1011 閉ざされゆく世界
エスタルのギルド内では非常事態が敷かれた、魔道士ギルド発足以来、初めての発令となる事態に本部は張り詰めた緊張に包まれていた。
ローザンから飛び出した魔道士を追っていったギルド員三人が相手と接触、内一人が死亡、中級魔道士が戦闘に入った事を瀕死で本部に戻ってきた魔道士からもたらされたという情報はギルド長に伝わると、それはすぐにファリス王へと届けられた。
(中級一人の生死は不明で御座います、すぐに魔道士を送りましょうか?)
(グルバヌスと何処で対峙したか分からぬなら探すのに時間が掛かる、生きている事を願って二日待つ、その間にこちらはローザンにグルバヌスと大公夫妻の事故死の関係について説明させる書簡を魔道士に送らせる)
(御意)
それだけを言ってファリスは遠話を切った。
一人の魔道士の疑問からマルティアーゼを狙っているグルバヌスの存在、ローザンとの繋がりで大公夫妻の事故死が国王暗殺へと確信に変わりつつあった。
(この時機、グルバヌスが国王が暗殺実行犯として、マルティアーゼではなく大公夫妻を狙ったのには理由があるはずだ……)
マルティアーゼを殺す事は望んでおらず、ディアンドルと結託していたのならマルティアーゼがエスタルに残る事は知っていたはず、それでも殺す必要があったのか。
(グルバヌスの方の問題ではなくディアンドルに理由があったとすれば……辻褄はある)
昔からマルティアーゼの事を疎んじていたディアンドルなら、いなくなったマルティアーゼの後に残った邪魔者を消せば彼女が国を掌握出来る、それをグルバヌスにさせたとすれば辻褄は合う、とファリスの中で物事を組み立て周囲の問題と照らし合わせを行いながら納得していく。
だがグルバヌスは一国の臣下、この事を国が容認した上での暗殺劇かどうか、またそれにエストラに何の利益がもたらされるのかと考えると複雑になってくる。
(エストラか……遠方の国同士に何の利害があるのか、国同士で密約を交わしているのかは分からぬ所だ)
ファリスの真剣な眼差しが窓の外を睨んだ。
もうすぐ夕食の時間、今日はマルティアーゼも久しぶりに会席に着くと聞いていた。
(食後に話をしてみるか)
まだ何か重要な事柄を聞けるかも知れないと思い、食事の時間までにローザンへの書簡の用意をしようとファリスは机に向かった。
久しぶりにマルティアーゼは家族の夕食に参加する事を決めた。
バルートが教えてくれた友人達の近況に、まだ自分は一人ではない何かあればいつでも連絡してくれれば手を貸すと言ってくれた事に、塞ぎ込んでいた気持ちに少し元気が出て来たので親達にも元気な姿を見せようと考えた。
「今日ぐらいは明るいドレスにしようかしら」
着慣れた黒いドレスから桃色の薄いドレスの着替えに、それに合わせた髪を結って貰っていると夕食の時間が迫ってきていた。
暗くなってきた外に気付いたマルティアーゼは、侍女達を急かせて支度を済ませると、家族の待つ部屋へ急いだ。
長い廊下を歩いていると給仕達の列とすれ違う。
(もう先に食事を始めているみたいね……)
部屋から流れ作業のように出てくる給仕達の中に一瞬見慣れた人影を感じ取り足を止めた。
(……え、今の人は)
振り返り給仕達の後ろ姿を見つめたマルティアーゼが呼び止めようとした時、
ガチャンと大きな音を立てて崩れる食器と悲鳴が聞こえてきてマルティアーゼは急いで部屋に向かった。
「なっ……お父様お母様にお兄様まで」
長机の両端に前王ストロマエと妻シャリスティア、それに対面にいたファリスまでもが床に倒れ込み、ぴくりとも動かない姿に侍女達が恐ろしげに見つめている所にマルティアーゼがやって来て驚きの声を上げた。
状況に我に返った侍女が人を呼びに慌てて部屋を出ていくのを呆然と見ながら、マルティアーゼは何があったのかと小声で呟くと、それを対し近くにいた侍女が、
「……食事をされていたのですが、急に倒れられまして……」
と、声を震わせて答える。
「料理、毒……」
食卓の上には野菜のスープが溢れたままになっていて、それを見たマルティアーゼは毒殺という単語が脳裏に浮かんだ、三人の口からは赤い泡が溢れ見るからに意識がないように思われた。
「誰が一体……」
食事前には必ず毒味役が味見をする様になっている、それなのに誰がどうやって毒を仕込めたというのか。
部屋に医師と兵士が駆け込んできて直ぐに三人が運び出されていくのをマルティアーゼは心配そうに見守っていた。
何て事はない日常で起きた非日常な出来事に心の準備などなく、激しく鳴る鼓動に血液が熱く沸騰し体中に駆け巡っていく、それもエスタルの中枢、王城の一室で起きた毒殺事件は国中を震撼させるだけではない、大陸全土に伝わればそれこそ世界が一変する大事件でもあった。
自分は何をすれば良いのか、ただ立ち尽くすだけのマルティアーゼの脳裏に二つの選択を迫られていた。
一つは両親と兄の元に駆け寄り安否を見守るか、もう一つはあの見覚えのある人物が何故ここにいるのか探しに向かうかだった、この選択を間違えば後悔が彼女には付きまとう事になる。
(……お父様達の事は気になるけれど今ここであの人を捕まえておかないといけない気がする)
けど……。
今は両親と兄が助かるかどうかの瀬戸際、ここで何かあってはいけないとマルティアーゼは急いで運ばれていった部屋に向かって行った。
寝台に寝かされた三人にはそれぞれ医師が付き、侍女達が医師の命令で必要な物を用意していた、多くの人でひしめき合う部屋にマルティアーゼが飛び込んできて一斉に全員の顔が彼女に向いた。
一様に暗い顔でマルティアーゼを見ていた、その顔が不安を増大させ彼女を押し潰そうと重圧がのし掛かってくる。
静けさの中、懸命に意識のない三人にどうにかして食べた物を吐かせようと必死に処置をしていた医師達の手が急に止まる、その瞬間、マルティアーゼの血が一気に抜かれたように全身が冷気に包まれ感覚がなくなっていった。
「……そんな」
その場にいた誰もが答えず、目を伏せ申し訳御座いませんと訴えてくるのがとても恐ろしく感じられた。
世界の終焉、孤独の重圧、一瞬にして何もかもを失った、久しぶりに顔を見せようと楽しみにしていた食事が悪夢へと変わった。
続々とやって来た諸侯や大臣達の悲鳴や嗚咽の声もマルティアーゼの耳に入ってこなかった、これからどうなるどうすれば良いのか真っ白の頭には何も浮かぶ事はなく、目の前の真っ青になった三人の顔を現実として受け止められずにいた。
一体いつ自室に戻ってきたのかさえ記憶に無い、気が付くと暗い部屋の真ん中で一人ぽつんと立っていた。
「あれ私……お父様達は?」
マルティアーゼが呟く、返答のない部屋はその言葉を吸収して静寂を保つ、もう一度大きな声で両親と兄の名を呼んでみたが、それこそもう二度と返ってくる事のない相手への呼びかけであった。
「ううっ……」
マルティアーゼは泣き崩れた、ローザン大公夫妻に続きエスタル前王夫妻に兄ファリス王の死は彼女の心が受け止められずにいた。
育ての親も血の繋がった家族も何もかも全ての人達が彼女を置いていなくなったのだ、悲しみの次に来たのは孤独であり怒りであった。
(どうしてこんなに私の人生には試練ばかりが続くの……私の存在がそんなに憎いというの、私はこの世に生まれてきてはいけない存在だったの)
ただの一人の女性としての生すら満足に過ごさせてくれない、王族がいけなかったのか生まれ出た国が悪かったのか、私にどうすれば良かったのか誰か教えて欲しいと願い、彼女は床に伏したまま泣き疲れて眠りに落ちていく。
そして闇の底から聞こえてくる自分の名を呼ぶ声を聞いた……。




