第4話 盤面の確認
インベントリ。
デッキ編集。カード一覧。カードパック開封。個人能力値。シナリオ進行度。
昨日は、路地裏で死にかけた。
今日は、王の前に引きずり出されて、危険物扱いされた。
ようやく一人になれたのだ。
今のうちに、使えるものと使えないものを整理しなければならない。
帰るために。
妹の待つ部屋へ戻るために。
「……まずは、カードパック開封からだな」
項目を開くと、そこには見覚えのある表示があった。
【第一弾『始まりの物語』 1/1】
また引けるようになっている。
昨日は確かに、一度開けた。
ということは、おそらく一日一回。そういう仕様なのだろう。
「日付の区切りがどっち基準なのかは知らないけど……引けるなら、引くしかないか」
指を伸ばして押す。
ぱん、と小さく光が弾け、五枚の結果が宙に並んだ。
【大天使の抱擁 S】
【光石 D】
【100ゴールド E】
【能力値+3 B】
【あなたへの手紙※××】
「……手紙?」
カードですらないものが混ざっていた。
恐る恐るそれを選ぶ。
現れたのは、一枚の羊皮紙めいたものだった。紙の質感まで妙に生々しい。
だが書かれている文字は、ほとんど読めない。
奇妙にねじれた線と記号のようなものが並び、見ているだけで軽い頭痛がした。目で追おうとすると、文字列そのものがぬるりと位置を変える気さえする。
「う、わ……」
一度、視線を外す。
深呼吸して、もう一度見る。
それでも、たった一か所だけ、意味として頭に入ってくる部分があった。
【コスト=魔力】
【高位札には相応の適性が必要】
【同数値でも、存在ランクが違えば強度は別格】
「……そこだけ読めるのかよ」
他は壊れた雑音みたいにしか認識できない。
だが、その数行だけで十分に価値はあった。
コスト=魔力。
それはわかる。
だが問題は、その次だ。
高位札には相応の適性が必要。
同数値でも、存在ランクが違えば強度は別格。
「つまり、魔力さえあれば何でも使えるってわけじゃないのか……?」
たとえば同じ一/一でも、低位の札と高位の札では中身そのものが違う。
見た目の数字だけでは測れない差がある――そんな意味に思えた。
路地裏で見た戦闘値の表示とも噛み合う。
やっぱり、カードはただ持ってるだけじゃなくて、魔力で呼び出す仕組みなんだな……。
それに、手紙の残りには何となくだが、どこか見覚えのある雰囲気があった。
言葉としては読めないのに、ギャリモン公式ルールブックの戦闘手順を見たときの感覚に近い。
宣言。展開。手札。召喚。
そういう単語の気配だけが、紙の向こうにある気がする。
「……試してみるか」
部屋の中央に立つ。
だが、その前に陸翔は扉へ目をやった。
この屋敷は監視下だ。廊下には見張りがいると言っていたし、物音が大きければエランテル本人が来てもおかしくない。
こんな場所で未知のシステムを試すのは、正直かなり危ない。
「……でも、やるしかない」
もし明日いきなり実戦に放り込まれたら。
もしエランテルの言う“警邏の補助”で何か起きたら。
何も知らないままでは、死ぬ。
それに、願いの欠片を集めるにせよ、帰還条件を探るにせよ、このシステム抜きでは話にならない。
妹のもとへ帰るには、ここで怖がっている場合じゃなかった。
少し深呼吸してから、陸翔は呟いた。
「エンゲージ」
その瞬間。
手元のデッキケースが、ふわりと宙へ浮いた。
「うおっ!?」
ケースがひとりでに開き、ぱらぱらとカードが舞う。
その中から五枚が、意思を持つように目の前へ並んだ。
手札だ。
「……マジでそのまんまかよ」
薄く発光する五枚のカードが、顔の高さあたりで静かに浮いている。
まるで本当に、現実がゲーム盤面になったみたいだった。
陸翔は反射的に扉のほうを見る。
音は、思ったほど大きくなかった。だが、この青白い光が外から見えたら面倒だ。
「頼むから誰も来るなよ……」
小声で祈りつつ、手札へ視線を戻す。
そこに混ざっていた一枚に、陸翔は目を止めた。
【ゴブゴブテイラー】
【存在ランク1】
【消費魔力1】
【必要適性ランク1】
【1/1】
【効果なし】
仕立て屋ゴブリン。裁縫はお手の物
「一コスト……なら、いけるか?」
試しにそのカードへ触れる。
すると画面の端に、小さく表示が変わった。
【戦闘値 0/2/2】
左から攻撃力、体力、魔力。
魔力が一つ減った。
路地裏で減っていたはずの体力は、もう元に戻っている。
一晩――いや、半日ほどで自然に回復するのか?
「やっぱり、払ってる」
次の瞬間、陸翔の前の床に、ぼん、と煙のようなものが噴き出した。
「ぎゃっ!?」
現れたのは、小柄なゴブリンだった。
耳が長い。顔は醜い。布きれみたいな服を着て、手には針と糸を持っている。腰にはくたびれたナイフが有った。
名前のとおり、仕立て屋っぽい見た目だ。
「グゴ?」
小首をかしげて、陸翔を見上げてくる。
「しーっ、静かに」
思わずそう言うと、ゴブゴブテイラーは本当に黙った。
何となくだが、言うことは聞きそうだった。少なくとも敵意はない。
とはいえ、このまま部屋にいてもらっても困る。
廊下の向こうで物音がしただけで、陸翔の心臓はひやりとした。
エランテルに見つかったら説明が面倒どころではない。
「えー……帰れ」
お願いするように言ってみると、ゴブゴブテイラーは「グゴ」と短く鳴いた。
そのまま輪郭がほどけるように光になり、すっと消えた。
「……帰った」
ほっと息を吐く。
だが同時に、手札を見て気づく。
「一枚、減ったままか」
使用したゴブゴブテイラーは消費されていた。
召喚したあと戻るわけではないらしい。
そのまま待ってみる。
すると、三分ほど経ったところで、デッキケースが再び小さく光り、新しい一枚が補充されて目の前に現れた。
「ドロー……?」
だがそれ以上待ってみても、手札が減っていないあいだは新しいカードは補充されなかった。
なるほど、と陸翔は唸る。
「最初に五枚配られて、使ったら一定時間で補充。使わなきゃ増えない、ってことか」
かなりギャリモンのルールに近い。
いや、近いというより、そのまま現実にしたような仕組みだ。
次に、手札の中にあった四コストのカードへ触れてみる。
【未開の探索者アソート】
「これ、出せるか?」
試してみたが、カードは淡く震えるだけで何も起きなかった。
表示にも変化はない。
「……やっぱり駄目か」
魔力が足りないのだろう。
手紙の【コスト=魔力】が正しいなら、今の自分では四コスト以上は扱えない。
そこまで考えて、陸翔は個人能力値を開いた。
【神崎 陸翔】
【個人ランク1】
【戦闘値 0/2/3】
【攻撃力 / 体力 / 魔力】
【筋力 2】
【俊敏 2】
【知力 5】
【幸運 10】
【余剰値 2】
【能力 言語の加護 適性無視】
【能力値+3】を使用。余剰値は2から5へ増えた。
「個人ランク1……王城で見た表示と同じか」
なら、本来の自分は低位側だ。
路地裏のごろつきや、兵の新兵と大差ない程度の強さしかない。
なのに、能力欄には『適性無視』とある。
「……これか」
高位札には相応の適性が必要。
だが、俺にはそれを無視できる能力がある。
つまり普通なら扱えない上位のカードにも、魔力さえ届けば手が届く。
それがこの世界でどれほど異常なのかは、まだわからない。
けれど、まともな能力じゃないことだけははっきりしていた。
「……やっぱり、魔力が低すぎる」
この世界でカードを使って戦うなら、魔力がなければ話にならない。
路地裏で殴られたときのことを思い出す。あの状況で、もっとまともにカードを切れていれば違ったかもしれない。
少し迷ったが、答えはすぐに出た。
「振るしかないか」
余剰値を魔力へ。
一つ、二つ、三つ、四つ。
表示が書き換わる。
【戦闘値 0/2/7】
【余剰値 1】
「七……」
これなら四コストも、五コストも使える。
筋力や俊敏に振らなかったことへの不安がないわけではない。だが、今の自分が素手で強くなったところでたかが知れている。それよりも、カードを使える幅を増やした方が生き残れる。
ついでに、エンゲージ状態そのものも試してみる。
「……解除、できるのか?」
少し迷ってから、陸翔はもう一度、手紙の雰囲気を思い出しながら口にした。
「エンゲージ解除」
すると浮かんでいた手札が、すっと霧散した。
宙に浮いていたデッキケースも、何事もなかったように手の中へ戻る。
「おお……」
だが、個人能力値を見直すと、減った魔力は戻っていなかった。
消費した手札もそのままだ。
「エンゲージを解いても、使った分は戻らない、と」
これでまた一つ、ルールが確定した。
「よし……一旦、使用ルールはだいたい理解した」
コストは魔力。
宣言はエンゲージ。
最初に手札五枚。
使えば消費。
一定時間で補充。
魔力以下のコストしか出せない。
解除しても消費は戻らない。
そこまで整理してから、改めてデッキ編集を開く。
カード一覧が並ぶ。
【1コスト 11枚】【必要適性ランク1】
鈍足のオーガ×3 0/2 効果なし
ゴブゴブテイラー×3 1/1 効果なし
簡易プロテクション×3 自身にシールド値+3を付与する。
一時休戦×2 お互いの行動を封じる。ダメージはお互い一切受けない。
【2コスト 11枚】【必要適性ランク2】
やまびこの火の鳥×2 2/2 飛行
俊足のコボルト×3 3/1 効果なし
コストドロー×2 手札を1枚捨て3枚引く
ファイヤーボルト×3 対象に2ダメージ
【3コスト 4枚】【必要適性ランク3】
シャドウシーカー×2 3/3 潜伏
ホーネットビートル×2 4/2 飛行
【4コスト 2枚】【必要適性ランク4】
未開の探索者アソート 4/4 山札を1枚引く。そのカードを出す。
翼円のドラゴン 7/4 飛行
【5コスト 2枚】【必要適性ランク5】
勝利の理 ギガンティックミーティア 10/10 効果を受けない
波動の魔導士 ダークブレイカー 7/5 場のカード1枚につき、プラス1/1する。効果は重複する。
【6コスト 1枚】【必要適性ランク△※】
【※舞 △※★ バル □□】
低コストの札が多いのは助かる。
だが、裏を返せばそれだけだ。
俺の個人ランクは1。
なら本来、このデッキの一コスト帯がせいぜい正常な守備範囲のはずだった。
二コストで優秀。
三コストになれば、もう明らかに格上。
四以上は、いまの俺からすれば別世界の札に見える。
まして五コスト帯ともなれば、数字の問題じゃない。
王城で見た空気、エランテルの強さ、ヴェルミの底知れなさ――ああいう“上”にいる何かへ触れるための札なんじゃないか、と思えてしまう。
「……それを、俺は使えるのか」
適性無視。
その一言が、急に気味の悪いものに見えてきた。
「……読めないやつ、やっぱりいるんだよな」
例の六コスト。
名前も読めなければ、説明も出ない。ただ黒いノイズの塊みたいに、そこに一枚だけ存在している。
それよりも気になったのは、枚数だった。
「三十枚、のはずだよな……?」
表示上もデッキは三十枚。
だが、この読めない六コストが入っているせいで、感覚としては三十一枚あるように見える。
「どういうことだ……」
枠外なのか、特別枠なのか、それともただの表示バグか。
気味が悪い。だが今はそれ以上わからない。
次に、まだ詳細を確認していなかった追加カードを確認する。
【大天使の抱擁】
【存在ランク5】
【消費魔力5】
【必要適性ランク5】
【あらゆるダメージを回復し、呪いを解除し、状態異常を治す】
【1回の勝負につき1度のみ使用可能】
「……なんだこれ」
どう見ても場違いだった。
存在ランク5。
必要適性ランク5。
王城で測られた俺自身は、個人ランク1。
そんな俺のデッキに、こんな札が混ざっていていいはずがない。
なのに、能力欄には『適性無視』がある。
つまり理屈の上では、魔力さえ払えれば、この札に手が届く。
「……チート、どころじゃないだろ」
ダメージ回復だけではない。呪い解除、状態異常回復までついている。
しかも五コスト。今の魔力七なら使える。
ただし、だからこそ軽々しく切れる札ではない。
「強い……けど、重いな」
今の自分にとって五コストはほぼ切り札だ。
しかも一戦につき一度だけ。路地裏で昨日みたいな目に遭ったとき、これがあれば助かったかもしれない。だが逆に言えば、本当に死にかける場面まで温存すべき札でもある。
もう一枚。
【沼地のゲヘナ】
【存在ランク3】
【消費魔力3】
【必要適性ランク3】
【3/3】
【効果なし】
「こっちは普通だな」
ただのバニラ。悪くはないが、ホーネットビートルの飛行と比べると少し見劣りする。
しばらく悩み、陸翔はデッキを組み替えた。
「大天使の抱擁を入れる。で、ホーネットビートルを一枚外す」
攻め手が減るのは痛い。
だが、この世界では実際に死ぬ。回復札の価値は、ゲームの比ではない。
「これで少しは……マシか」
指先で額を押さえ、息を吐く。
まだ全然足りない。
だが、何もわからないままよりはずっといい。
最後に、シナリオ進行度を開いた。
【王国壊滅を防げ(0/10)】
その文字だけで胃が重くなる。
タップすると、下に細い文字が展開した。
【① エランテルの死亡を阻止せよ】
【② ××△】
【③ △●※】
「……は?」
思わず声が漏れた。
エランテルの死亡を阻止せよ。
最初の目標が、それだった。
「いやいやいや、待て待て待て」
慌てて見直す。
何度見ても同じだった。
他の項目は文字化けしているのに、一番上だけははっきり読める。
つまり少なくとも、最初の危機はエランテルに訪れるということだ。
「……なんでだよ」
昼間の、あの凛とした姿が脳裏に浮かぶ。
路地裏でごろつきを一瞬で叩き伏せた女騎士。
王の前でも一歩も引かなかった隊長。
口を開けば冷たいことばかり言うし、こちらを危険物扱いしている。監視役で、保護者でも何でもない。
それでも。
この世界に来てから、彼女は二度、陸翔を助けている。
路地裏で命を拾った。王の前でも、ヴェルミにその場で処分されずに済んだのは、少なくとも彼女が「監視下で使うべきだ」と言ったからだ。
そんな相手の死を、ただのクエスト項目みたいに表示されて、はいそうですかと飲み込めるはずがなかった。
「ありえないだろ……あいつ、あんなに強いのに」
だが、システムがわざわざこうして出してきた以上、笑い飛ばすには気味が悪すぎる。
さらに下へ視線を落とす。
【成功報酬:願いの欠片】
「……願いの欠片」
帰りたければ、集めろ。
一話目に現れた、あの壊れたメッセージが蘇る。
おそらくこれだ。これを集めるのが帰還条件なのだろう。
だったら、このシナリオは無視できない。
帰るために必要で。
しかも最初の条件が、エランテルを死なせないことだというなら。
「ってことは、シナリオを達成しないと帰れないのか……?」
ぞっとした。
王国壊滅を防ぐ。
その途中にあるらしい十個の目標をこなす。
その見返りとして願いの欠片を得る。
もしそうなら、自分はただ帰るだけのつもりでも、否応なくこの国の騒動に巻き込まれることになる。
しかも最初が、エランテルの死亡阻止。
「なんでよりによって……」
ヴェルミの顔が脳裏をよぎる。
柔らかな物腰。
穏やかな微笑み。
その奥にある、底の見えない何か。
あの男が関わっているのか。
それとも別の何かか。
青白いスクリーンが静かに浮かぶ部屋の中で、陸翔はしばらく動けなかった。
今日わかったことは多い。
カードは使える。魔力で呼び出せる。デッキも組み替えられる。願いの欠片という報酬もある。
そしてもう一つ。
この世界には、ただ強い弱いでは済まない“ランク”の壁がある。
個人ランク。
存在ランク。
必要適性ランク。
まだ細かいことはわからない。
だが少なくとも、自分が低位で、手元にだけ場違いな高位札が混ざっていることは理解できた。
それが味方になるのか、破滅の種になるのかは、まだわからない。
だが、それ以上に重い事実が一つ、突きつけられていた。
最初の目標は、エランテルを死なせないこと。
監視役で、信用もしていなくて、正直かなり怖い。
それでも、死なれると困る、なんて打算だけではもう済まなかった。
「……どうしたら、エランテルを助けられる……」
その呟きだけが、静かな部屋に長く残った。




