は、エストラ兵は弱いの印象を払拭させるのに十分な戦い方だった。
「ふむ、前に比べてやるようになった」
ガウリスの印象も同じであった、しかしそれだけである。
少し強くなっただけでは百戦錬磨のキエヌ兵には勝てない、ガルとの長い争いで一人一人の役回りが出来ているキエヌ兵は、誰に指示されなくとも一糸乱れぬ隊列と行動が身に染みている、それに比べてエストラ軍は後方から部隊長達の檄や怒号が飛び交っていた。
一人のキエヌ兵を倒している間にエストラ兵は二、三人が倒されていた、その結果は時間が経つに連れて明らかになっていく。
「閣下、我が軍に勢いがありません、のままでは全滅させられます次の指示を」
「くそう、ここまでか……」
倍の数で応戦していたのが同数に近付きつつある戦況に、ストレイ候はガウリス軍の強さを思い知らされていた。
「退け退け、後退」
たった二刻の戦闘でガウリス軍の数は減らせた、だがそれ以上にエストラ軍の数も激減していて、集められた兵で撤退する総人数は一万と少しまでになっていた。
「逃げ足だけは上手いようだ」
ガウリスは追撃の合図を掛けようと手を挙げた時だった。
「お待ち下さいガウリス様」
と、後ろから黒い塊が声を張り上げ地面を滑るようにやって来る。
グルバヌスだった。
彼はガウリスの前で跪き追撃を止めるように言ってきた。
「これ以上の追撃はお止め頂けないでしょうか?」
「何を言われる、貴殿がエストラ侵攻を教えてくれたではないですかな、それにもうエストラから出国されたはず、今更あの国に恩義を感じる事もないでしょう」
「そうですが……例えそうでしてもあの国には守りたい人達がおります、その人達の為にもどうかこの辺りで兵を引いて貰えないでしょうか」
グルバヌスにはそれが国同士の争いであり、自分の言ってる事が自己満足に過ぎないのも分かっていた、だがこのまま戦闘が続けばエストラ本国が戦場になりかねず、ダント夫妻やルイネ達使用人に被害が及ぶまでの事は望んでいなかった。
そうする内にキエヌ方面から部隊がぞろぞろと応援に駆けつけてきて、減った兵数は元の一万よりも増えていた。
諸侯達がガウリスに挨拶に来て目の前で跪くグルバヌスにも目を向ける。
「グルバヌス殿、このままではキエヌの立場として退けぬ、放っておけばまたいつの日か軍備を整え攻めてくる、和平も破られ攻められるだけでは国を守る者として面目が立たぬ、全軍追撃、エストラを落とせ」
おおっ、とガウリス軍と合流したキエヌ兵達がエストラ軍を追って駆け抜けて行く。
頭を下げて懇願するグルバヌスにガウリスは、
「貴殿が守りたいものは国か人か?」
「……心優しい人達、であります」
「了解した」
と、だけガウリスは言うと馬の腹を蹴って走り出していった。




