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異世界エンゲージ ~毎日のパック開封でカード使いは帰還を目指す~  作者: アトラス


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第17話 引き渡すふり

客室の空気は、ようやく少しだけやわらいでいた。


 薬草の匂い。

 薄いスープの湯気。

 窓の外では、夜がすっかり深くなっている。


 だが、安心できる空気ではない。


 窓硝子に貼りついていた黒い羽根――追跡魔術は、エランテルが剣の柄で砕いた。

 砕いた瞬間、金属片は黒い砂になって消えた。


 それでもメーファの怯えは消えなかった。

 寝台の上で毛布を握るメーファは、まだ警戒を解いてはいない。

 けれど、さっきまでのように今にも噛みつきそうな顔はしていなかった。


 スープを少しずつ飲めるようになっただけでも、大きな進歩だった。

 セバスチャンとマルタが一度下がり、部屋には陸翔とエランテル、それにメーファだけが残る。


 エランテルは壁際に立ったまま、じっと少女を見ていた。


「落ち着いたか」


 低い声でそう問うと、メーファの耳がぴくりと揺れた。

 言葉は通じていない。

 だが、声音で警戒は伝わるらしい。


 陸翔は小さく息を吐き、彼女の言葉に置き換える。


「……もう、大丈夫?」


 メーファは少し迷ってから、こくりとうなずいた。


 それでも、次の瞬間には何かを思い出したように顔色を変えた。


「っ……おかあさん」


 震えた声だった。

 毛布を握る指先に力がこもる。


「おかあさん……たすけないと」


 陸翔は目を見開いた。


「母親?」


 メーファは何度も頷いた。

 狼の耳が伏せられ、尾が不安げに揺れる。


「まだ、いるの。しろいへや。つれていかれる。よる、くるの」


 言葉は途切れ途切れだった。


 落ち着いたとはいえ、まだ衰弱している。

 思い出すだけで怯えが戻るのだろう。


「何をされてるんだ」


 陸翔が優しく問い返すと、メーファは喉を鳴らした。


「ぬかれるの」


「抜かれる?」


「いのち……みたいなの」


「命が、抜かれる?」


 その言葉に、部屋の空気が変わった。

 エランテルの目がわずかに細くなる。


「……禁忌の術式か」


「禁忌の術式?」


「この国で固く禁じられている力だ。他者から生命力、あるいは魔力に類するものを抜き取り、己のものにする。分類としては、死霊術に近い」


 陸翔は息を呑んだ。


「そんなものを使ってるなら、相手が貴族でも駄目なんじゃないですか」


「当然だ」


 エランテルの声が低く沈む。


「禁忌の術式の使用が確認できれば、子爵であろうと侯爵であろうと取り締まりの対象になる。貴族だから手が出せない、という話ではない。むしろ貴族が関わっているなら、なおさら見逃せん」


 陸翔はメーファへ視線を戻した。


「いのちっていうのは、生命力みたいなものか?」


 メーファはうまく意味を掴めていない顔のまま、それでも必死に頷いた。


「そう。からだ、つよいひと、いっぱいつれてこられた。でも、みんなすぐ、かれた」


 声が掠れる。


「おかあさんは、大丈夫だった。つよかった。だから、なんども、なんども……」


 そこで言葉が詰まった。

 耳が震える。

 瞳が潤む。

 それでも泣き崩れずに、必死で続ける。


「すわれて、くるしくなって、でもおくすりいれられて、またなおされて……また、すわれるの」


 陸翔の喉がひりついた。


 命を絞られるような装置。

 壊れる寸前まで搾り取られ、薬で戻され、また同じことを繰り返される。


「普通の人間は、すぐ死ぬ。でもその装置に君のお母さんは何度も……」


 ぽつりと漏らすと、エランテルが低く言った。


「虎狼族の頑丈さを利用しているのだろうな」


 その声には、静かな怒りがあった。


 メーファは泣きそうな顔で訴える。


「もう、もたないの。おかあさん、もう……」


 そして次の瞬間、彼女は寝台から身を乗り出した。


「たすけて!」


 悲鳴に近い声だった。


「ばしょ、わかる! わたし、つれていける! だから、おねがい……!」


 その目が、まっすぐ陸翔へ向く。


 それから、ふいに何かを思い出したように息を呑んだ。


「ピノ・メイファ、しってる!」


 陸翔の動きが止まった。


「……え? ピノ・メイファを知ってるの?」


 陸翔が問うと、メーファは必死に続ける。


「ピノ・メイファ、しってる! たすけてくれたら、いう! ちゃんと、いう!」


 小さな拳が毛布を握りしめる。


「だから、おかあさん、たすけて……!」


     ◇


 陸翔がメーファの話を翻訳する。

 するとしばらく、誰も何も言わなかった。


 最初に口を開いたのはエランテルだった。


「話を整理する」


 淡々とした声。


「我々の目標は“ピノ・メイファの保護”だ」


 エランテルの言葉を、陸翔がメーファへ伝える。

 メーファはびくりと肩を揺らしたが、何も言わない。


「つまり現時点では、我々は目的を達成できていない。加えて、メーファの母親が禁忌の術式に利用されている可能性が出てきた」


 陸翔は眉をひそめる。


「可能性、ですか」


「証言だけでは断定できん」


 エランテルは陸翔を見た。


「この子が嘘をついていると言っているわけではない。だが、怯え、衰弱し、言葉も完全には通じていない。見たものを正しく理解している保証はない。場所も曖昧、敵戦力も不明、背後に誰がいるかも確かではない」


 正論だった。

 正論すぎて、反論しづらい。

 だが、目の前で震えているメーファを見て、それで引き下がれるかと言われれば、答えは違った。


「でも、このままじゃ母親は死ぬんですよね」


 陸翔が低く言う。


「本当ならな」


「なら――」


「だからこそ、うかつには動けん」


 エランテルの声は冷たい。

 けれど切り捨てているわけではない。


「相手が貴族である以上、こちらが証拠もなく踏み込めば、こちらのほうが罪に問われる。拉致、強襲、貴族権限への干渉。いくらでも名目は作れる」


「でも、禁忌の術式を使ってるなら」


「その事実を掴めば、兵を動かせる」


 エランテルははっきりと言った。


「禁忌の術式が確認できれば、相手が貴族であろうと検挙する。王都警務を動かす大義名分にもなる。だが、確認する前に動けば、向こうに逃げ道を与えるだけだ」


 陸翔は歯を食いしばった。


 どうする。

 助けたい。

 でも、正面から行って勝てる相手じゃない。

 貴族が絡んでいるなら、兵を借りるのも簡単ではない。


 カードを切れば、突破できるかもしれない。

 刀星ムラクモ。

 大天使の抱擁。

 あるいは、まだ見ぬ高位の札。


 だが、駄目だ。


 大天使の抱擁を使ったあと、デッキケースの底が脈打った。

 黒い靄。六コスト。


 あれは、使うたびに近づいている。


 便利だから使う。

 助けたいから使う。


 それを繰り返した先に、王都が黒く染まる未来があるのなら。


「カードを使えば、たぶん何かはできます」


 陸翔はぽつりと言った。

 エランテルが黙ってこちらを見る。


「でも、それをやったら、また底のあれが近づく気がします」


 自分で言って、喉が乾いた。


「だから今回は、最初から奇跡に頼らない。使わないで済むところまで考えます」


「……お前がそれを言うのか」


「言わないと、たぶん俺はずっと頼ってしまう」


 エランテルはわずかに目を細めた。

 そのときだった。


 扉が叩かれた。


「失礼いたします」


 入ってきたセバスチャンの顔は、いつもより硬かった。


「エランテル様。門前に使者が」


「誰だ」


「ヴェルミ子爵家の名代を名乗っております」


 エランテルの目が細くなった。

 セバスチャンは一通の封書を差し出す。


 封蝋には、白い手袋を模した紋章が押されていた。


「文面は」


「こちらに」


 エランテルが封を切り、目を通す。

 その表情が、見る間に冷えていった。


「……」


「何て書いてあるんですか」


 陸翔が問う。


 エランテルは、メーファを見た。


「その少女はヴェルミ子爵家が正当に所有する資産であり、不当に持ち去られた盗難品である。速やかに返還せよ」


 メーファの顔から血の気が消えた。

 陸翔は拳を握る。


「盗難品って……!」


「この国では、奴隷制そのものは禁止されていない。所有の証文が本物なら、向こうの主張は一応成立する」


 エランテルは文面へ視線を戻した。


「引き渡しは明日、北区の旧水門。拒否すれば、保護ではなく拉致として王都警務へ告発する――だそうだ」


 部屋の空気が、一気に重くなる。

 メーファの尾が震えた。


「そこ……」


 陸翔が彼女を見る。


「知ってるの?」


 メーファは唇を震わせながら、こくりと頷いた。


「しろいへや、ちかい。ちかくに、みずのにおい、する。ふるい、もん」


 旧水門。


 敵は道を開いた。

 いや。

 開けてしまった。


 エランテルは封書を指で軽く弾いた。


「馬鹿なことをしたな、ヴェルミ子爵家は」


「え?」


「この子にこちらの言葉が通じないと見て、わざわざ自分たちから手紙を寄越したのだろう。メーファが何を見て、何を知っているかまでは考えなかった。こちらがただ怯えて返すと思ったのなら、随分と浅慮な考えだ」


 エランテルの目が冷たく光る。


「この手紙は、少なくともヴェルミ子爵家がメーファを取り戻そうとしている証拠になる。そして引き渡し場所が、メーファの言う“白い部屋”の近くと一致した」


 陸翔の胸が跳ねた。


「じゃあ、これで兵を――」


「まだだ」


 すぐに遮られた。


「手紙だけでは、奴隷の返還要求に過ぎない。禁忌の術式を使っている証拠にはならん。むしろここで兵を動かせば、向こうは施設を捨てる。母親も証拠も消されるだろう」


 陸翔は唇を噛んだ。


 焦りが喉まで上がってくる。

 でも、エランテルの言うことはわかる。


 今、無理に動けば、助けるどころか全てを失うかもしれない。


「なら、どうするんですか」


「確認する必要がある」


 エランテルは短く言った。


「明日の引き渡しを利用する。だが、メーファを渡すためではない。証拠を取るためだ」


 陸翔は顔を上げた。


「俺が行きます」


「……言うと思った」


「メーファの言葉がわかるのは、今のところ俺だけです。引き渡し場所が本当に施設の近くなら、俺が見に行くのが一番早い。メーファから聞いた情報と照らし合わせられます」


「一番危険だ」


「わかってます」


 陸翔はメーファを見る。

 小さな体はまだ震えていた。

 それでも、彼女は陸翔の言葉の意味を探ろうと、必死にこちらを見つめている。


「でも、明日まで待っていたら、お母さんがどうなるかわからない。今夜のうちに聞けるだけ聞いて、明日の引き渡しで確かめる。そこで本当に禁忌の術式があるとわかったら、合図を出します」


 エランテルの眉がわずかに動いた。


「合図?」


「はい。俺が中を見て、メーファの話が本当だと確信できたら、外に知らせる方法を決めておく。そうしたら、エランテルが兵を動かして踏み込む」


「私に検挙させるつもりか」


「そのほうがいいんですよね?」


 陸翔は真っ直ぐに言った。


「俺が暴れたら、ただの襲撃です。でも、禁忌の力を使っている現場をエランテルが押さえれば、貴族相手でも取り締まれる」


 エランテルは黙った。


 否定しない。

 それだけで、陸翔は少しだけ息をつけた。


「もちろん、メーファの言っていることが全部本当かはわかりません。場所も、見たものも、勘違いがあるかもしれない。でも本当なら、兵を動かせる。だったら、俺が確認します」


「お前は自分を囮にするつもりか」


「囮じゃありません。調査です」


「言い方を変えただけだ」


「でも、必要です」


 沈黙が落ちた。

 重い沈黙だった。


 やがて、エランテルが小さく息を吐く。


「……馬鹿げた案だ」


「はい」


「成功率も高くない。相手が警戒していれば、お前は戻れない」


「はい」


「だが、無策で踏み込むよりはましだ」


 陸翔は息を呑んだ。


「じゃあ――」


「まだ許可したとは言っていない」


 すぐに釘を刺された。


「詰める。引き渡しの筋書き。お前の立場。合図の方法。兵を動かす条件。メーファから聞き取るべき情報。そこまで全部決めてからだ」


「……はい」


 それでも、完全な否定ではなかった。

 メーファが小さく顔を上げる。


「……お兄ちゃん?」


 陸翔はできるだけ安心させる声で言った。


「まだ、これから考える。でも、助けに行く方法はある」


「ほんと?」


「本当だ」


 そのとき、メーファが毛布を握りしめた。


「わたし、はなす」


 陸翔は目を見開く。


「無理しなくていい。君はまだ――」


「はなす」


 震えていた。

 泣きそうだった。

 それでも、メーファは目を逸らさなかった。


「おかあさん、まもってくれた。だから、わたし、しってること、ぜんぶいう。みちも、へやも、においも、ひとのこえも」


 その瞬間、陸翔は理解した。


 これは、メーファを守るだけの話ではない。

 この子が、自分の足で母親を取り戻そうとしている話だ。


「……わかった」


 陸翔はゆっくり頷いた。


「でも約束して。思い出して苦しくなったら、すぐ止める。無理に全部言わなくていい。俺が聞くから、ゆっくりでいい」


 メーファは一瞬だけ迷い、それから頷いた。


「やくそく、する」


 エランテルが小さく息を吐く。


「子供までその気にさせてどうする」


「俺がさせたわけじゃないです」


「似たようなものだ」


 言いながらも、エランテルは剣帯を締め直した。


「セバスチャン」


「はい」


「旧水門までの地図を。北区周辺の警邏配置も確認しろ。ただし、こちらの兵を大きく動かすな。動かせば相手に悟られる」


「かしこまりました」


「マルタにはメーファの服を用意させろ。目立たないものだ。必要なら、縛られているように見せる布もいる。ただし、すぐに外せるよう細工する」


「承知いたしました」


「それと、 ファンガス リッキー ミシェルを集めろ。明日、私が合図を受けたらすぐ動ける者だ。名目は巡回強化でいい」


 セバスチャンが素早く動き出す。


 陸翔は自分のデッキケースへ視線を落とした。


 今回は、最初から奇跡に頼らない。

 でも、必要になったら使う。


 その線引きが、自分にできるのかはわからない。

 それでもやるしかなかった。


「……よし」


 エランテルが片眉を上げる。


「何がよしだ」


「覚悟です」


「作戦より先にそこだけ決めるな」


「でも、ないよりはいいかなって」


「本当にお人よしだな、お前は」


「よく言われます」


「私がお前に言うときは、褒め言葉ではない」


「知ってますよ。でも――ありがとう」


 エランテルは呆れたように目を細め、それから封書を折り畳んだ。


「感謝は明日、生きて戻ってから言え」


 その一言で、部屋の空気が引き締まった。


 明日の引き渡し。

 北区の旧水門。

 禁忌の術式。

 そして、まだ白い部屋に残されている母親。


 陸翔はメーファの前に椅子を引き寄せ、できるだけ穏やかな声で言った。


「じゃあ、メーファ。今から聞かせて。お母さんがいる場所のこと。白い部屋のこと。そこにいた人たちのこと」


 メーファは毛布を握ったまま、小さく頷いた。


 怖くて、苦しくて、それでも逃げなかった。


 陸翔はその震える声を一つずつ拾い、エランテルは黙って記録する。


 夜はまだ深い。

 けれど、ただ待つだけの夜ではなくなっていた。




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