黄昏の挽歌
エンジンが止まるよりも早く、円はリアシートから飛び降りた。
道路の脇に、大破したNSR。
折り重なるように倒れている恭子と景。
静倻に介抱されているが二人とも意識はない。
恭子の体は景を庇う形になっており、その白い肌には無数の傷が走っていた。
「……恭子!景ちゃん!」 円が叫び、駆け寄る。
脈はある。
だが、呼びかけても反応がない。
「どうして……何故、こんなことに……!」
「恭子! 目を開けてよ! ……恭子ッ!!」
そこにあったのは、いつも生意気な口を叩く元気な妹の姿ではなかった。
円は、震える手で妹の頬に触れる。
冷たい。
その冷たさが、円の心臓を鷲掴みにした。
「……う、あぁ……」
県警のエースであり、元伝説の総長である円が、妹の冷たくなった手を握りしめ、その場にうずくまってしまう。
震える背中は、ただの無力な姉のそれだった。
(私の、せいだ……、私が、この人を……円さんまで、壊したんだ)
泣き叫ぶ円の姿は、静倻にとって何よりも恐ろしい「自分の罪」の証明だった。
指先一つで動かしたシャッター。
その代償の重さに、静倻は喉の奥が凍りつくような底知れない恐怖を感じていた。
一方、大は。
静かに、もう一人の少女――岸本 景の元へ歩み寄っていた。
小柄な体。
いつも登夢の隣で笑っていた、あどけない少女。
その右肩が、無残に血に染まっている。
(……登夢が、あれほど大切にしていた『光』を)
大は、景の額にそっと手を当て、その痛々しさを指先で感じ取った。
そして、ゆっくりと立ち上がる。
大は叫ばない。
だが、その全身から立ち上る**「怒気」**は、円のそれよりも重く、冷たく、周囲の空気を凍りつかせた。
彼は、無造作にネクタイを緩め、低く、地を這うような声で呟いた。
「……一線を超えたな」 握りしめた拳から、血が滲むほど爪が食い込んでいる。
「弟(登夢)の心を踏みにじり、未来ある少女の翼(肩)を折った。 ……貴様らには、後悔する時間すら与えん」
嗚咽が漏れる。
だが、次の瞬間。
円は、ゆっくりと立ち上がる。
その瞳からは涙が消え、代わりに狂気じみた殺意が渦巻いていた。
「……ふざけるな」
彼女は、燃え残るAMGの残骸と、転がっているK-UNIT(気絶している)を睨みつける。
「よくも……よくも、私の妹を……! ただじゃおかない……全員、地獄の底まで引きずり落としてやる!!」
夜空に響く、元・伝説の総長の絶叫。
それは、法による裁きではなく、血による償いを求める獣の咆哮だった。
円は炎のような激情を。
大は氷のような殺意を。
「……行くぞ、円。『狩り』の時間だ」
「……ええ。骨の髄まで、削り取ってやるわ」 その瞬間、K-UNITの運命は「逮捕」から「殲滅」へと書き換わった。
その少し横では、静耶が泣きじゃくっていた。
目の前の暴力、傷ついた親友たちの姿、そして「自分の罪」。
心が耐えきれなかった。
「……うっ、ぐすっ……お姉ちゃん……!」
静耶は、姉の服を強く握りしめた。
「ごめんなさい……ごめんなさい! こんなことになるなんて……思ってなかったの……!」
あの時、写真を撮らなければ。
あの時、もっと強く止めていれば。
自分の軽率な行動が、この惨劇を招いたのだと、彼女は自分を責め続けていた。
「私、みんなに……酷いことしてしまった……! 私が悪いの……全部、私が悪いの……ッ!!」
半狂乱で泣き叫ぶ妹。
未来は、そんな静耶の背中を優しく、けれど力強く抱きしめた。
その手つきは、敵を屠る時の冷徹さとは対極にある、温かいものだった。
「……静耶。顔をお上げなさい」 未来は、涙でぐしゃぐしゃになった妹の頬を、指先で拭う。
そして、諭すように、静かに言った。
「……自分を責めてはいけません」
「だって、私が……!」
「いいえ。結果を見てごらんなさい。 恭子さんも、景さんも、シャケ君も……みんな生きています」
未来は、まっすぐに静耶の目を見つめる。
「あなたが、冬華を連れてきてくれたおかげで……最悪のシナリオ(死)は回避できましたわ」
もし静耶が、恭子の言いつけ通りに逃げず、あるいは恐怖で動けずにいたら。
冬華の到着は遅れ、全員が命を落としていただろう。
未来は、その事実を告げる。
「あなたの勇気が、みんなを救ったの。 ……謝る必要はありませんわ」
その言葉を聞いた瞬間、静耶の体から力が抜けた。
張り詰めていた「罪の意識」が解け、ただの「安心」だけが残る。
「……おねえ、ちゃん……うわぁぁぁぁん!!」
静耶は、子供のように声を上げて泣いた。
未来は、そんな妹の頭を撫でながら、燃え残る炎の向こう側――敵の気配が消えた闇を、鋭く睨みつけた。
(……泣きなさい、静耶。 その涙の分まで……落とし前は、私がつけさせます)
***
現場には、篠塚玄馬の娘――篠塚椿が手配した救急車が到着していた。
椿は、テキパキと隊員に指示を出し、恭子、景、シャケ、冬華そして精神的ショックの大きい静耶を収容していく。
「山崎総合病院へ向かいます!受け入れ態勢は環先生が整えています!」
椿の凜とした声と共に、サイレンが鳴り響く。
遠ざかる赤い光を見送りながら、残された大人たち――大、円、未来の目には、 K-UNITへの、底知れない**「怒り」**の炎が宿っていた。
救急車のサイレンが遠ざかっていく。
残された現場には、焦げた臭いと、張り詰めた殺気が漂っていた。
未来は、ふらりと円に歩み寄ると、深く頭を下げた。
「……円さん。申し訳ありません。 私が……迂闊でした」
最強の師範が、声を震わせて謝罪する。
だが、円はそれを許さなかった。
彼女は、燃え残ったAMGの残骸を睨みつけたまま、ドスの利いた声で吐き捨てる。
「……よしてよ。未来のせいじゃない」
円の拳が、ギリギリと音を立てて握りしめられる。
「悪いのは、全部あいつらよ。 私の妹と……妹の親友に手を出すなんて……」
円が振り向く。
その瞳には、警察官の理性など微塵もない、「修羅」の炎が宿っていた。
「……許せない」
その殺気に呼応するように、未来が顔を上げる。
彼女の表情からも、教師としての慈愛は消え失せ、冷徹な処刑人の顔が浮かび上がっていた。
「……ええ、私もですわ」
未来は、優雅に、しかし恐ろしいほどの圧力を込めて微笑んだ。
「私の可愛い生徒3人(シャケ・景・恭子)、そして妹2人(静耶・冬華)を苦しめた罪……。 拳で払って差し上げますわ」
円は、その言葉を聞いて、ふっと獰猛な笑みを浮かべた。
「……奇遇ね」
「奇遇ですわ」
二人の視線が交錯する。
かつて、この街で伝説を作った二人の女傑。
「協力しませんこと?『特攻姫』」
未来が不敵に誘うと、円もニヤリと笑って返した。
「協力するわ、『赤色巨星』」
「……ふふ。そのあだ名、久しぶりですわ」
「私もよ」
空気がビリビリと震えるほどの覇気。
そこへ、低い声が割って入った。
「……盛り上がってるところ悪いが、現状を整理するぞ」
草薙 大だ。
彼は、感情を押し殺した冷静な声で、しかし燃えるような怒りを腹の底に抱えて言った。
「奴ら(K-UNIT)は、もう後がない。 ……これから、なりふり構わず過激になるぞ」
それを聞いた未来は、冷ややかに言い放つ。
「上等ですわ。 こちらもそのつもりで『処分』させていただきます。
元から容赦するつもりはありませんが……皆、死刑台に送って差し上げます」
円もまた、刑事とは思えない言葉で続いた。
「登夢君だけでは飽き足らず、ウチの妹(恭子)にまで手を出すような輩は……。
どんな手を使っても、血祭りにあげます。 覚悟なさい」
二人の女性の凄まじい殺気に、大は深く頷いた。
彼もまた、同じ思いだったからだ。
「ああ。……俺も同じだ。奴ら、一線を超えやがった」
大は、弟(登夢)の顔と、傷ついた景の姿を思い浮かべ、拳を固めた。
「登夢の可愛い彼女と親友を手にかけやがって。 ……許さん」
夜の闇の中で、三人の「大人」たちが並び立つ。
それは、K-UNITにとっての「終わりの始まり」だった。




