第8話 瓦礫のケリファ
夜の廃村は、昼より静かで、昼よりもずっとひどかった。
風が吹くたび、壊れた扉がぎい、と軋む。
崩れた家々の隙間から、獣臭と腐臭が這い出してくる。火の気はある。だがそれは人の営みの温かさじゃない。盗賊どもが勝手にくべた焚き火が、村の残骸を赤黒く照らしているだけだった。
広場の中央では、盗賊たちが酒瓶を回し、汚れた肉をかじりながら下卑た笑い声を上げていた。
「へへっ、今日の商隊はなかなかだったな」
「女も二人いたしなぁ」
「一人はもう駄目だろ。泣きすぎて声も出なくなってやがった」
「そりゃあ、お頭が先に遊んじまったからだろうが」
下品な笑いが広がる。
広場の奥、かつて村長の家だったらしい比較的大きな建物の前で、ゲレゲルは椅子代わりの樽にどっかり腰を下ろしていた。
太っている、というより膨れている、という表現のほうが近い。
汗ばんだ顎肉が揺れ、指には盗品の指輪がいくつも食い込んでいる。酒の染みた上着の前をはだけさせ、片手には骨つき肉、もう片方には酒瓶。醜悪という言葉が、人の形を取ったような男だった。
「はっ、泣こうが喚こうが知るかよ」
口の端に脂を光らせながら、ゲレゲルはげっぷ混じりに笑う。
「使えるうちは使う。飽きたら捨てる。捨てるくらいなら餌にしたほうが腹の足しになる。無駄がねぇだろ?」
また、盗賊どもが笑った。
その笑いの輪の外側。
崩れた石壁の上に、ひとりの女が座っていた。
瓦礫のケリファ。
ボロボロのローブは泥と乾いた血で汚れているのに、どこか妙に目を引く。足を組み、頬杖をつき、まるで退屈な芝居でも見ているような目で盗賊たちを眺めていた。
その足元には、巨大な影がうずくまっている。
スコーピオンキマイラ。
蠍の尾を揺らし、獣じみた胴を低く伏せ、複数の目が焚き火の光を鈍く返していた。ときおり口の端から泡を垂らし、喉の奥で低い唸りを鳴らしている。
ゲレゲルが骨を放り投げると、キマイラはそれを空中で噛み砕いた。
「ほらよ、ケリファ。お前の可愛いのにも分けてやったぞ」
ケリファは視線だけを向け、くすりと笑う。
「優しいのねぇ」
「だろ?」
「ええ。でもそれ、骨しかないじゃない」
ゲレゲルは鼻で笑った。
「贅沢言うなよ。どうせ明日になりゃ、また新しい餌が入るかもしれねぇんだ」
「明日?」
ケリファが首を傾げる。
「何か来るの?」
「昼前に斥候が見たってよ。王都の連中が、こっちの被害を嗅ぎ回ってるらしい」
そこでゲレゲルはにやりと歯を見せた。
「警備兵か、騎士か、どっちにしろ金になる。武具は剥げるし、女が混ざってりゃもっと楽しい」
盗賊の一人が酒に酔った顔で口を挟む。
「女騎士とか来たら最高っすねぇ、お頭」
「鎧ひっぺがして、泣かせてから餌っすか?」
「順番逆でもいいぞ、へへへ」
焚き火の周りで、下卑た笑いがさらに広がる。
ケリファはそれを聞いて、ふっと目を細めた。
楽しんでいるようにも、心底どうでもよさそうにも見える、曖昧な笑みだった。
「あなたたち、本当に程度が低いのね」
「何だよ」
ゲレゲルが肉を噛みながら睨む。
「楽しけりゃいいだろうが」
「楽しい?」
ケリファはその言葉を舌の上で転がすみたいに繰り返した。
「あなたのそれ、ただの食欲じゃない。酒と女と悲鳴があれば満足するの、家畜とあんまり変わらないわよ」
盗賊どもの笑いが一瞬だけ引いた。
ゲレゲルの顔がひくつく。
「……喧嘩売ってんのか、ケリファ」
「まさか」
ケリファは軽く肩をすくめる。
「ただ退屈なだけ。あなたたち、同じ顔しか見せないんだもの。奪う、犯す、壊す、食わせる。それだけ。最初は面白かったけど、もう飽きたわ」
その口調には侮蔑すら薄い。
本当に、興味をなくしているだけだった。
それがかえって気味が悪い。
「飽きた、だぁ?」
ゲレゲルは酒瓶を地面へ叩きつけた。
「だったら出てけよ。てめぇは俺に雇われてんだろうが」
「そうね。だから一応いるの」
ケリファはキマイラの頭を撫でた。
魔獣は気持ちよさそうにではなく、ただその手に従うみたいに目を細める。
「でもね、ゲレゲル。私はあなたの金にも、あなたの盗賊ごっこにも、最初から興味ないの」
「じゃあ何に興味があるってんだ」
その問いに、ケリファは少しだけ笑みを深くした。
「刺激」
焚き火が、ぱちりと音を立てる。
「つまらないものが壊れるのは、見飽きたのよ。泣く女も、命乞いする商人も、逃げる村人も、みんな同じ。もっと、こう……世界そのものをひっくり返すみたいな何かが見たいの」
彼女は夜空を見上げる。
廃村の上には、雲に隠れた月が薄く滲んでいた。
「この世界を壊してくれる人が、どこかにいないかしらって、たまに思うわ」
盗賊どもは顔を見合わせ、何人かが気味悪そうに笑った。
「何言ってんだ、この女」
「やっぱ頭おかしいぜ」
「でも顔はいいんだよなぁ」
ケリファはそちらを見もしない。
ただ、退屈そうにまばたきをする。
「でも明日は少しだけ期待してるの」
「王都の連中にか?」
ゲレゲルが鼻で笑う。
「せいぜい鎧の固い兵隊どもだろ。うちにはお前も、キマイラもいる。来たところで餌が増えるだけだ」
「そうかもしれない」
ケリファはあっさりうなずいた。
「でも、そうじゃないかもしれない」
その言い方に、妙な確信が混じっていた。
「斥候が言ってたの。来るのはただの警備兵じゃないって。隊を率いてるのは、王都で名の通った女騎士だって」
ゲレゲルは鼻を鳴らす。
「だから何だ」
「さあ?」
ケリファは笑う。
「少なくとも、あなたたちよりは少しだけ面白い顔を見せてくれるんじゃないかしら」
その瞬間だった。
建物の奥、半ば崩れた扉の向こうから、小さな嗚咽が漏れた。
盗賊の一人が振り返り、にやにや笑う。
「まだ生きてやがる」
「しぶといなぁ」
「どうせ明日の朝には餌だろ」
ゲレゲルは舌なめずりした。
「いや、その前にもう一回くらい使えるかもしれねぇぞ」
ケリファは、そのやり取りにようやく視線を向けた。
表情は変わらない。
「好きにすれば」
まるで、本当にどうでもいいと言うように。
連れ去られた者は、玩具にされたあと、魔獣の餌にされていた
誰に聞かせるでもなく、彼女は静かに呟いた。
「あなたたちのやることは、いつも同じ」
その声音は冷たいというより、空虚だった。
ゲレゲルが不機嫌そうに唾を吐く。
「文句があるならてめぇも混ざれよ。どうせお前だって、人が死ぬのを見るのは嫌いじゃねぇだろ」
「ええ、嫌いじゃないわ」
ケリファは素直に認める。
「でも“死ぬ”だけじゃ足りないの。壊れ方に驚きがほしいのよ」
その目が、焚き火の向こう、夜の闇の先を見た。
「明日来る相手に、それがあるといいんだけど」
スコーピオンキマイラが、低く喉を鳴らす。
ケリファはその頭へ細い指を滑らせ、やさしく、ぞっとするほどやさしく囁いた。
「ねえ。明日は少しだけ、面白いものが見られるかしら」
焚き火が揺れた。
その赤い光の中で、女の笑みだけが妙に白く見えた。




