1020 出郷
「ダント様もキエヌに攻め入る事に賛成なのですか?」
「……」
邸宅に戻ってきたグルバヌスがダント候に詰め寄り、一番の理解者だったダント候さえもストレイ候の意見に反論もせず状況を眺めていた事を言及した。
いつもならグルバヌスと同調して進言してくれていたのに、今回は何も言わずあの場の流れに身を任せていたし、帰りの馬車でも慰めの言葉やどうしたものかと助言もしてくれていたのにそれもなく黙って難しい顔をしていた。
グルバヌスは戦争をするべきではない、折角国内が戦争の痛手から回復し生活も豊かになってきたという時にまた多くの人が死ぬのには反対ですと言った、しかしダント候は、
「そんな事は十分分かっておる、だが今回のストレイの言葉は儂にも響いた、奴の言う通りこの様な機会は滅多にない、ガウリスと国王が不在なんぞこの先もうないかも知れぬのだぞ、儂も歳だ次の機会なんぞに期待は出来ぬ、生きている内に父や祖父の無念を儂の手で晴らしたい、分かってくれ」
「私はダント様に助けて頂いてから恩を返す為、私にとっては故郷と呼べるまでにこの国の人々は優しく接してくれましたし、その人達が幸せになれるのであればと全力を持って働いてきたのです、それなのにどうしてまた戦争などと……私の願いはエストラが平和で幸せに過ごしてくれる、それだけなのです」
グルバヌスは必死に自分の思いを告げたのだが、ダント候は目を伏せ申し訳なさそうに、
「お前には分かるまいがエストラの人々の殆どはいまだにキエヌに対する憎しみが強い、迫害され逃げてきた祖父達が生き残りを賭けてこの地に国を作った苦労の上に儂らが立っておるのだ、どんなに平和であっても忘れるわけにはいかぬ、お前のした事はこの国の民達全員が感謝しておる、だがそれとこれとは別の話なのじゃ」
それでは私の努力は何をしても皆に伝わらないではないのではと思った、この国の為に苦心して作った水路も農地も、エストラが攻められず平和になるのならとガウリスとの密約もしたのに、エストラ自らが壊そうとするなら全く意味が無かったというのかと、グルバヌスのこれまでの苦慮も思いも勝手な思い込みだったのかと感じていた。
「そんな……どうしても止めて頂けないのですか?」
「陛下でさえこのような機会はそうそうないとお考えではないか、今回ばかりはお前の意見は弱く陛下を納得出来なかった」
「折角ここまで国が立ち直ってきたのにまた戦火に巻き込まれるのですか……」
グルバヌスは自身の心が崩れていく音が聞こえるように脱力した、もう何を言っても味方であるダント候さえ戦う意思が固まっているこの状況で戦争を止められる力はグルバヌスにはなかった。
ふらふらと歩き出したグルバヌスは、いつ自分が自室に戻っていたのかさえ記憶になく、気が付けば暗い部屋で放心状態で突っ立っていた。
「もうこんな時間に……」
ただでさえギルドに目を付けられているのに、そこに戦争も重なった事で悩み事で一杯になり、纏まらない考えに思考停止に陥ってしまったようだった。
少しずつ自分が建ててきた建物が足元から緩やかに崩れていくような感覚に、グルバヌスは現実感が無くまるで夢を見ているような感じだった。
「あぁもうやる気がなくなってしまいました」
暗い部屋で赤く光るグルバヌスの瞳に青い炎が一瞬めらめらと浮かび上がった。
ギルドの事も戦争の事もガウリスとの約束も面倒臭くどうにでもなれば良いのではないか、皆の為と奔走してもどうせ誰も真実を知らず自分勝手な事ばかりするだけならば流れに身を任せてなるようになれば良いんだと思い始めた。
「もう十分にダント様への恩も返せたはずです、どんなにこの国を愛し血心を注いでも所詮は他国の人間、分かり合えなかったと言う事は残念な事です」
このままここにいてもギルドが動き出せばまた迷惑が掛かる、それならいっその事、この国を離れようかと考えた。
ここが引き際か、後の事は何も考えていない、エストラを出ても北方に居場所も無く、行く場所は何処にも無かったが溜めたお金があれば暫くの間は旅をしながら生活ぐらいは出来るだろう。
「あとは……」
ガウリスとの事だ。
出会う前は生粋の武人で気難しく力に驕った相手だと思っていたが、話せば知的で理解力もあり話もし易かった、お互い隠し事はあるにしろ利害が一致した為、協力関係も上手くいっていて何かと馬が合う仲であった。
「今回だけは私にもどうにも出来ませんでしたね、和平を破棄するとなればまた敵対関係に戻るのでしょう」
エストラと戦争になる以上、ガウリスとの密約も和平あってこそでこちら側から破ったのだ一言謝らなければいけないなと考えたが、今ガウリスはメラルドに向かったようなので連絡手段がない。
「このまま国を出てしまうのも後ろ髪が引かれる思いですし、連絡だけでもしておきたいですね」
もうグルバヌスの中でエストラに残るという選択はなくなっていた、この国に対する気持ちは失望しか無い、あれだけ喜んでくれた笑顔の裏に本当の顔があったなんて信じられなかった、グルバヌスを持ち上げるだけ持ち上げてその成果を無駄にするような国に呆れ果てていた。
その日のグルバヌスは食事も摂らず自室で自分のしてきた行いの後悔に苛まれ続けた。
次の日、謁見が終わるとゼペス王に歩み出て男爵の称号を返上する旨を告げた。
「私はこれまでこの国の為に身を捧げて参りましたがこのような結果になった事は残念でありません、私にはこの様な称号を賜る資格は御座いませんのでお返し致します、この国に私のような余所者を受け入れて下さり有り難う御座いました」
「戦争する事はここにいる者の総意、それに従えぬので爵位を返すというのか?」
「はい、戦争という大事の前に私の様な反対する者がいれば士気にも関わると思いますので、私はここで身を退かせて頂きたいと思います」
「儂はお主の魔導に期待しておったのだが、お主に戦う意思がないというのであれば仕方ないか」
ゼペス王にも色々と便宜を図って貰った感謝はあれど、こればかりは手を貸す事は出来ず申し訳無く思い深々と頭を下げた。
これはゼペス王にとっても苦肉の策だっただろう、エストラ諸侯の圧倒的賛成に対し国王が決定した命令をグルバヌス一人の反対の為に取り消せない、かといって国の命令に背くのかと皆の前で注意すれば罰せねばならず、あえてグルバヌスの意向を受け入れ穏便に済ませる事が最適と考えた。
諸侯の人達からは仕方が無い、魔道士一人いないだけで何も変わらない、俺達だけで十分戦えるといった感じで澄ましていて、ストレイ候達、魔道士を元から毛嫌いしていた者達は声を出さなくとも口元に笑みを浮かべグルバヌスを見ていた。
これで邪魔者はいなくなった、今まで持ち上げ過ぎていたのが異常で、実際にいざ戦争をするぞとなった時にいち早く逃げ出してるではないかと、やっと皆にも魔道士がどれだけ臆病者なのか知らしめる事が出来てストレイ候はほくそ笑んだ。
(一人の魔道士なんぞ出来る事はたかが知れていたんだ、ガウリスを退かせた……ふんっ、ただの偶然をさもあいつがやったように見えていただけだろう、何でも不可思議な事をあいつがやったように思い込まされていただけなんだ)
この戦争で戦果を挙げてこの国に必要なのは魔道士ではなく、自分である事を見せつけてやるとストレイ候は意気込んでいた。
まさかグルバヌスが爵位を捨てるとまでは思っていなかったダント候は、大広間を一人俯き退室していく彼を悲しそうな目で見送り、邸宅に帰って来た時にはグルバヌスはカリン達と荷支度を済ませてダント侯の帰りを待っていた。
「お前……出て行くというのか、爵位を返しただけで何も出て行く事はなかろう、これまで通り食客として居れば良かろう」
「いえ私がここにいればダント様に迷惑が掛かります、命まで助けて頂いたのにこんな形でお別れするのは忍びないのですが今までお世話になりました」
「お前達もか……」
カリン達を見たダント候が悲しそうに言うと、
「私の弟子として連れてきたのですからここに置いていく訳には行きません」
いきなり邸宅からグルバヌス達三人もの家族が消えるとは思っていなかったダント候は、目に涙を浮かべ泣き崩れた。
これまで家族同然、息子娘が出来たと喜んでいたのに、たった一つの意見の違いで分かれ離れになるとは思っていなかった、グルバヌスの後ろに立つ妻とルイネ達使用人の顔は暗く悲しそうな表情をして全員で引き止めたに違いない、それでも駄目だったようで最後に頼りの綱でダント候を待っていたようであった。
「申し訳ありませんダント様に皆さん、感謝してもしきれないほどにお世話になりました……ダント様お力になれず申し訳ありません武運をお祈りしております」
グルバヌスは皆に深くお辞儀をするとカリンを連れて邸宅を後にしていった。




