第9話 廃村の魔獣使い
出撃は、夜明け前だった。
まだ空が藍色を残すうちに、第七警邏の一団は王都南門を抜けた。先頭に立つのはエランテル。続いて騎乗の伝令、槍兵、盾持ち、弓兵、補給役。今回引き連れているのは五十名。警邏隊の常駐任務を崩しすぎない範囲で、それでも盗賊討伐としては十分な数だった。
陸翔は隊列の中ほどで、背負った荷と木剣の重みに顔をしかめる。
「遅れるなよ、仮属くん」
隣を歩くリッキーが、やけに気楽な声で言った。
「遅れてません」
「顔は遅れてる」
「何だその評価」
軽口を返しながらも、足は止めない。ここ一週間で、少なくとも「歩き続ける」ことだけは前よりましになっていた。
ファンガスは前方から振り返りもせずに言う。
「無駄口を叩く余裕があるなら荷を持て」
「これ以上ですか?」
「それで潰れるなら最初から置いてく」
厳しい。
だが今日はいつも以上に、隊全体の空気が張っていた。
廃村に根を張った盗賊団。
数十名規模。
商人や小村を襲い、金品だけでなく人までさらう。
そこまでは、まだよくある話だった。
だが報告にあった“魔獣使い”の存在が、事態を重くしていた。
ランク3。魔獣使い瓦礫のケリファ
国で名の知れた強者。
盗賊団の棟梁 ゲレゲルもランク2の猛者らしい。
ただの盗賊退治では済まない相手だ。
◇
昼前、廃村が見えてきた。
街道から少し外れた、低い丘の向こう側。
かつて畑だったらしい土地は荒れ、柵は倒れ、井戸の屋根は崩れ落ちている。家々は残っているが、住人の気配はない。壊されたというより、長く踏みにじられ続けた末に捨てられた、そんな荒れ方だった。
エランテルが片手を上げ、隊を止める。
「ここから先は二列散開。弓兵は後方。前衛は家屋の陰を警戒しろ。廃屋の中へ無闇に踏み込むな」
「はっ」
五十人分の応答が低く揃う。
陸翔も息を呑んだ。
訓練場とは空気が違う。誰も笑わない。金具の擦れる音と、風に揺れる草の音だけが耳に刺さる。
ミシェルがしゃがみ込み、地面に残る跡を確かめた。
「新しいわね」
「どのくらいだ」
エランテルが問う。
「早くて昨夜。遅くても二日前。車輪跡もある。荷を運んでる」
ファンガスが壊れた納屋のほうへ顎をしゃくる。
「臭うな」
たしかに、風に混じって嫌な臭いがした。
獣臭と腐臭が混ざったような、鼻の奥にべったり残る匂いだ。
リッキーが、いつになく低い声で言う。
「……あんまり見ないほうがいいかもしれませんよ」
言われるまでもなく、見たくなかった。
だが見えてしまった。
納屋の奥。
鎖。
こびりついた黒ずみ。
食い散らかされた骨。
布切れ。
髪飾り。
それだけで充分だった。
誰かが小さく舌打ちした。
ミシェルは目を伏せた。それだけで充分だった。
空気が凍った。
陸翔は喉がひきつるのを感じた。
想像したくないのに、頭の奥では勝手に像ができる。ここにいた誰かが、泣いて、助けを求めて、それでも最後には魔獣の餌にされたのだ。
「……クソ野郎どもが」
リッキーが吐き捨てるように言った。
普段の軽さが、今は欠片もない。
エランテルの声が落ちる。
「感情は理解する。だが先走るな。敵はまだいる」
その一言で、隊が締まる。
「索敵を続行。中央の広場を取るぞ」
◇
廃村の中央には、石組みの広場があった。
もともとは小さな市場だったのだろう。屋根付きの台が二つ、壊れた噴水、囲むように建つ家々。いまはどこも窓が割れ、扉が外れ、盗賊たちの巣穴に成り果てていた。
最初に現れたのは、弓だった。
「伏せろ!」
エランテルの声と同時に矢が飛ぶ。
屋根の上、二階の窓、路地の奥。三方向から一斉に降ってくる。
盾兵が前へ出る。
金属音が重なった。
「右路地、三!」
「左上、二!」
「正面家屋内に複数!」
隊員たちの声が飛ぶ。
次の瞬間、家屋の影から薄汚れた盗賊どもが一斉に躍り出た。
数十名。
棍棒、鉈、錆びた剣、粗悪な弓。装備は雑だが、数だけはいる。
ゲレゲルの部下だ。
エランテルが剣を抜く。
「前衛、押し返せ! 弓兵、屋根上を落とせ! ミシェル、左の家屋を制圧! ファンガス、中央突破!」
「はっ!」
五十名が一斉に動く。
陸翔は広場の外れで荷を降ろし、指示された補助位置へ走った。木剣を握る手に汗がにじむ。ここで勝手にカードを切るな、と自分へ言い聞かせる。まだだ。まだ自分の仕事は前へ出ることじゃない。
だが、現実は訓練よりずっと早かった。
盗賊の一人が血走った目でこちらへ突っ込んでくる。
振り下ろされる鉈。
反射で木剣を差し出すと、重い衝撃が腕に走った。
「っ……!」
受けきれない。
だがその横からリッキーの剣が閃き、盗賊の肩口を打ち据えた。
「よそ見してる場合じゃないですよ!」
「してない!」
「してました!」
言いながら、リッキーは二人目を蹴り飛ばす。
速い。軽い。訓練場で軽口を叩いていた男とは思えない。
ファンガスは正面で、ほとんど壁みたいに敵を押し返していた。大柄な体ごと突っ込み、盗賊を一人ずつ地面へ叩き伏せていく。
ミシェルは家屋の入口を押さえ、逃げ出そうとした相手を容赦なく打ち落としていた。
そしてエランテルは。
別格だった。
ただ剣を振るだけで、敵の前線が割れる。
一歩踏み込むたびに盗賊が崩れ、二歩目には道ができる。あれがランク3に届くかどうかは陸翔にはわからない。だが少なくとも、自分たちとはいる場所が違うのだけははっきりしていた。
そのときだった。
広場の奥、崩れた教会の前で、いやに甲高い笑い声が響いた。
「ふふっ、ふふふ……あは。思ったより来たじゃない」
全員の視線が、そこへ集まる。
瓦礫の山の上に、女が座っていた。
ボロボロのローブ。
細い肩。
長い髪。
泥と血で汚れているのに、妙に艶めいて見える顔立ち。
妖艶、という言葉が一瞬頭をよぎる。
だが次の瞬間には、それより先に異常さが目についた。目が笑っていない。いや、笑ってはいるのに、人間の感情として噛み合っていない。
楽しんでいるのだ。
この惨状を。
「……瓦礫のケリファ」
エランテルの声が低くなる。
女は頬杖をついたまま、うっとりしたように首を傾げた。
「知ってて来てくれたの? 嬉しい。退屈で死にそうだったのよ」
その足元から、重い音がした。
ずるり、と這い出てくる巨大な影。
蠍の尾。
獣の胴。
ねじれた爪。
複数の目。
口元から泡立つ唾液。
スコーピオンキマイラだ。
空気が一変する。
ただの獣じゃない。三コスト相当の魔獣。しかも、飢えている。
ケリファはその背を撫でながら、楽しげに言った。
「今日はいっぱい餌がいるわね」
ぞっとするほど明るい声だった。
「お前が用心棒か」
エランテルが剣先を上げる。
ケリファは笑みを深くする。
「用心棒、ね。そんな立派なものじゃないわ。退屈しのぎよ。こいつら、獲物を運んでくるから便利だっただけ」
瓦礫の陰から、今度は肥え太った男が現れた。
醜く肉のついた顔。
汗ばんだ顎。
汚れた豪奢な上着。
指には盗品らしき指輪がいくつもはまっている。
盗賊頭ゲレゲルだ。
「へへっ、さすがにビビったぜ、隊長殿よぉ」
下卑た声だった。
「だがここまで来たなら、てめえらも餌だ」
陸翔は、反射的に拳を握った。
こいつらだ。
村を荒らし、人をさらい、餌にしていたのは。
しかもゲレゲルは、悪びれもしない。
快楽だけで生きている顔だった。
その横で、ケリファがふと、陸翔を見た。
ぞくり、と背筋が震える。
長く見たわけじゃない。
ただ一瞬、流れるみたいに視線が触れただけだ。
なのにその目は、まるで皮膚の下まで見たようだった。
「あら」
ケリファが笑う。
「なに、あの子」
嫌な汗が背を伝った。
エランテルが一歩、前に出る。
「見るな」
「えぇ?」
ケリファは唇を尖らせる。
「でも、面白い匂いがするの。壊れかけの箱みたいな、ひどくいやぁな感じ。ねえ、あなた――」
「下がれ!」
エランテルの声が飛ぶ。
同時に、スコーピオンキマイラが地を蹴った。
「来るぞ!」
広場が爆発したみたいに、戦場が一気に動き出した。
盾兵が前へ出る。
槍が並ぶ。
だがキマイラは速い。横へ跳び、家屋の壁を蹴り、盾列の側面へ食い込んだ。
悲鳴が上がる。
「右を抑えろ!」
「毒尾に注意!」
ファンガスが突っ込み、槍兵が追随する。
ミシェルが屋根上の盗賊を射落とし、リッキーが倒れた兵を引きずって下がらせる。
陸翔は足がすくみそうになるのをこらえた。
訓練してきた。
一週間、走って、振って、耐えてきた。
でも、足りない。
これが実戦だ。
ランク2や、ランク3のいる戦場だ。
そしてエランテルは、そんな中を真っ直ぐケリファへ向かっていた。
剣が閃く。
ケリファは笑いながら、ローブの内側から細見のナイフを抜いた。
「いいわぁ、その目」
金属音が弾ける。
「壊しがいがありそう」
エランテルの剣とケリファのナイフがぶつかった瞬間、広場の空気そのものが緊張で引き裂かれたように感じられた。
陸翔は息を呑む。
この戦場で、自分に何ができるのか。
カードを切るべきか。
まだ我慢するべきか。
答えを出す暇もないまま、スコーピオンキマイラの影がこちらへ迫っていた。




