第3話 監視下の屋敷
王都のにぎわいは、さっき浮かんだ『王国壊滅を防げ』の文字と、まるで噛み合っていなかった。
王都の通りは朝の活気に満ちている。荷車が石畳を鳴らし、行商人が声を張り上げ、パンの焼ける匂いまで漂ってくる。どこをどう見ても、いまにも国が滅びそうな空気ではない。
なのに、スクリーンは平然と告げていた。
王国壊滅を防げ。
しかも、ゼロから十。
何が十だ。
何をどうすれば一つ進む。
そもそも、これを防がないと帰れないのか。
「……冗談だろ」
「だから、どうした」
隣を歩いていたエランテルが怪訝そうに眉を寄せる。
陸翔は慌てて首を振った。
「いや、なんでもないです」
「顔色が悪い」
「もともとです」
「さっきより悪い、と言っている」
そのまま言葉を失う。
説明できるわけがない。自分にしか見えない謎のシステムが、いきなり王国壊滅を防げと言い出しました、などと。
エランテルは少しだけ訝しげな顔をしたが、それ以上は追及せず歩き出した。
「行くぞ」
「……どこへですか」
「決まっている。お前の置き場だ」
「置き場って言い方、ひどくないですか」
「甘やかしている場合か?」
その通りではある。
あるのだが、もう少しこう、人間らしい言い回しはないのか。
陸翔は内心で文句を言いながら、エランテルのあとを追った。
◇
王城から少し離れた区画は、下町の喧騒とはだいぶ空気が違っていた。
道幅が広い。石畳は綺麗に揃えられ、建ち並ぶ家々も高い塀や手入れされた庭を備えている。いかにも金持ちそうな邸宅ばかり、少なくとも庶民の暮らす場所ではない。
「……ここ、どこですか」
「騎士や官吏、宮廷勤めの貴族が多く住む区域だ」
「へえ……」
そこで陸翔は、ふと嫌な予感を覚えた。
「まさかと思うんですけど」
「なんだ」
「俺、兵舎とか厩舎の空き部屋とか、そういうところに突っ込まれるんじゃないんですか」
「そのつもりだったか?」
「むしろそれしかないと思ってました」
「そうか」
エランテルは前を向いたまま答える。
「残念だったな」
「何がです?」
「着いた」
立ち止まった先にあったのは、白い石壁に囲まれた二階建ての屋敷だった。
派手ではない。だが品がある。門扉には簡素な紋章が刻まれ、奥には小さな中庭と、手入れの行き届いた低木が見える。豪奢な大貴族の邸宅というより、きちんとした武門の家の屋敷、といった印象だった。
陸翔は口を開けたまま固まる。
「……え」
「入るぞ」
「いやいやいや、ちょっと待ってください」
「何だ」
「ここ、誰の家ですか」
エランテルは心底わからないという顔で振り返った。
「私の家だが」
「ですよね!?」
予想はしていた。していたが、やはり口に出されると衝撃が違う。
「え、じゃあ俺ここに来たってことは、まさか」
「言っておくが」
門をくぐるなり、エランテルはぴたりと足を止めた。
振り向いたその顔は、昨日までと同じように整っていて、同じように隙がなく、そして同じように容赦がなかった。
「これは保護ではない」
「……はい」
「お前を監視下に置くため、私の目の届く場所に置くだけだ」
「つまり……」
「つまり、当面ここで生活してもらう」
やっぱりそうか。
陸翔は思わず天を仰ぎたくなった。
まさか異世界二日目にして、美人騎士隊長の屋敷に住むことになるとは、誰が予想できる。いや、字面だけ切り取ると妙に聞こえはいいが、実態はどう考えても監獄である。
「勘違いするなよ」
エランテルの声音が一段低くなる。
「私はこれでもかなり強い。妙な気を起こした瞬間、お前を床に沈める程度は造作もない」
「言い方が怖いんですけど」
「怖がらせるために言っている」
真顔だった。
「……いや、変な気なんて起こしませんよ」
「逃亡も含む」
「ああ、そっち」
「他に何がある」
「いえ何も」
ある意味で助かった。
変に意識されても困る。いや、この言い方も変だな、と陸翔は自分で思ってやめた。
ともかく、エランテルの態度は一貫していた。
助けてくれたし、進言もしてくれた。だが、それはあくまで管理しやすい形を選んだだけであって、信用したわけではない。
それは陸翔にもわかっていた。
屋敷の扉が開く。中から現れたのは、年配の女性だった。姿勢のよい、きびきびとした人だ。エランテルを見ても驚いた様子はなく、ただ一礼する。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ただいま戻った、マルタ」
お嬢様。
陸翔は思わず目を丸くした。
「部屋は」
「すでに整えてございます。東棟の客間を一室。」
「客間ではない」
エランテルが即座に訂正する。
「監視対象の仮置きだ。私の部屋の隣に物置があっただろう。そこを使わせる。」
「左様でございますか」
年配の女性――マルタは、ぴくりともせずに応じた。
慣れているのか、流しているのか、その両方かもしれない。
ちらりと陸翔を見る視線も、露骨な嫌悪はなかったが、温かくもなかった。事情を聞いているのだろう。
「食事はどうされますか」
「私と同じでいい。ただし刃物類は持たせるな」
「はい」
「さすがにそこまで警戒します?」
「する。魔導拘束具が壊れた件を忘れたか」
「忘れられるわけないでしょう」
首輪が爆ぜた感触は、まだ妙に生々しく首筋に残っている。
エランテルは短く息を吐き、靴音も高く廊下を進み始めた。
「ついてこい」
屋敷の中は静かだった。
床も壁も飾り立ててはいないが、手入れが行き届いている。剣や槍を飾る武家趣味の一角もあり、廊下の窓からは小さな訓練用の庭が見えた。人の気配は少ない。住んでいるのはエランテル本人と、最低限の使用人だけらしい。
「……思ってたより、ちゃんとした屋敷ですね」
「どういう意味だ」
「いや、もっとこう、騎士隊長って兵舎暮らしなのかと」
「私は中級貴族の出だ。家はある」
やはり貴族か。
第一印象からそんな感じはしていたが、あまりにも似合いすぎて妙に納得する。
「もっとも、隊長にまで上がったのは家柄だけではない」
前を向いたまま、エランテルは淡々と言った。
「そうでしょうね」
路地裏でのあの戦いを見ていれば、そこに異論は出ない。
「……何だ、その顔は」
「いや、強いんだなって改めて」
「いまさらか」
「いまさらです」
「ふん」
階段を上がり、東棟の端へ。
エランテルが一つの扉を開けた。
「ここだ」
中は思ったより倉庫ではなかった。
確かに物はおいてある。だがベッド、机、椅子、衣装棚は置いてあった。窓は高く、外から簡単には出入りできそうにない。
「……驚いた、ちゃんとした部屋だ」
「文句があるなら厩舎脇の空き部屋でもいいが」
「ありません。全然ありません」
即答だった。
エランテルはうなずき、壁際を示す。
「勝手に屋敷を歩き回るな。外出は必ず私かマルタに伝えろ。許可なく門を出れば、逃亡と見なし、首を刎ねる。」
「はい…」
「武器庫、書庫、執務室には入るな。夜は鐘が三つ鳴ったあとは自室にいろ。扉に鍵はつけないが、廊下には見張りを置く」
「見張りまで」
「監視下だと言ったはずだが」
その通りすぎて、何も言えない。
「あと」
エランテルはわずかに言い淀んだように見えたが、すぐにいつもの調子に戻った。
「不用意に使用人を怯えさせるな。彼らに罪はない」
それは少し意外だった。
命令口調ではあるが、どこか本音が混ざっている。
「……わかりました」
「返事だけは素直だな」
「そこしか褒めるとこないんですか」
「いまのところは」
どこかで聞いたやり取りだな、と思う。
だが王城から戻るまでの会話より、ほんの少しだけ温度がましになった気がした。
エランテルは扉のほうへ向き直る。
「夕食までに必要なものがあればマルタへ言え。ただし、無茶な要求は却下だ」
「たとえば?」
「元の世界へ帰す門を出せ、とかな」
「それは……」
冗談なのか、違うのか、判断に困る顔だった。
結局、陸翔は苦笑に近い息を漏らすしかなかった。
「言いませんよ」
「ならいい」
扉の前で立ち止まり、エランテルは最後に一度だけ振り返る。
「重ねて言う。ここは保護施設ではない。私の任務は、お前を見張り、働かせ、必要なら排除することだ」
「はい」
「だが」
ほんのわずか、言葉が緩む。
「屋根の下に置く以上、勝手に死なれるのも困る。無茶はするな」
それだけ言って、彼女は部屋を出ていった。
扉が閉まる。
ようやく、一人になった。
◇
しばらく、陸翔はその場に立ち尽くしていた。
静かだった。
驚くほど、静かだ。
窓の外からはかすかに鳥の声が聞こえる。
ベッドに腰を下ろす。沈み込みすぎない、固めの感触。
異世界に来てから、ようやく“部屋”と呼べる場所に落ち着いた気がする。
その瞬間だった。
気が抜けたせいか、胸の奥に押し込めていたものが一気に戻ってくる。
妹は、どうしているだろう。
いま、何時だ。
昼はとっくに過ぎたのか。もう夜か。
待ってる、と言っていた。あの小さな声を、まだ耳が覚えている。
「……帰らないと」
ぽつりと出た言葉は、部屋の静けさに吸い込まれた。
帰る。
そのためには、この世界のことを知らなければならない。
王。エランテル。ヴェルミ。シーカー。
そして何より、この意味不明なシステム。
路地裏でメニューを眺めたときは、生き残るのに必死だった。
王に謁見したあとは、それどころではなかった。
だがいまは違う。少なくとも、少しのあいだ命の危険は遠のいた。なら、やることは一つだ。
陸翔は両手を見下ろした。
意識を向ける。
青白い光が、目の前に浮かび上がった。
インベントリ。
デッキ編集。カード一覧。カードパック開封。個人能力値。シナリオ進行度。
そして、あの不気味な文字列。
王との面会を経て、何か変わったのかもしれない。
説明欄が増えている可能性もある。
少なくとも、あの【王国壊滅を防げ(0/10)】を放置したままでいいはずがなかった。
この世界で生き残るためにも。
妹のもとへ帰るためにも。
「……まずは、システムを確認しよう」
陸翔はそう呟いて、改めてスクリーンへ手を伸ばした。




