1026 最後の言霊
ただ楽しい時間を過ごしたかった、あの甘い口づけからの再会に心浮かれないはずが無く、また二人の世界に溺れる日々が来るものだと思っていた。
しかし現実は隠そうとしていた事実から目を背けて、二人にとっての重大な問題から逃げていただけだった、国王と国もない一個人、誰がどう見ても結ばれる事を祝福されない一組であるのは本人達が一番よく分かっていた。
ただ口にするのが恐かった、一度でもその話になれば結果が分かっていた事だ。
長い片思いからやっと相思相愛だと分かったのに、もう別れなくてはいけないなんて残酷過ぎる告白だった、だがそれは彼女も同じ気持ちのはずだ。
何日も悩んだ決断を伝えなくてはいけないとどれだけ苦しんだ事か、だから彼女を責めるつもりもなかったのだ。
(俺の出来る事はラミールにいる間、レシティさんとの思い出を作る事ぐらいだ、この地を離れればもう次からは今の関係がなくなるなら、最後にあの人との思い出を心に刻んで帰ろう)
庭園のお茶会でレシティに時間があれば食事を一緒にしませんかと提案すると、彼女は二つ返事で了承してくれた。
(もう此処にいられる時間は短い、会う度に次の約束を取り付け少しでも一緒にいられる時間を増やそう)
それから毎日の昼食は一緒に食事をするようになり他愛の無い会話や、これからどんな国にしていくのか悩んでいる事を聞いたり、北方での生活の難しさを教えてあげたりと、当たり障りの無い程度で悩み相談をし合い笑いのある時間を過ごしていった。
会話をしているとやはり楽しい、昔を思い出すような時間の流れに二人の会話は弾み、別れ話をしたとは思えない感じだった。
あっという間に五日、六日と過ぎていき一日が早く感じられていく中、タリアはレシティに告げた。
「レシティさん、明後日には北方へ戻ろうと思います」
「……えっ、もう帰られるのですか、期間は決まっていなかったのでは?」
「はい、雪が解けるまでならいつまででも良いと言ってましたが、私もけじめを付けようと思います、レシティさんとは沢山お話しましたのでもう心残りはありません、これ以上はお互いの為にならないでしょう」
「……そう、ですね」
お互いの為に関係解消を自分から言い出した手前、無理に引き止められないレシティは寂しそうに言う。
「では最後に一緒にあの丘に行ってくれませんか?」
やはり二人にとっての思い出の場所と言えばあそこしかなかった、あの場所をレシティが最後に選んだのも彼女にとっても印象に強い場所なのだろう。
タリアも最後にあそこへ行きたいと思っていたので、はいと笑顔で答えた、そしてレシティの指定した時間というのが翌日の夜であった。
人通りの途絶えた通りを一台の馬車が静かに駆け抜けて行く、国王が護衛も付けずに市街を走るなんてと驚かれるだろうが、彼女はそんな事を気にもしていないように堂々としていた。
隣に座るタリアの方が心配で仕方が無いと言った具合に、何度も数人でも護衛を付けた方が良いのではと聞いたぐらいだった。
「最後なんですよ……今日ぐらいは良いじゃ無いですか、私にとっても先生にとっても」
こういう所は昔の彼女のようである。
あの夜も御者と二人だけだった、嫌なものは嫌と言って城の催しから抜け出す程に彼女は自由だった。
自分の生き方はこうだという強い意思を持った彼女はとても輝いていて憧れだった、その時の彼女が戻って来たようにタリアは感じていた。
馬車は目的地まで止まること無く突き進み、丘の手前で漸く止まった。
御者には此処で待っているようにと告げ、レシティとタリアは一歩一歩丘の頂上までゆっくりと歩いて行った。
「あの夜もあんなに空が輝いていましたね」
「えぇ」
言葉少なげだが確実にあの夜の事を思い出しているであろうレシティと丘の天辺までやって来た。
柵のある場所で立ち止まると二人は一緒に空を見上げた。
同じである、あの時と同じく満天に輝く星々を眺め感動していると、
「あの時に戻りたい……町も国も私達も、あの星と同じように昔に戻りたい、どうして人だけがこんなにも変わっていくのかしら」
ぽつりと空を見上げながらレシティが呟いた。
「……」
本当にそうだ、俺達は刻一刻と状況が目まぐるしく変わるというのに、何年経っても変わらない瞬きを放つ星々を見ると羨ましく思えてくる。
「そうですね、時間の流れが早過ぎるんです……こんなにも時間が早く流れないでもっとゆっくりでも良いはずなんです、人の生なんて短いのに次から次へと選択させられ幸せを願っていたはずが結果を見ればこんな形になるなんて、人生とは無常に思えて来ます」
「私が国王になるなんてあの頃の私では考えられなかった、騎士として国を支えて生きていくのが私の人生だと思っていたのに、今では守られる側になってしまったわ、こんな人生で良いのかと時々考えさせられます」
「私だってそうですよ、ただの家庭教師が今ではギルドに追われる野良になってサレス様の付き人になるなんて思っても見ませんでしたし、この先の人生をよく考えさせられます」
タリアがレシティに顔を向けると、彼女も同じように顔を向けてきて二人は視線を交わらせると笑い合った。
「でも今では良かったと思ってます、こんな私でも貴方を好きになれた、北方という遠い地の人間が南方の王族とこんなにも身近な関係になれた奇跡に感謝するしかないです」
「そんな事はありませんわ私はただの人間ですよ、王族だからと特別な力があるわけでもないんですよ、それにこの血筋によって縛られて国王にまでさせられたのですから私にとっては呪いとしか言いようがありません」
しかしどんなに嘆いても過ぎた過去を修正できないのがこの世の切なさと言うべきか、それぞれの道を歩き始めた二人には前に進むしかなかった。
「夢を見させてくれて有り難う」
タリアは最後は男らしく行こうとレシティに言った。
「先生……私も初めて好きになったのが貴方で良かった」
闇夜の中で二つの影が重なり合う、長い、これからの長い人生を生き抜くのに必要な思い出を作ろうと、二人の最後は時間を掛けて温もりを感じ合う無言の口づけとなった。
翌日、大広間で北方に戻る事を伝えた。
「サレス様にはお体を大事に、国家建設のお遊びもほどほどにして下さいと……いつでも我が国はサレス様のお戻りをお待ちして居りますとお伝え下さい」
静かだが張りのある声でレシティが言うと、
「その様にお伝え致します、国王陛下には長い間お世話になりましてご迷惑をお掛けしました、ではこれにて失礼致します」
とタリアは大広間を振り返る事無く出ていった。
(もう思い残す事は……感傷だ、詮無き事だな)
ここからは自分の人生を歩むしかないのだから思い出に浸るのは止めようと導路で一気に飛んだ、サレス達の待つ雪で埋もれているであろう名も無き国へ。
世界はラミールほど平和では無くなっていた。
沿岸州ではムングロとケルテの紛争、その南ではエストラの和平は気による侵攻が勃発、北方ではエスタルがローザンとの対決の準備を始めている。
小さなさざ波が各地で起こり慌ただしく混乱の様相を呈していた、全ては欲望のぶつかり合い、嫉妬と憎悪が根源となっていた。
タリアとレシティのような平和な解決が出来ていれば争いなど起きなかっただろうが、個人とは違い国家は威信を賭けている為、全体の意思が統一されない限り止まる事はなかった。
今まさに世界は軍靴の足音が各地で鳴り響き、人々はまだ身に迫る戦火にまだ気付かずにいた。




