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5−6

 昼から用事があったので、外出ついでに市場に寄り道することにした。


 ノイマン商会のフォーチュンエッグは今なお流行の最前線にあり、マダムたちの名前は包装紙の中に残り続けている。

 チョコレートをめぐる狂乱はまだまだ終わらないだろう。

 きっかけを作ったアルフレッドですら、もはやその流れをコントロールできずにいる。


 甘美を味わうためだけに作られた嗜好品が人々を動かし、生活の在りかたさえも変えていく。

 今回の一件はカカオに秘められた『可能性』が、牙を剥いた結果なのかもしれない。


「調子はどうだ。マエッセン」

「いいわけあるかよ。ついこの間まで石になっていたんだぜ。まったく……長い悪夢から目覚めたあとみてえな気分だよ」


 屋敷に行くと、旧友はベッドから起きあがりながら力なく笑った。

 さすがに万全とは言いがたいが、それでもだいぶよくなってきたように見える。


 ペトロの屋敷で『石像』にされていた被害者たちのほとんどは、いまだに目を覚まさないか廃人となるかしているような状況だ。こうして普通に会話ができるようになっただけでも、相当な幸運と言えるだろう。

 しばし間を置いて、マエッセンは呟いた。


「責めないのか? 俺のことを」

「マダムとの一件については、医者の面倒になっているときに長々と説明してやった覚えがあるけどな。お前は連中の計画に巻きこまれただけで、むしろ被害者と言ってもいい立場だ。屋敷で石にされてなくてもペトロにはケジメをつけさせなくちゃならなかったし、ファタールとやりあうはめになったのだって、そもそも自分が狙われていたからだ」


「だがあのとき、あんな物を送らなければ――」

「それを言いだしたら今まで散々お前に迷惑をかけてきたのに、俺はいまだに家賃のツケも借金も返していないぞ。あと学生時代、今のお前の奥さんに手を出しちまった件についても咎められることになる。正直、殺されても文句は言えない立場だろ」


 アルフレッドは手土産をぽんと投げる。


「だからこれでチャラだ。中に本物の呪符が入っている可能性もあるが、そんなのは俺の知ったことじゃない。チョコレート作りの天才から見てもなかなかいい商品だと思うぜ、マダム監修のフォーチュンエッグ」

「冗談じゃねえよ! 今となっちゃ見たくもねえってのに、こんなもん!」


 マエッセンは本気で嫌がって投げ返してくる。

 彼がやったのは、これと同じ程度の罪にすぎない。

 だからお互いケラケラと笑って、水に流すのが筋ってものだろう。


 アルフレッドはそれでいいと思っていたし、今からでも無邪気に遊んでたまに喧嘩するような、気の置けない悪友同士の関係に戻れると思っていた。

 しかし、現実はそう甘くない。

 変わってしまったものは二度と元には戻らないのだ。

 吸血鬼の記憶と、同じように。


「体調が落ち着いたら、家族といっしょにこの町から出ていこうと思っている。親から継いだ会社を他人に譲ることに心残りがないと言ったら嘘になるが、あんな目に遭ったあとで普通に暮らすのは難しくてな。……情けない話、いまだにひとりでいると怖くなって叫びそうになる。部屋の隅っこの暗がりから、化け物が湧いて出てくるんじゃないかって」

「そう、なのか」

「工房から追いだしたときも理解してやれなくてすまなかった。だがそれが凡人の限界ってやつなんだよ。俺たちはたまたま寄宿学校でいっしょになっただけで、最初から住む世界が違ったのさ」


 アルフレッド自身、違うと否定することはできなかった。

 だからといって、彼のようにきっぱりと境界線を引くことも難しかった。

 皮肉な話だ。今こうしてお互いのことを理解しあえたのに、旧友との距離は仲違いする前より遠くなったように思える。


「お前は逃げだすより、飛びこんでいくやつだもんな」


 かもしれない。

 おかげでようやく、自分がなにをすればいいのかわかったような気がする。

 

 ◇


 屋敷に戻ってくると、アルフレッドはチョコレート作りを再開した。

 ドットは菓子職人のところに行ったまま、まだ帰ってきていない。

 しばらくひとりで作業したいと伝えておいたから、あいつも夜遅くまで店に残って修行するはずだ。


 カカオの詰まった袋を無心で精選する。

 異物を取り除くだけの単純な作業も、握力が戻らない指先でやるとまだるっこしいたらありゃしない。

 ちょっと切るだけでよかったのに、景気よくやりすぎたのだ。

 後遺症が残らなければいいが。そう考えると不安になってくる。


「最初から住む世界が違った……か。嫌なことを言うぜ、まったく」


 マエッセンは勝手にひとりで納得して離れていった。

 もしかしたらずっと前からそう感じていて、お互いの距離の差が、あの日の仲違いを生んだのかもしれない。

 同じ場所に立っていながらまったく別の方向を見ていたのだとすれば、袂をわかつのは当然の帰結だ。

 

 シンのことを考える。

 あいつは孤独を知った。寂しがっていた。

 だから俺を求めた。そばにいてほしいと願った。

 

 その結果があの、押しつけがましく、身勝手な愛情だ。

 俺は拒否した。一方的に気持ちをぶつけられるのは苦痛だった。

 相手に借りを作るのなんてさらさらごめんだった。

 あくまで利害の一致、主従の関係でいるほうがまだマシだった。

 

 だが今は、ほんの少しだけ理解できてしまう。

 吸血鬼の王が抱えている孤独と、寂しさ。

 そして他の誰でもない、俺だけを求めた理由。

 

 ――同じ場所に立っている。

 ――同じ場所を目指している。

 

 マエッセンはすまないと言っていた。理解してやれなくて。

 工房を追いだされたときに感じた苛立ちは、要するにそれが理由だったのだ。

 俺は天才錬金術師で、歴史に名を残すような人間になりたくて。

 なのにどいつもこいつも鼻で笑うばかりで、努力も志も認めてはくれなかった。

 

 お前以外は。


 精選を終えると、アルフレッドは椅子から立ちあがって伸びをする。

 いっそマエッセンと同じように、町から出ていくという手もあるはずだ。

 しかし俺はまだ屋敷の工房に残っていて、チョコレートを作っている。

 

 あいつのために? 

 いや、違うな。

 俺は俺のために、チョコレートを作っている。

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