終わりの不在
※本作には、重度の外傷および臓器欠損を含む描写があります。
苦手な方はご注意ください。
布が血を拭い、針が沈む。
白いシーツの上で、赤が広がり続ける。
それでも、黒は動かない。
視線だけが、レイに置かれている。
外れない。視線に理由はない。
ただ、そこにあるから。
処置が一段落した頃、医者が手を止めた。
静かに、息を吐かれた。
「……応急処置は、終わりました」
その声は、わずかに硬く微かに振るえていた。
視線は黒に向けられたまま、瞳が揺れる。
医者が息を吐き、続ける
「ですが……これは……」
言葉を選ぶように、間が落ちる。
「通常の損傷では、ありません」
レイの目が、わずかに細まる。
「何が言いたい」
医者が一歩、近づく。
恐る恐る、黒の腹部に触れる。
先ほどと同じように、今度は必ず視界に入るように。
器具も、手も。すべて見せながら。
黒は、動かず視線も逸らさない。
ただ、そこにある。
「……臓器が、おそらく…一部ありません」
空気が止まった。
レイの視線が、初めて揺れた。
「……何だと」
医者は続けた。
「二つあるはずのものが、一つしかない…」
「そして、本来一つしかないものも……恐らく欠損しています」
静かだった。
あまりにも、淡々としていた。
だからこそ、その言葉は重い。
レイの中で、何かが軋む。
「……治せるのか」
短く、間を置かず、答えが返る。
「不可能です」
即答だった。
「血管が、著しく摩耗しています」
「長期的な栄養不足、過度な負荷……恐らく慢性的なものです」
「仮に移植を行っても——」
一瞬、言葉が止まる。
「持たないでしょう…。」
レイは動けなかった、何も言えなかった。
「現状でできるのは——」
医者は淡々と続ける。
「安静、適切な食事、投薬…」
「状態が落ち着けば、軽度の運動」
「……健康的な生活を、長期的に続けることだけです」
それは、あまりにも普通で。
あまりにも、遠いものだった。
レイの喉が、わずかに動く。
「……それで」
声が、低く落ちる。
「それをすれば、普通に、生きられるのか」
医者は、答えずにほんの一瞬だけ、視線を落とす。
それが、答えだった。
「……正直に申し上げます」
「いつ死んでも、おかしくありません」
静寂。音が、消えた。
レイの中で、何かが崩れる。世界が、崩れる。
音もなく。
しかし、次の瞬間——
それは、形を変える。
崩壊ではない。収束。
黒は、壊れていない。壊れかけている。
レイは、ゆっくりと息を吐いた。
「……そうか」
それだけだった。
感情は、出さない。
だが、今この瞬間すべきことが決まった。
死なせない。
理由も、理屈もない。
ただ、それだけが残った。
レイは黒に手を伸ばし、——触れる。
体温のある頬に。まだ、ある。
それだけで、十分だった。
「……いい」
低く、呟く。
「俺が、やる」
医者は何も言えなかった。
ただ、頭を下げ部屋を出る。
部屋の空気が、静かに変わる。
治療ではない。
管理でもない。
全て俺が背負う。
レイの中で、完成した。
その間も——
黒の視線は、外れない。
ただ、見ている。
だが—ーわずかに、瞳が揺れた。
思考でも、理解でもない。
疑問。
先ほどまでと、違う。
殴られるはずだった。
壊されるはずだった。
終わりは、いつだって必ず決まっていた。
なのに——今日、それが変わった。
終わりが。
目の前の存在によって。
(……なに)
言葉にならない。
繋がらない。処理ができない。
(これは)
初めて視線が、わずかに揺れる。
だが、離れない。
(この人は)
理解も、答えもない。
それでも——違う。
それだけが、残る。
黒の指が、わずかに動いた。
無意識に。
レイの服を、掴む。
小さく弱く——だが、確かに。
初めての、選択に近い動き。
レイはそれを見つめ、何も言わない。
今は、言葉はいらない。
ただ、指に自分の手を重ねる。
逃がさない。離さない。——理由はない。
ただ——
そこに、空白が残っているから。




