1025 温かな涙
懐かしいがもう自分の物も場所も何もかも無くなっている、元々与えられた物だったが居場所まで無くなるというのは少し寂しい気持ちになる。
(今は此処にいるしか無いか)
プリヴェルスの丘以外で良く行っていた所なんてサレスの公邸ぐらいしかない、その公邸も今は時折清掃にくる使用人ぐらいなもので、主の失った公邸はひっそりと静まり次の主を待っている。
(もっとレシティさんとお話が出来ると思ってたんだけどな、こうも暇だとは思わなかった)
元とはいえ、一応はサレスの使者として来ている為、外出や城内をうろうろし過ぎるのは不審な目で見られるのも印象が悪いからと、なるべく部屋で大人しくしていた、それが功を奏したのか、その日の朝食を運んで来てくれた女官から、本日昼過ぎに一緒にお茶でもどうですかと国王陛下からの言伝を貰った。
(おおっ)
やっと来たとタリアは思い、喜んでお受けしますと返答をする、朝からいい話が舞い込んで来たと早く昼にならないかと思いながら朝食を食べた。
何日ぶりだろうか、レシティに会うというだけでタリアは心躍る気分だった、何度見ても毎日でも飽きない彼女の顔はずっとそばに置いておきたいお人形さんのようなのである、それが話しかければ答え表情を変えるなんて夢の様な存在だ。
(あぁもう、どうしてこんなにも時間の流れが遅いんだ……)
食事を終え服を着替えたタリアは部屋の中をうろうろと歩き回って、昼食はこの後、国王陛下とのお茶が控えていたので抜きにして貰った。
(レシティさんに出された物が食べられなくなったらどうするんだ)
タリアは高ぶる気持ちを持ったまま昼を過ぎた頃、やって来た女官に名前を呼ばれて慌てて扉を開けた。
「タリア様、国王陛下がお待ちになっております、こちらへ」
と女官に連れられて何処に行くのかと思っていると、城の三階にある庭園へと向かった。
花壇の並ぶ庭の中央に置かれた円卓にレシティは座って待っていて、女官に促され椅子に座った。
「先生ご免なさいね、最近忙しくてお話も出来ずに申し訳無いです」
「いえ、お構いなく……こちらがいきなりやって来たのです、お部屋まで用意して頂いてこちらこそご迷惑をお掛けしております」
「陛下、お茶と焼き菓子で御座います」
「ありがとう」
「タリア様もどうぞごゆっくりと、失礼致します陛下」
「有り難う御座います」
女官が用意してくれた温かいお茶と焼き菓子が目の前に並べられると、女官はその場から下がって行く様子を二人は眺めていた。
「やっとゆっくりとお話が出来ますね」
「はい」
爽やかな天気に緩やかな風が二人の間を駆け抜けて行く、乾いた空気は暑くも無く寒くも無い、さらさらと緊張で汗ばんでいた体が乾いていく気持ちの良さに、タリアの緊張もほぐれていくようで、五日ぶりの再会は周りを気にせず会話の出来る喜びに我慢していた鬱憤も解消出来た。
「何処かにお出かけしましたか?」
「はい、と言ってもそれ程思い出のある場所が多いわけではないのですが……プリヴェルスの丘に足を伸ばして来ました」
「まぁ……あの場所を好きになって下さったのですか」
「勿論ですよ、私にとってはかけがえのない思い出の場所ですから、あそこから見た景色は昔と変わらない美しいラミールの町が見えました」
「嬉しいです、私と同じ思い出を共有してくれるなんて、あの場所にお誘いできて良かったです」
レシティが嬉しそうに手を叩く。
当然だ、あの場所で眺めた夜空の記憶は二人だけの思い出で、誰にも邪魔は出来ない二人だけの共有財産なのだとタリアは感じていた。
「他はもう……前に住んでいた家も変わっていましたし、町の至る所の風景も変わってしまいましたがあの丘だけはそのままで良かったと思いますよ」
レシティが頷く、守り抜いた故郷がどんなに様変わりしようとも此処は自分の国だという自負がある、そしてこの国をもっと素晴らしい国にしようと彼女は頑張っているのだ。
「覚えてますか、別れの日の事を」
「はい」
忘れるはずが無い、お互いの気持ちを確認し合った事を、垣根を越えた愛の証明を交わした接吻。
甘い時間だった、短い僅かな時間だったが、あの事があったので長い旅路を乗り越えられたのだと思う。
「長い旅をしてきて心変わりをされても仕方が無いとは思いますが、今もお気持ちはお変わりありませんか?」
「勿論です、ずっと貴方だけを想い旅をしてきました、それはどんなに離れていても変わる事はありませんよ」
「そうですか……私にとっても初めての事、どんなに忙しい日々を過ごしていてもあの日の事を忘れるなんて出来ませんわ、とても素晴らしい夜でした」
まだお互いがお互いを求めている事が分かり、嬉しさの余り照れ笑いをするタリアにレシティが言う。
「お気持ちは分かりました……ですが先生、もう私の事は忘れて欲しいのです」
「……へっ、どど、どうしてですか?」
いきなり何を言うのかとタリアは言葉に詰まった。
「何故……急にそんな事を」
やっと二人になって甘い会話で盛り上がっていたと思った所に、急転直下の話に変わってしまったのか、何かいけない事でも口走ってしまったのかと、タリアは自問してみたが思い当たる節も無く訳が分からない。
レシティの表情に翳りが見えた、明るく美しい顔に表情が浮かばず真っ直ぐとタリアを見つめてくる目がとても恐かった。
「ご免なさい、こんな事を急に言えば先生が戸惑うのは当たり前ですよね、違うのです……私の気持ちは先生と同じで嘘偽りはありません、これは国家として国王としての私が決めた事なんです」
「えっと……それは?」
レシティが同じ気持ちであるといってくれただけで少し救われた気分で、落ち着きを取り戻したタリアは彼女にその理由を聞けるだけの勇気を奮い立たす。
「私達の気持ちは変わりません、ですがこのままではいけないのです、私はラミール国王、この国を存続させなくてはいけません……次の子へまたその子共達へ繋げる為の血脈を絶やしてはいけないのです、おわかりですよね……」
(あぁ……そういう事か、誰か血筋の良い相手との結婚、その為二は俺との関係を続けていく事は出来ないってか……気持ちの問題ではない、現実的な問題か)
「……とても理解出来ます、ただ気持ち的には今すぐ受け入れられるかと言えばかなり無理がありそうです」
「それは私も同じです、この数日間ずっと悩み考えていました、まだどこかでサレス様が戻って来るのではと……けど建国すると聞いて国の在り方に気が付いたのです、あの人にはあの人の生き方があるのに私はどうなんだろうって……国を守るだけが私の役目なのか、そうではないでしょう、この後もこれからもずっとラミールを守る為には私にはもう一つの役目があるんだと、子を産み育て引き継ぐ役目、そう考えると先生の気持ちを無視する事は出来ず、どこかでけじめを付けないといけないとずっと悩んでいました」
(俺はその間、貴方にいつ会えるのかとわくわくしていたって訳か)
自分でも頭の片隅では分かっていた事実だった。
一緒になれないと何度も反復し受け入れていた事だったのにそれを言葉として言われた瞬間、全身に電気が走り、その言葉の重みに押し潰されそうになってしまった。
(あぁ情けない……何度も確認していた事じゃないか、それを彼女の口から言わせてしまった自分が恥ずかしい)
とさえ思った。
いつかこうなるだろう、こういう時が来るのが自分でも恐ろしかった、もっと甘く楽しい時間を過ごしていたくて問題を避けて引き延ばしていたのだ。
「済みませんでした、レシティさんからそんな事を言わせてしまって……分かっているんです、私とレシティさんが結ばれる事なんて無いと、頭では分かっていたし理解もしていた、なのにそれに向き合わなかったのは貴方を失いたくは無い、無理なのが分かっていながら……です、まだ、まだと問題が内容に振る舞って貴方との時間をもっと作りたかったのが本音でした」
「……先生」
レシティも本音ではもっとタリアと恋愛というものを経験していたかったのだろう、なんといっても騎士として努め、戦争という血なまぐさい戦いに身を置き、国王として立つまでの間に恋愛や男女の仲といった女性が恋い焦がれる経験をする暇も無かったのだ、例え男勝りだとしても彼女も一人の女性であり、一度は恋をしたかったと思っていても不思議では無かった。
そうさせなかった時代の流さに彼女もまた翻弄されていたのだ。
「大丈夫です、レシティさんが一番幸せと思う道を進んで下さい応援します、ですが今、私がこの国にいる間だけでも貴方の事を想わせてくれませんか?」
タリアに対する彼女の答えは、頬を伝う一筋の涙と有り難うの一言だった。




