第18話 都合のいい奇跡
メーファの聞き取りが終わったのは、夜がさらに深くなってからだった。
「さて」
エランテルが椅子へ腰を下ろす。
「聞き取りは済んだ。次はお前だ」
「俺ですか?」
「今日の開封をしていないだろう」
陸翔は一瞬、返事に詰まった。
確かに、まだだった。
メーファの話を聞いて、作戦を考えて、手紙が来て。
今日のカードパックのことなど、すっかり頭から抜けていた。
「……今、開けるんですか?」
「明日、命を懸けるのだろう。手札は多いほうがいい」
「それは、そうですけど」
陸翔はデッキケースへ視線を落とした。
黒い靄は出ていない。
脈打ってもいない。
ただ、静かだった。
それがかえって不気味だった。
前に大天使の抱擁を使った時、底の何かが近づいた。
それ以降、陸翔はカードを使うことにも、開封することにも、前より慎重になっている。
けれど、明日は違う。
使わずに済むなら、それが一番いい。
だが、何も準備しないまま死地に向かうのは、もっと違う。
「……開けます」
陸翔は小さく息を吸い、インベントリを開いた。
【第一弾『始まりの物語』 1/1】
青白い表示が、目の前に浮かぶ。
何度見ても、この瞬間だけは慣れない。
便利で。
理不尽で。
そして、どこかで必ず代償を要求してくるような気がする。
陸翔は開封を押した。
青白い光が、五つに分かれる。
【能力値+5 A】
【100ゴールド E】
【次元の魔女リリステラ S】5コスト 5/5 飛行 対象の位置を入れ替える。
【能力値+3 B】
【不可視のマント S】フードを被ると対象者の姿を隠すことができる。
「……出ました」
「どうだった?」
明日の作戦に必要なものが、そのまま手の中に落ちてきた。
陸翔は、喜ぶより先に背筋が冷えた。
「不可視のマントというのが出ました。対象者の姿を隠すことが出来るようです。」
陸翔はマントを取りだした。
「……」
陸翔は黙った。
エランテルも黙った。
しばらく、部屋の中に何の音もなかった。
「いや」
先に口を開いたのは陸翔だった。
「これは、さすがに」
「都合がよすぎるな」
エランテルが言い切った。
陸翔は乾いた笑いを漏らす。
「ですよね」
明日の引き渡し。
敵地の確認。
見つかれば終わる潜入。
そこへ、姿を隠すマント。
あまりにもぴったりだった。
ぴったりすぎた。
「幸運が上がってるから、いいカードが出やすくなった……とかですかね」
「その可能性はある」
「でも、そうじゃない可能性もある」
陸翔が言うと、エランテルは静かに頷いた。
「お前の札は、単なる道具ではない。必要なものを引き寄せているのかもしれん。あるいは、何者かが必要なものを引かせているのかもしれん」
「何者かって」
「私にわかると思うか」
「思いませんけど」
「なら聞くな」
いつもの調子だった。
陸翔は不可視のマントを見る。
間違いなく、便利だ。
これがあれば、作戦の幅は広がる。
メーファを救う可能性も、母親へ辿り着く可能性も上がる。
けれど。
都合が良すぎる奇跡ほど、信用していいのか迷う。
「……でも、使えるものは使います」
陸翔はそう言った。
「明日、誰かが死ぬかもしれないなら。疑ってるだけで使わないなんて、たぶんできない」
エランテルは陸翔を見た。
「だからこそ、使い方を決めておけ」
「はい」
「便利だから使うな。必要な時にだけ使え。使う前に、何を得て、何を失う可能性があるか考えろ」
「……はい」
次に能力値カードを使用した。
【神崎 陸翔】
【個人ランク1】
【戦闘値 0/3/15】→ 【戦闘値 0/3/20】
【攻撃力 / 体力 / 魔力】
【筋力 3】
【俊敏 2】
【知力 5】
【幸運 17】→【幸運 20】
【余剰値 0】
【能力】
【言語の加護】
【適性無視】
【剣術初級】
【豪運】
【超魔力】
戦闘値の歪さは、相変わらずだった。
攻撃力はゼロ。
体力は三。
魔力だけが二十。
幸運も二十。
どう見ても、まともな前衛ではない。
だが、カードを使う者としては、明らかに以前とは違う。
「魔力二十か」
エランテルが呟く。
「個人ランク1の数値ではないな」
「ですよね」
「だが、体は弱いままだ。殴られれば倒れる」
「わかってます」
「わかっている顔ではない」
「今、ちょっと強くなった気がしただけです」
「その感覚を捨てろ」
容赦がなかった。
けれど、正しい。
魔力が増えたところで、刃が腹に刺されば死ぬ。
カードが強くなったところで、使う前に首を落とされれば終わりだ。
明日は、それを忘れてはいけない。
◇
翌日。
屋敷の一室には、重い空気が満ちていた。
集められたのは、エランテル、ファンガス、リッキー、ミシェル。
そして陸翔とメーファ。
セバスチャンは部屋の隅に控え、マルタはメーファの後ろに立っている。
メーファは、昨日より少しだけまともな服を着ていた。
質素な灰色の上着。
動きやすいズボン。
足元は柔らかい靴。
目立たない服装だった。
手首には布を巻き、縛られているように見せる。
ただし、軽く引けばほどけるように細工しておく。
「まず確認する」
エランテルが地図を広げる。
「引き渡し場所は北区旧水門。指定時刻は日没後。相手が何人で来るかは不明だ」
ファンガスが腕を組んだ。
「向こうが馬鹿なら少数で来る。警戒していれば多勢だな」
「貴族の名を使っている以上、表向きは少数で堂々と来る可能性もあるわ」
ミシェルが言う。
「ただし、禁忌の施設が本当に近くにあるなら、大人数は逆に目立つ。受け取り役だけ少数で寄越す可能性が高い」
リッキーが軽く手を上げた。
「で、こっちはどうするんです? 本当にこの子を渡すわけじゃないですよね」
メーファの耳がぴくりと動く。
言葉は通じていない。
けれど、自分のことを話しているのはわかるのだろう。
陸翔は小さな声で彼女に伝えた。
「大丈夫。本当に渡すわけじゃない。作戦の話をしてる」
「……うん」
メーファは頷いたが、その手は服の裾を握っていた。
怖いに決まっている。
それでも、ここにいる。
逃げずに。
エランテルが続ける。
「作戦は相手の人数で分ける。まず、少数だった場合」
旧水門へ近づく前に、ミシェルが遠距離から人数を確認する。
少数なら不可視のマントを使った制圧、多勢なら交渉の芝居へ切り替える。
陸翔は不可視のマントのことを話した。
実体化したマントは、何の変哲もない布に見えた。
薄く、軽い。
だがフードを被った瞬間、姿を隠せる。
実験では、フードを被った陸翔の姿は、エランテルの目にも本当に見えなくなった。
フードを被った陸翔の姿が、本当に部屋から消えたからだ。
声は聞こえる。
足音も出る。
触れればそこにいるとわかる。
だが、目には見えない。
それだけで十分すぎるほど危険な道具だった。
「これをエランテルさんに使ってもらいます」
陸翔が言うと、ファンガスの眉が動いた。
「隊長が姿を隠すのか」
「はい。引き渡し場所に来た相手が少数なら、エランテルさんが背後から制圧します」
リッキーが口笛を吹きかけ、エランテルに睨まれて黙った。
陸翔は続ける。
「全員を倒すんじゃなくて、一人だけ残します。案内役にするためです」
「案内役?」
「はい。本拠地を探るためです。旧水門の地下道が複雑なら、嘘の道を教えられるかもしれない。だから、敵の一人に案内させます。また通路をごまかされる可能性もあるため、メーファの案内も必要です。」
「背中に刃を突きつけて、か」
ミシェルが淡々と言った。
陸翔は頷く。
「エランテルさんが不可視のまま背後につく。案内役には、逃げたり騒いだりしたら終わりだと思わせる」
「残りは?」
ファンガスが問う。
「エランテルが倒したのはファンガス達で回収してもらいたいです。声を出される前に拘束して、旧水門の外へ運ぶ。引き渡しに来た連中を全員押さえれば、少なくとも向こうの連絡は遅れます」
「悪くない」
ファンガスが短く言った。
リッキーは肩をすくめる。
「悪くないどころか、だいぶえげつないですよ。姿の見えない隊長に背後を取られるとか、俺なら泣きます」
「お前は泣く前に黙らせよう」
「隊長、味方に怖いこと言わないでください」
軽口が入ったおかげで、部屋の空気がほんの少しだけ緩む。
だが、陸翔はメーファを見て、すぐに表情を引き締めた。
「重要なのは、メーファにも来てもらうことです」
部屋の空気が、また少し重くなった。
マルタが心配そうにメーファの肩へ手を置く。
エランテルが陸翔を見る。
「危険だぞ」
「わかってます。でも確実な方法です。」
陸翔はメーファへ向き直り、彼女の言葉で説明した。
旧水門へ行くこと。
本当に渡すわけではないこと。
ただ、道を覚えているか確認してほしいこと。
危なくなったら、すぐ逃げること。
メーファは最後まで黙って聞いていた。
そして、小さく頷いた。
「いく」
「本当に?」
「いく。おかあさんのところ、わたし、わかる」
震えている。
それでも、目は逸らさなかった。
陸翔は胸が痛くなった。
「……わかった」
そう答えるしかなかった。
◇
「次だ」
エランテルが言った。
「相手が多勢だった場合」
そこで、陸翔は少しだけ黙った。
できれば言いたくなかった。
だが、言わなければ作戦にならない。
「その場合は、こっちも芝居をします」
「芝居?」
リッキーが首を傾げる。
陸翔はメーファを見た。
そして、少しだけ言葉を選んだ。
「「俺たちは、お前たちが何を研究しているか知っている。その研究に興味がある。メーファを殺されたくなければ、施設まで案内しろと脅します。」
部屋の空気が凍った。
「それで?」
エランテルの声は静かだった。
静かすぎて、怖かった。
「向こうに、俺たちを同類だと思わせます」
陸翔は続けた。
「メーファを返したくないんじゃなくて、メーファを盾にして交渉しようとしている。そう思わせれば、相手はすぐ殺しには来ないかもしれない」
「子供の恐怖を利用するのか」
ファンガスが言った。
「……利用、します」
自分でも、ひどいと思った。
自分の言っていることが、綺麗な作戦ではないことはわかっている。
むしろ、汚い。
メーファを助けたいと言いながら、その怯えまで利用しようとしている。
でも、多勢相手に正面からぶつかれば、救えるものも救えなくなる。
そう思ってしまった。
「お前」
エランテルが口を開いた。
「今の自分が、どんな顔をしていたかわかっているか」
「……え?」
「敵を騙すためなら、子供の恐怖まで利用すると決めた顔だ」
胸を刺されたようだった。
「違います。俺は、そんなつもりじゃ――」
「つもりの話ではない」
エランテルの声は冷たい。
だが、怒鳴ってはいなかった。
「追い詰められた時、人はそういう顔をする。救うためだと自分に言い聞かせながら、少しずつ越えてはならない線を踏む」
陸翔は何も言えなかった。
メーファを守りたい。
母親を助けたい。
ピノ・メイファも探したい。
エランテルも死なせたくない。
王国も壊滅させたくない。
妹のもとに帰りたい
全部を抱えようとして、いつの間にか、手段を選ばないほうへ傾いていたのかもしれない。
「……すみません」
陸翔は頭を下げた。
「でも、案は撤回しません」
ファンガスが眉をひそめる。
リッキーが目を丸くする。
エランテルだけは、黙って続きを待っていた。
「メーファに説明します。嫌だと言ったらやりません。怖いと言ったらやめます。けど、メーファがそれでもやると言うなら、選択肢として残してください」
「理由は」
「多勢だった時、正面から動けば全員死ぬかもしれないからです」
陸翔は拳を握った。
「俺はとにかく助けたいです。でも、それで失敗したら意味がない。だから、汚い案でも出します。採用するかどうかは、エランテルさんが決めてください」
エランテルはしばらく陸翔を見ていた。
試すような目だった。
怒っているようにも、呆れているようにも見えた。
やがて、彼女は小さく息を吐いた。
「案としては残す」
マルタが不安げに顔を上げる。
ファンガスは不満そうだったが、何も言わなかった。
「ただし条件がある」
エランテルは続ける。
「メーファ本人が理解し、同意すること。実際に刃を向けないこと。拘束もすぐ外せるものに限ること。少しでもメーファが崩れたら中止。敵が接近しすぎた場合も中止だ」
「はい」
「そして、お前がその顔をしたら、私が止める」
「……その顔?」
「自分で気づけないなら、私が殴ってでも戻す」
「殴るんですか」
「必要ならな」
陸翔は苦笑しかけた。
だが、うまく笑えなかった。
「お願いします」
そう言うと、エランテルは少しだけ目を細めた。
◇
その後、作戦はさらに詰められた。
合図は1つ。
爆音がしたら即時突入。
ファンガスは外の制圧と拘束。
リッキーは逃走経路の確保。
ミシェルは遠距離からの監視と、エランテルの隊への連絡役を担う。
セバスチャンとマルタはメーファの身支度と、万が一の帰還後の治療準備。
誰もが、自分の役割を理解していく。
その中で、メーファも説明を受けた。
少数なら、敵を倒して案内させること。
多勢なら、怖い芝居をするかもしれないこと。
嫌ならやらなくていいこと。
本当に危なくなったら、すぐ逃げること。
メーファは長い間、黙っていた。
その顔を見て、陸翔は何度も「やめよう」と言いかけた。
だが、メーファは小さく言った。
「やる」
「無理しなくていい」
「やる」
同じ言葉だった。
震えていた。
怖がっていた。
それでも、拒まなかった。
「おかあさん、もっとこわいところにいる。わたしだけ、こわいのいやって、いえない」
陸翔は返す言葉を失った。
強い子だと思った。
同時に、そんな強さをこの子に持たせた世界が嫌になった。
「わかった」
陸翔は膝をつき、目線を合わせる。
「でも、約束して。怖くて駄目だと思ったら、すぐ言って。俺もすぐ止める」
「うん」
「あと、勝手に走らない」
「うん」
「俺から離れない」
「……うん」
メーファも、小さく頷いた。
それで、準備は整ってしまった。
◇
作戦会議が終わり、陸翔は自室で、デッキの整理をしていた。
【ゴブゴブテイラー】を抜いて、【次元の魔女リリステラ】と入れ替える。
陸翔は、あの六コスト級の存在に対抗するには、デッキを高ランクカードで固める必要があると感じていた。
「それにしても、今回出たカード…」
【次元の魔女リリステラ】
【不可視のマント】
どちらも、明日のために用意されたような札だった。
偶然にしてはできすぎている。
救いたい時に、救うための札が来る。
まるで誰かが、物語を先へ進めようとしているみたいに。
「……誰が、何のために」
呟いても、答えは返ってこない。
デッキケースは静かだった。
黒い靄も出ない。
底の六コストも沈黙している。
それがかえって、不気味だった。
陸翔は不可視のマントへ指を置く。
「奇跡に頼らないって、言ったばかりなのにな」
苦笑が漏れた。
結局、自分はまたカードに頼ろうとしている。
でも、今回は違う。
何も考えずに振るうわけではない。
誰かを救うために、誰かを傷つけるかもしれない道具として使う。
その怖さを、忘れないようにしようと決意した。




