真実の告白、影が鳴らす葬送の電子音
――影の真実が語られ、涙が落ち、そして現実が割り込む
美術準備室の扉が閉まると、外の世界の音がすっと消えた。
石膏像の白さだけが、夕陽の残光を受けてぼんやり浮かんでいる。
杠葉かれんは、胸に抱えたファイルをぎゅっと握りしめたまま、扉の前で立ち尽くしていた。
今沢先生は、部屋の中央まで歩き、ゆっくりと振り返った。
「……ここなら、誰にも聞かれないわ」
その声は、保健室よりも低く、覚悟を含んでいた。
かれんは、涙の跡が残る頬を袖で拭いながら言った。
「……先生……
さっきの……
“覚えていたのね”って……どういう……」
言い終わる前に、胸の奥がまた締めつけられる。
(……怖い……
でも、聞かなきゃいけない……
もえちゃんのお母さんのことも……
ずっと胸に引っかかってた……
でも……言えなかった……)
今沢先生は、かれんの前まで歩み寄り、そっと視線を合わせた。
「……杠葉さん。
あなたが思っている以上に……
“あの日”のことは複雑なの」
かれんの喉が、きゅっと鳴った。
「……あの日……?」
今沢先生は、深く息を吸い、胸元を押さえた。
「あなたがまだ小さかった頃。
山崎中央病院で……私はある研究チームにいたの。
K-UNIT──草薙流古武術を医学的に研究し、影を継がせない未来を作るための計画だった」
かれんの心臓が跳ねる。
「そのチームには……御薬袋夫妻──あなたのご両親がいた。
私の先輩で、とても優秀で……そして、誰よりも優しかった」
かれんの視界が揺れた。
(……お父さん……お母さん……
山崎中央病院の研究者……)
今沢先生は、胸の奥を押さえるようにして深く息を吸った。
「……話すわ。
でも……覚悟して聞いてね」
かれんは小さく頷いた。
「……お願いします」
今沢先生は、ゆっくりと語り始めた。
「K-UNIT計画は、草薙流古武術を“医療として残す”ための計画だった。
影を捨て、技術として未来に残すための……大人たちの最後の判断だった」
かれんの胸が痛む。
(……影を……捨てる……?)
「“影を捨てる”というのはね、ただ技を封印するという意味じゃないの。
草薙の“影”は、単なる武術でも、家の伝統でもない。生き方そのものなの。
影を継ぐということは──“誰かの命を奪う役目を背負う”ということ」
「草薙家は長い間、国家や裏社会の“汚れ仕事”を担ってきた。
表に出せない争いを終わらせるために、影として動く役目を負っていた。
でも……その役目は、あまりにも重すぎた。
子どもに継がせるには、あまりにも残酷だった」
今沢先生は、かれんの肩にそっと手を置いた。
「だから草薙 明さんは決めたの。
“影を継がせない未来”を作るって。
草薙流古武術を医療に転用し、“影”を“技術”に変える。
血の呪いを断ち切り、子どもたちに未来を選ばせるために」
かれんの目に涙が滲む。
(……影を……捨てる……
それは……登夢くんたちを……守るための……)
「影を捨てるというのは、草薙家が何百年も続けてきた“役目”を終わらせるということ。
誇りでもあり、呪いでもあったものを……未来の子どもたちのために断ち切るということ。
それは、草薙家の大人たちにとって、とても勇気のいる決断だったのよ」
「責任者は草薙零さん。草薙明さんの弟で、登夢くんの大叔父にあたる人。
そして……あなたのご両親と私は、その研究員だった」
かれんは息を呑んだ。
(……お父さんとお母さん……)
「でも……零さんは反対した。
『影こそ草薙のすべてだ』と。
影を捨てるくらいなら、自分の手で“新しい草薙”を作ると。
K-UNITの研究データを盗み、薬物投与と人体改造で“ブートレグ計画”を始めたの」
かれんの指が震える。
「……そんな……」
「あなたのご両親は零さんの暴走に気づき、草薙元さん──登夢くんのお父さんに報告した。
でも……零さんを信じていたの。
彼は必ず思いとどまってくれると。
でも……零さんは戻らなかった」
今沢先生の声が震えた。
「零さんは自らをブートレグに改造して反乱を起こしたの。
そして……御薬袋夫妻を殺害したの」
かれんの視界が揺れた。
「……っ……!」
胸が押しつぶされそうになる。
「……でもね、杠葉さん。
“あの日”にいた全員が命を落としたわけじゃないの」
かれんは涙を拭いながら顔を上げた。
「……どういう……?」
「私は……雷家の環先生に助けられたの。
反乱が始まった瞬間、環先生は私を研究棟から強引に連れ出して、病棟へ避難させた。
山崎総合病院の病棟は“草薙のセーフティーゾーン”──
草薙家が非常時に使う、もっとも安全な場所だったの」
(……環先生……雷家が……今沢先生を……病棟に……)
「研究棟は零さんの襲撃を受けたけれど、病棟は草薙家の管理下で、
影の者でも容易には踏み込めない区域だった。
だから私は……生き残れたの」
(……山崎総合病院……そんな場所だったんだ……)
「そして……草薙 昭さん──登夢くんの義母さんは、その日、病棟に入院していたの。
平くんと成ちゃんを出産するために。
だから、反乱の現場にはいなかった。
新しい命が、彼女を救ったの」
かれんは目を見開いた。
「……病棟に……?」
「ええ。昭さんは、燃くんのお母さん──赤紙 和さんの双子の妹なの。
だから和さんが亡くなったあの日、昭さんは病棟にいて、
草薙のセーフティーゾーンに守られていた」
(……和さんの双子……
だから……昭さんは……あの日、病院にいたから助かったんだ……)
「生き残ったのは……偶然じゃない。
誰かが守ったから。誰かが動いたから。
そして……誰かが犠牲になったから」
美術準備室の空気が、さらに重く沈んだ。
「元さんは激怒してK-UNIT計画の凍結と反対派の粛清を始めた。
そして零さんは元さんと闘い……二人は相打ちになった。
影と影がぶつかれば、そうなるのは当然よね。
でも……零さんは“壊れただけ”だった。
直せばいい存在として、まだ生き残ってしまった」
「……じゃあ……登夢くんも……?」
「ええ。零さんは草薙本家──登夢くんの命も狙った。
でも、登夢くんのお母さんがそれを止めた。
炎の中で登夢くんを耐火金庫に隠し、南雲さんと篠塚さんに託して……
自分は炎に飛び込んで、登夢くんを守ったの」
かれんの胸が締めつけられる。
「草薙家の反撃は苛烈で、零さんたち反乱分子は多くを失った。
その後、海外に逃亡して……どこで何をしていたかまではわからないけれど、
ブートレグの研究だけは続いていた。それだけは確かよ」
「……もうひとつ。
燃くんのお母さん……赤紙 和さんも……
あの日の反乱に巻き込まれて亡くなったの」
美術準備室の空気が凍りついた。
「先生、もえちゃんのお母さんも……」
最後は言葉にならなかった。
(……やっぱり……もえちゃんのお母さんも……
私の両親と同じ日に……)
ガタンッ!!
美術準備室の扉が勢いよく開いた。
「……っ……!」
そこに立っていたのは──燃だった。
顔は真っ青で、手は震え、ヘッドホンを握りしめたまま、今にも崩れ落ちそうだった。
「……もえ……ちゃん……?」
「……なんで……
なんで“おれを使わなかった”んだよ……かれん……」
「母さんがどう死んだとか……そんなの……今はどうでもいい……!
でも……かれんが……ひとりでこんなつらいこと調べて……苦しんで……泣いて……
なんで……なんで“おれを使わなかった”んだよ……!」
「……もえちゃん……だって……和さんのこと……そんな……言えるわけ……」
「言えよ!!」
燃の叫びが、準備室に響いた。
「おれ……ずっと……かれんのそばにいたのに……
下宿して……毎日顔合わせて……
なんで……なんで“おれなんかに気を遣った”んだよ……!
おれは……かれんが泣いてたら……絶対助けに行くって……
……約束したのに……!」
「……もえちゃん……優しいから……言えなかった……
和さんのこと……あなたの前で……軽く扱いたくなかった……
……そんなの……できなかった……」
燃は膝をついた。
「……かれん……おれ……おれは……“使われたかった”んだよ……
かれんのためなら……なんだってしたのに……」
かれんは駆け寄り、燃を抱きしめた。
「……ごめん……ごめんね……もえちゃん……」
「……ひとりで泣くなよ……かれん……
おれ……ずっと……そばにいたのに……」
「……これからは……頼るよ……もえちゃん……
あなたがいてくれて……本当に……よかった……」
美術準備室は、深い影と涙に満たされていった。
「……燃くん。あなたが知らない“もうひとつの真実”があるの」
「……なにが……?」
「“中突堤の倉庫街”の事件……覚えているわね?」
燃は息を呑んだ。
「……登夢が……景ちゃんを助けた、
あの……“放課後の中庭”に繋がる話……!」
校内新聞の記事の内容が、燃の脳裏に蘇る。
「ええ。
あのとき登夢くんが戦った“ミラーシェードの男”──
あれは ブートレグ だったの」
「……っ……!」
「登夢くんは何も知らなかった。
相手が何者かも、どういう存在かも。
ただ景ちゃんを守るためだけに、目の前の敵を倒したの」
「……景……ちゃんを……守るために……?」
「ええ。
そしてその“無自覚の勝利”が、K-UNIT残党にとっては致命的だったの。
親子二代──草薙元さんと登夢くんに敗れた。
おそらく登夢くんの倒したブートレグは当時最強の個体だったと思うの。
コピーはオリジナルにかてなかったわ。
そして、彼らは完全に崩壊寸前になった」
燃は震える声で呟いた。
「……登夢……おまえ……そんな……」
(……登夢くん……景ちゃんを……守るために……命がけで……)
今沢先生は静かに呟いた。
「……K-UNITが、日本に帰ってきたの」
美術準備室の空気が、さらに冷たく沈んだ。
ピリリリリ……!
静寂を切り裂く電子音が、部屋に鋭く響いた。
今沢先生の白衣のポケットが震えている。
《発信元:草薙家保安部》
続けて──
ピリリリリ……!
今度は燃の携帯電話が震えた。
《発信元:草薙家》
燃の顔から血の気が引いた。
かれんの胸がざわつく。
(……なに?……嫌な予感……
登夢くんに?……それとも……
“影が……また動き出した……?”)
今沢先生は、携帯電話を握りしめながら言った。
「……二人とも。ここから先は──本当に気をつけて」
二人の携帯電話が震え続ける音だけが、
夕陽の残る美術準備室に響いていた。




