理解なき停止
※本章には、流血や暴力を伴う描写が含まれています。これらの表現が苦手な方は、閲覧の際ご注意ください。
レイは黒を抱き抱えたまま車に乗り込む。
皮のシートに微かに血がにじむが、気にも留めない。
車内でもレイは黒を離さなかった。
じっと見つめ続けて
それに応えるように、黒もレイを見ていた。
焦点の定まらない視界の中で、ただそこにあるものを捉え続ける。
何も繋がらない。理解もできない。
それでも、視線だけが外れない。
「医者を呼べ」
目を逸らさず、短く告げた。
「もう、手放さない。二度と。お前は俺のものだ。」
血に濡れた額に、レイの唇が落ちる。
温度だけが額に残る。理由はわからない。
だが、消えない。
黒は瞬きを一つ落とす。
意味などない。
ただ、外れない視線の先にレイがいる。
どれほど車内にいただろうか。
いつの間にか門が開き重厚な鉄扉が静かに割れ、内側の光が夜を押し返す。
大きな屋敷が、二人を迎え入れるように灯っていた。
車が止まり運転手がドアを開け、レイは黒を抱えたまま降りる。
迷いなく、まっすぐに。
玄関へ。
使用人たちの動きが、止まる。
視線が一斉に集まり——固まる。
血の匂い。
濡れた布。
抱えられたままの、人の形。
一瞬の静止。
そして——
「医者はどこだ。部屋を用意しろ」
その一言で、空気が動いた。
誰も問い返さない。
誰も遅れない。
一斉に散り散りと蜘蛛の子を散らす。
廊下を進む足音だけが響く。
後ろに血の跡が続くが拭う者はいない。誰も触れない。
すでに部屋は整えられていた。
白いシーツ。無機質な光。
整えられた室温。
過不足のない空間で医者が振り返り
その視線が、止まった。
「坊ちゃん……そのお方は……」
「治療しろ」
短く、遮る。
それ以上はない。
レイは黒をベッドへ下ろし
白いシーツに、赤が滲み広がる。
だが、誰も止めない。
レイも気にしない。
黒の視線は、離れない。
寝かされてもなお、レイを追っている。
位置が変わり距離が変わる。
それでも、外れない視線の対象は変わらない。
医者が息を吐き一歩、近づく。
白衣が揺れる。消毒の匂い。
金属のわずかな音。
その刹那、手が伸びた。
何の前触れもなく——
医者でもレイでもない、黒の腕が動いた。
音もなく。
医者の手首を掴む。
強く。骨が軋むほどに。
そのまま——捻る。
迷いのない動き。殺すための角度。
医者の息が止まり空気が凍りつく。
だが——
それは誰が静止するでもなく唐突に止まる。
折れる寸前で。
力はかかったまま。
しかし、それ以上進まない。
黒の視線は医者にない。
どこにもない。
空白のまま。
やがて、ゆっくりと力が抜け手が離れる。
医者が後退る。
呼吸を取り戻す音がやけに大きい。
レイは動かなかった。
ただ、見ていた。
今の動き。
速さ。角度。力。
すべてが、完成されていた。
「……なぜ止まった」
低く、驚きと疑問が入り混じる。
だが黒は答えない。
答えられない。
そもそも——考えていない。
医者が、震える手で距離を取る。
「坊ちゃん……これは……」
レイにある思考が巡る。
(触れられることへの反射か…?いや、違う、だったら俺に触れられた時の無抵抗の説明がつかない)
(無意識化の反応…何に?…器具か?いや、殺し屋なら医者など何度も見て幾度となく治療を受けているはず…知らないはずが…)
(知らない、はず…ない、よな、、、?)
レイは視線を黒から逸らさず医者に告げる。
「触る前に器具を見せろ、説明も」
短く、命令だけを落とす。
医者は一瞬戸惑い、すぐさま従う。
器具を持ち上げる。
「これは縫合針です。傷を閉じるためのものです」
黒は首を傾ける。
ゆっくり。ゴムが伸びるかのように。
そして、止まる。
理解がない。
言葉が繋がらない。
見かねたレイが口を開いた。
「医者だ」
黒の首がさらに傾く。
意味が成立しない。
レイは続ける。
「傷を治す」
反応はない。
「痛みを取る」
わずかに静止する。
「動けるようにする」
——止まる。
そしてゆっくりと、首が戻る。
まるで受け入れたかのように。
理解ではない。
だが、黒の中で繋がった。
医者が再び手を伸ばし治療を開始する。
黒は動かなかった。
今度は、何も起きない。
白衣の布が、肌に触れる。
その瞬間——
わずかに、黒の指が動く。
反射。
だが、それ以上ない。
血が拭き取られ露出する傷。
裂けた皮膚に針が入る。
皮膚が引かれ縫われ傷が閉じていく。
本来なら——反応が出る、はず。
だが、何も起きない。
黒は動かない。
まばたきすらない。
医者の手が止まった。
「……痛みは、あるはずですが…」
レイは答えずにただ、見つめていた。
痛みは通過しているはず。しかし、残らない。
引っかからない。留まらない。
そこに“自分”がない。
静寂の中、処置だけが続く。




