1019 破棄
その日、大広間で唐突にストレイ候の口からとんでもない言葉がゼペス王に告げられた。
「陛下、現在キエヌ王がメラルドに婚姻の儀で出払っており、それに付き従うのがあのガウリスで御座いますぞ、あの二人がいない今がキエヌを攻め込む絶好の機会ではありませんか、この機を逃さず攻め込みましょう」
おおっそうだ、ガウリスのいないキエヌならば好機だ、と諸侯達からストレイ候に賛同する声が上げる。
(……は? 何を言ってるのですかストレイ候様は……)
皆がゼペス王に出陣をと懇願する声の中、グルバヌスはじっと立ち尽くして聞いていた。
折角自分が結んできた和平を破ってまで攻めようとする諸侯達に呆れていた。
(裏取り引きまで結んだというのにたった数年で破ろうとは……これでは何の為に和平を結んだのか分からないではないですか)
記憶に残る戦いから水路や食糧事情が豊かになり、平穏な生活に満足している時にまた戦争をするなど国民から反感を買うだけである、その事が分からないゼペス王ではなくストレイ候に聞き返した。
「これまでのキエヌの行動を見ればあの国が平和など求めていないのは明らかではありませぬか、ガルを滅ぼしメラルドまでも吸収した後には必ず我が国に攻め込んでくるでしょう、今は和平を利用して大人しくしているだけです、現にケルテの傭兵らを雇い込み増兵を企んでおります、このままでは国力兵力共に我が国を大幅に上回ってしまい対抗出来なくなってしまいます、そうなる前に手を打たねば我が国に未来は御座いません」
ストレイ候からすればキエヌの行動は全てがエストラを滅ぼす為の行為に見えるのかとグルバヌスは思った、キエヌ一国だけでも強敵なのにガルを倒しメラルドとの縁談をも纏めあげたのだ、エストラからすれば後は我が国に狙いを定め集中しているようで、和平という状況がキエヌに軍事を整えるのに十分な時間を与えているように見えた。
その裏付けとも取れるのがケルテからの傭兵の引き抜きである。
続々とケルテから傭兵が流出してキエヌへ移動しているというケルテ国内で話が持ち上がっている報告がエストラにも届いていた、それを聞けばキエヌが兵力を集めエストラに攻める準備が刻一刻と近付いているのではと思われても仕方が無い、その総合的に考えてストレイ候は今、国王とガウリスのいないキエヌを攻めるのが好機だと唱えたのだろう。
(どうして平和を享受しようとしないのですか……食糧も水も手に入れこれから国民の皆さんの暮らしが楽になろうとしている時にまた戦争をしようなんて)
グルバヌスとしては大人しく平和なエストラであってくれれば良い、これに尽きる、その為の裏取り引きだったのだ。
この場でストレイ候に意見する者はいないだろうかと、グルバヌスはダント候に目をやった、しかし彼の目にも一度は諦めかけていた光が戻ったように僅かな輝きが宿り、ゼペス王の返答に注目しているようである。
(ダント様もまだ何処でキエヌに対する復讐心がおありのようですね)
盛り上がる大広間でグルバヌスだけが反対していてはまた反感を食らうのではないかと思いつつも、どうしてもストレイ候に賛同したい気持ちにはなれずにいた。
「グルバヌス」
ゼペス王が彼を呼ぶ。
おずおずと前に歩み出たグルバヌスは頭を垂れて、
「私にご用でしょうか?」
「お主の意見を聞きたい、ストレイの言葉にお主は賛成か?」
「……はぁ」
と、気のない返事をした。
ゼペス王の求める言葉は分かっていた、それをこの場で言えばここにいる全員から顰蹙を買うのも見えていて、皆の視線が背中越しに突き刺さっているのが感じていた。
(何故いつも私に重要な意見を求めてくるのでしょうか、私が軍事には疎く算段なんて立てられないのはご承知のはず)
「その……軍事に付いては皆様方に及ばず私よりも他の方にお聞きした方が宜しいかと……」
「この場にいる者達はエストラの臣下、優劣は付けぬ、お主の意見も一つの意見と我は捉えておる、気にせずお主の意見を言うが良い」
「……はい」
(参りましたね、またストレイ候様に難癖を付けられるかも知れませんが……)
「私としては和平を組んでからまだ数年しか経っていない状況で戦争は止めた方が良いかと思います、水路も農業も順調に結果を出せていますし何より人々の顔に笑顔が増えてきてます、ここで戦争を始めればまた人々に不安を与えてしまいます、それにこちらから和平を破ればキエヌに大義を与えるだけだと思います」
グルバヌスは思った事をゼペス王に告げた、しかしそれに対し諸侯の人達からはこんな機会は次にないのだぞ臆病過ぎるとの声が上がると、そこに名乗り出てきたストレイ候が、
「グルバヌス殿はご自分の成果を過小評価されておられるのでは無いかな、卿のお陰で兵站は充実し綺麗な水のお陰で疫病はこれまでになく少なく、兵士の士気は常に高いのですぞ、もしこの機を逃しては次の機会は数年後、数十年後、それまでにキエヌが攻めて来ないという保証もなく、ガウリスがこの世を去るまで待って戦も知らない兵士達でキエヌと戦えと仰るのか?」
うんうん、そうだ今しかないんだと、大広間は圧倒的にストレイ候を後押しする支持で埋め尽くされた。
ここまで盛り上がるとグルバヌスが反論をしても誰も耳を貸さないだろう、何を言っても覆すのは無理な様相に最後はゼペス王の決断の言葉だけが頼りだった、そのゼペス王の表情は硬く一同に向けて視線を流していた。
これだけ賛同する者が多ければ流石に出陣の号令を掛けると思われたのだが、
「ふむ皆の意見は和平を破棄しキエヌに進軍すると言う事は分かった、ストレイ一つ聞こう、キエヌに対してどう攻めるつもりだ、キエヌ王やガウリスがいなくとも国内には数万の敵がいるのだ、ガウリスが何も考えずに国を空けるとは思わぬ、何か策を仕掛けていると思うがどうだ?」
「キエヌはガルを吸収し兵力が増したとは言え、漸く平定した国はいつまた切っ掛けがあれば反乱が起きてもおかしくはなく、ガルの治安にキエヌ兵で抑えているわけで広がった版図に兵士を分散し過ぎております、我々はそこを突けば良いわけで間者を送り込み扇動させようと考えております、その間に我が軍は密かに進軍し時を見て一気に侵攻を開始すれば敵は混乱する事でしょう」
ストレイ候が自信あり気に回答したが、グルバヌスは彼がまだキエヌ情勢で知らない事実を考慮していない事が分かった、それは魔導部隊の存在だった。
もうキエヌは剣士だけの国ではない、魔導という新しい武器を手に入れて未来を見据えた国造りを行っているという事だ。
そもそも魔道士を育てている張本人がグルバヌスであり、魔導部隊の実力も分かっている。
(どうしたものでしょう、魔導部隊の存在を伝えた方が良いのでしょうか、何も教えずに侵攻しても混乱に陥るのはこちらではないでしょうか、彼らの実力はしれているのですが魔道士相手の戦いを知らないエストラ兵では無理があるでしょう)
ガウリスからは内密にと言われている隠し部隊を教えてしまってはいけないだろうと、グルバヌスは言いたい気持ちを抑えた、しかしこのままでは状況は戦争への道に進みそうであった。
「うむ、それでこちらの兵力は如何とする?」
「三万、残りは国防に残し三万でキエヌを叩きたいと思っております」
「ふうむ……キエヌには最低でも五万はいるが、たった三万で落とせるというのは無謀では無いか、キエヌ兵の実力はガウリスがいなくとも強いぞ、そう容易く攻め入れるとは思えぬ」
ゼペス王の言う事も尤もで、仮にも世界最強を謳う軍隊が三万の敵に易々と負けるとも思えない。
「我が軍は先の戦争でガウリス軍には負けはしましたが、他の部隊とは互角に戦えておりました」
とストレイ候も退かなかった、ここで一気に説き伏せてやろうと躍起になっていた。
暫くの沈黙の後、ゼペス王が口を開いた。
「そこまで言うのであればストレイお主を総大将とし部隊を編成せよ、そしてキエヌを落として参れ」
「はっ、お任せあれ」
大広間に歓声が上がる。
ついに戦の狼煙が上がってしまった、グルバヌスがこうならない為の根回しは脆くも崩れ去ってしまい、エストラ国内が一気に騒がしくなっていった。




