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5−2


「貴方さえいなければ、私は王の怒りを買うことはなかった」

「初対面でいきなりそれか? 占いなんて信じるやつはろくなのがいねえな」


 ペトロの屋敷を出た直後にウィルオウィスプの群れに囲まれ、まばゆい光に包まれたと思ったらまた別の屋敷の廊下に佇んでいた。舌打ちしながら歩を進めれば案の定、だだっ広いテラスで仮面をつけた貴婦人が優雅にワイングラスを傾けていた。


 わざわざ名を問うまでもない。

 ――マダム・ファタール。

 一連の騒ぎの黒幕が、ようやくアルフレッドの前に姿を現してくれたわけだ。


「お座りになって。それと、お召し物もご用意しましょう」


 ファタールは蝶のように手招きする。

 対面にあった白い椅子が宙に浮き、くるくると回りながら膝の下に滑りこんでくると、アルフレッドを乗せたまま円卓の前に着地した。豪奢な装飾が施された天板で、その意匠は天体観測用のアストラーベを思わせる。


 これで占いでも披露するつもりなのだろうか? テラスの雰囲気からしていかにもな仕上がりなので、ドレスの裾からぽんと水晶玉を出されても違和感はなさそうだった。


 円卓を眺めている間に、前開きの黒いローブがふわふわと舞い降りてくる。

 半裸にペンダント、片手に銃という間抜けな格好だったので素直にありがたかった。

 北の生まれで寒さに慣れているといっても、あのままでは風邪を引いていたかもしれない。


「俺をこんなところに連れこんだところであとはないぞ。直にクソ吸血鬼がやってくる。それともあいつに首を刎ねられる前に計画を遂行するつもりか」

「やれるものならやってみろという顔ですわね。しかし残念ながら今の貴方を殺すことはできません。より強固な契約で守られていますので」

「そんなところだろうな。ペトロに殺されそうになったとき、どういう理屈で助かったのかまでは知らないが、それがシンの力によるものだってことは馬鹿でもわかる」


 アルフレッドは鼻で笑ったあと、胸もとに手を当てる。

 銀の弾丸は心臓を貫かなかった。

 弾き返したのか煙のようにかき消えたのか、それすらもあの切迫した状況では調べることができなかった。

 得体の知れない『守護』に己の命運を預けるのは賢い選択とは言えないものの、今は相手に弱みを見せないほうがいいだろう。


「主従関係を締結するにはお互いの同意が必要不可欠。なければ不完全な契約となり、結ばれた繋がりは些細な感情の行き違いで解けてしまいます。では、最初から結び目を作らないとしたらどうでしょう。王が貴方を縛ることを忌避し、ただ与えることに徹したならば」


 ファタールはぞっとするような言葉を続けた。


「隷属ならぬ『寵愛』契約とでも名づけるべきでしょうか。一方的な感情であれば、対象に繋がりを求める必要はありません。愛というのは心に宿すだけで完結しますから、不完全な状態であっても効果を発揮することは可能です」


 上等そうな瓶が宙を漂い、グラスに並々とワインが注がれる。

 アルフレッドはそれをぐっとあおる。今さら毒が入っている心配をする必要はないし、呑まなきゃやっていられない気分だった。


「愛だと? 口先だけのクソ吸血鬼が?」

「私だって信じたくはありません。尊い君が、貴方のような軽薄な男に対してそのような感情を抱くとは。しかし王は長い孤独の中にありました。擦りきれたお心につけいる隙は十分にあったと考えるべきでしょう。チョコレートをダシにして近づくなんて、まさしくペテン師がやりそうな手口ですもの」

「お前、未来を見ているわりに現実は見えていないんだな」


 直後、ワイングラスがパンと弾ける。ガラス片が頬をかすめ、一筋の血を垂らした。

 隷属あらため寵愛契約に守られているはずだが、今回はなぜか効果が発動しなかった。そのことに一抹の不安を抱いたものの、次に告げられた言葉ですぐに消し飛んでしまう。


「敗北を認めましょう、アルフレッド・ワーグナー。私はどうやっても貴方を殺すことはできません。寵愛によって守られているうえに、貴方が今このタイミングでこの世から失われてしまったなら、王の中にある『愛情』はより完全なものに昇華されてしまう。ルヴィリアのすべてを火に焼べて、そのあとで自身も滅びを迎える。グリンデン様がお示しになったように、たとえそれが悲恋であっても『最高の終わり』にはなりえるのですから」


 ファタールは深々とため息を吐いた。


「ノストラダムスの淑女会の目的は、ルヴィリアという楽園の存続です。発起人である私が破滅を誘発させてしまうのでは、本末転倒もいいところ。貴方からすれば消化不良でしょうけど、寵愛契約が結ばれた時点で勝敗は決していました。なのでこれから必死に命乞いをして、それでだめなら逃げるほかありません」

「思いのほか潔いな。だが、俺がそれを許すと思うか?」

「――いや。俺たちがと、告げるべきところじゃないかな」


 アルフレッドは思わず、声がしたほうを見上げた。

 月のない夜空を背景に、銀髪の貴公子が優雅に宙を舞っている。


 暗がりから浮かびあがってきたような男は慇懃な笑みのまま、アルフレッドの傍らにすとんと着地する。

 真っ赤に輝く瞳は、まっすぐファタールに注がれている。 

 状況的に見れば完全に詰み。ファタールは憎きショコラティエを殺すことはできず、怒れる王は今にも笑いながら燃やすか首を刎ねるかしてきそうだ。

 だが、仮面の貴婦人はうっとりしたような声で呟く。


「ようやく私を見てくださいましたね。偉大なる王」


 実に嫌な感じだ。

 仮面で隠されていても、目の前にいる相手がどんな表情をしているかはわかる。


 この女はまだなにも、諦めていない。

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