1012 覚醒
(時は来た、血脈の結晶ここにあり、偉大なる魔力を解き放て)
(貴方は……誰? 何度も暗闇から私を呼んでいたわ、一体私に何をさせようとしているの)
語りかけてくる主にマルティアーゼが叫ぶ、何度も聞いた声のようで初めて聞く相手に警戒しながら叫ぶ。
(邪魔な者はいなくなりこれまでの王で最も力ある王となったのだ、もう何も恐れる事はない全てはお前の思うがままだ……さぁ身を委ね解き放つがいい)
(何を言ってるのこんな時に……お父様やお母様、兄様まで亡くして悲しんでいる時にまるで三人が亡くなって良かったみたいな言い方は止めて)
親兄妹を亡くした相手に不謹慎にも嘲笑う声の主に、マルティアーゼは怒鳴りつけた、しかし相手に反省の意思はなく、
(何を言うかこれこそがお前の本心ではないか、もう守られる必要は無い好きな様に振る舞えば良いだけの事、それがお前の本来願った生き方ではないか)
(嘘よ、私はそんな事を願ってなんかいない)
それに対し、
(お前が願ったのは自由だ、その力で思う存分暴れるがいい)
何かが地の底から湧き出てくる、黒く溢れんばかりの恐ろしい力が足元からマルティアーゼを飲み込もうとしていた。
(ああっ嫌っ、来ないで)
動けないマルティアーゼの体に圧倒的な魔力が黒い意思と共に流れ込んできて、自分が自分でなくなるような喪失感に恐怖すら覚えた、今まで抑えていた善悪の理性が薄れ何もかもがどうでも良くなっていく。
(あああぁぁこれは何……)
もう一人の自分が生まれ出たように意識が混濁し一つに混ざっていく事に強烈な拒否をするが、足元から胸へそして絶対に入ってきて欲しくない頭に浸食されていった。
今まではこんな事は考えたくはない、しようとも思わなかった犯罪に対して、罪の意識が薄れてきてどうでもいい事だと思う様になっていた。
(ああっ身体が軽い、思い悩んでいた色々な事がどうでも良くなっていく、何を私は悩んでいたのかしら……どうせあと十年もすれば周りの人達の顔ぶれだって変わるのよ、二十年も経てば殆どの人が入れ替わり三十年も経てば見知った人の方が少なくなる、人の一生なんて短いものよ、それなのに私は小さな事で思い悩み時間を無駄にしていた……なんて馬鹿だったのかしら、人が死んだって悲しいのはほんの数日でしかない、立ち止まっていても何も変わらないのよ)
どうして今までこの事に気付かなかったのか、悪い事だと思っていた事も人の死も対して変わらない小さな悩み事でしかないと、自分はどれ程無駄な事をしていたのかもっとしなくてはいけない事があったのではないかと考えると、心が軽くなったような気がしてきた。
黒い意識の中でマルティアーゼの心はその様に染まり、魔力がどんどん高まっていくにつれて何でも出来る自信と優越感に浸っていた。
何処に行ったのかもうあの声は聞こえてこない、あの声の言う通りに身を委ねていると心が軽くなってきたのは本当だった。
(あれは一体誰だったの、この闇の海に包まれる前はとても恐かったのに今は不安もなく安心出来る母親の腕の中にいるようだわ、それに力が湧いてきてもう誰にも負ける気がしない)
暫く何も考えずにいるといつしかあの黒い海は消えていた、眼前に柔らかい光が広がり眺めていると急に体がその光の方へと引き寄せられていった。
チチッチチッと小鳥の鳴き声が窓から差し込む光と共に室内に入ってくる。
いつ眠りに落ちてしまったのか、床に倒れていたマルティアーゼに全く記憶に無かった、ドレスを着たまま長い時間固い床に伏せていた所為か身体のあちこちが痛く起き上がると体をほぐしてみた。
「うっ……頭が」
寝台で寝なかったからなのか風邪でも引いたように頭痛がする。
「こんな時に病気だなんて止めてよね」
重い体を引きずり寝室に向かった、まだ明け方で皆が起き出すには時間がある。
すこしで体調を取り戻そうと布団に潜り込むと、柔らかい感触が痛む体を優しく包みすぐに眠りにつく事が出来た。
「姫様、起床のお時間になりました、失礼します」
と侍女達がマルティアーゼを起こしに寝室へと入って来た。
彼女を揺り起こす侍女達の顔も今日から数日続くであろう多忙な日々で険しく、その多忙な一日の始まりがマルティアーゼの起床であった。
「う……ん」
今度は悪夢を見ることもなく目を覚ましたマルティアーゼは、彼女を覗き込む三人の侍女達におはようと声を掛けた。
上体を起こすと頭痛はなくなったが体は鉛のように重く、肩からずっしりと誰かに押さえられてるようで自分の体重が何倍にもなった感じだった、寝台から降り立つと膝に力が入らずガクリとよろめいた。
「姫様!」
支えようと侍女達がマルティアーゼに肩を貸す。
「だ、大丈夫よ……少し立ちくらみがしただけだわ」
ファリス国王と前王夫妻の死に体調を崩さない方が無理だろうと侍女達も心配をしたが、身分を考え言葉を飲み込んで何事もないよう振る舞う。
大広間では大臣、諸侯達全員が集まっていて、玉座の前に三つの棺桶が並べられていた。
国旗を掛けられた棺桶を前に全員の目には滂沱の涙が溢れ落ち、しくしくと嗚咽を漏らす間をマルティアーゼはしずしずと前へ歩み出た。
「……お父様」
自身の出自を知り実父と初めて出会ってからまだ四年も経っておらず、エスタルでの暮らしを始めてからまだ一年、家族との思い出というものはそれ程多くはなくこれから作っていこうとしていた時期だった。
経った一年未満で育ての親に実の家族を失う者がいるのだろうかと、自分の不幸に嫌悪しながら箱に入った三人を見ていたのだが、周囲の者達からすればマルティアーゼが悲嘆に浸っていられる程、悲しみに暮れている時でもなかった。
国王不在、それもエスタルの魔導王の死は他の国とは訳が違う。
魔道士にとっては昔から言われ続けられていた魔導の消失となるのか、今まで厳しい修行で鍛え上げてきた魔力を失う不安が現実のものとなるのではと気が気では無かった。
「マルティアーゼ様」
声を掛けてきたのは右大臣のコドスだった、彼はマルティアーゼの出自を知る数少ない一人であり、当然ローザンに預けられた理由も知っている、そのコドスがマルティアーゼに、
「姫様、この様な時では御座いますが、ファリス様がお亡くなりになった事で皆に動揺が生じております、特に魔道士にとって魔導王がいなくなった事で魔力を失うのではないかと不安が広がってるでしょう、残された道はマルティアーゼ様が即位されエスタルを救って頂くしか御座いません」
エスタル建国以来、前代未聞の状況を打破するにはマルティアーゼが王位に就く事以外ないと、コドスの目にも焦りがあった。
「私が? 私はエスタルに来てまだ一年、人々を率いる力はありませんわ」
「知っての通りエスタルは魔導王国、そこに就く王に代わりなどおりません、エスタル王家の血筋であり王家の紋章を持つ者だけで御座います、マルティアーゼ様もうお分かりでしょう、姫様しか出来ない事で御座います」
「……」
参列するエスタル臣下達の顔ぶれを見てもまだ話した事も無い、どんな人かも分からないものがいる、そんな人達の上に私が立ってもいいのか、男子一系だったエスタル王に女性がなる事で不信を抱く者がでないか一抹の不安が過ぎる。
(私がエスタル王に……うっ)
マルティアーゼの脳内にあの声が思い出された。
欲望のままに思うがままにしろと周りの環境など気にするな、お前の思い描く環境に変えれば良いだけだという言葉が響いた。
「私が……王に立ち……ます」
自分の口から自然と声が流れ出た、いや聞いた。
まるで自分の声をした人が話した声を自分が聞いたような感じがしたぐらいにマルティアーゼは自分に驚いた。
(今、私が言ったのよね、そんな簡単に王に成るなんて浅はかすぎる返事だわ、皆の気持ちも考えず……)
しかしその瞬間、大広間にいた人達から嗚咽が漏れ深く頭を垂れる者達がいた。
「えっ」
全員ではないが多くの人がマルティアーゼを認めてくれたのだ、それを見たマルティアーゼはそれまで重く感じていた体が急に軽くなった。
そしてまたもや脳内に、
(思いのままに)
の、言葉が響き渡った。




