スモークガラスの境界線
鳳学園の放課後。
並木道が夕陽によって黄金色に染まる中、校門からは部活動を終えた生徒たちが談笑しながら溢れ出していた。
その喧騒からわずかに離れた街路樹の陰に、一台の黒塗りのメルセデスが音もなく停まっている。
後部座席のスモークガラス越しに、中華街の重鎮・**王子龍(王老師)**は、静かに外の世界を見つめていた。
その視線の先には、小柄な少女・岸本 景が、隣を歩く巨躯の少年・草薙 登夢を見上げて、屈託のない笑顔を向けている姿があった。
景はまだ怪我をした登夢を庇うように歩いていたが、その表情に曇りはない。
登夢は無口ながらも、彼女の歩調に合わせてゆっくりと歩き、時折、周囲を警戒するように鋭い視線を走らせている。
単身で倉庫へ殴り込み、満身創痍になりながらも彼女を守り抜いた少年の瞳には、大切な「光」を死守した者特有の静かな決意が宿っていた。
「……老師、本当にお会いにならないのですか」
運転席の**燕 凛**が、バックミラー越しに低く問いかけた。
王は、膝の上で数珠を繰る手を止め、ゆっくりと首を振った。
(あの娘は、やはり『光』だ。血に汚れ、硝煙に巻かれた我らのような住人が、その純粋さに触れてはならん……)
王老師にとって、景はただの少女ではない。
遊園地で、利害関係など一切ない中で、ただ幼い命――彼の孫を救うために凶刃の前に立ちはだかった、命の恩人なのだ。
その「無償の善意」を、自分の影で濁らせたくないという、老いた支配者なりの慈愛があった。
(草薙の若もまた、影の世界を知る者。だが彼には、あの娘が灯す『帰る場所』がある。……血に染まった手を引く老人が、彼らに返せる恩義などない)
王は、二人が並んで歩いていく後ろ姿が遠ざかるのを見届け、重く目を閉じた。
「出せ、凛。……これ以上近づかないことこそが、唯一の報恩だ。あの子たちの歩む道に、不浄な石ころが転がらぬよう、掃除だけは怠るなよ」
黒いセダンは一度もライトを点けることなく、日常の風景から滑り出すように、音もなく夕闇へと消えていった。




