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第五話『黒い宝石による、終わりなき狂宴』
月のない夜だった。
シンは夜空に浮かぶ星々を眺めながら、ざわりとした胸騒ぎを覚える。
吸血鬼は満月と新月の夜にもっとも強く力を発揮する。
しかし万事が絶好調の満月の夜に対して、新月の夜は内なる力をコントロールしきれず、むしろ心身ともに不安定になることが多い。
ランタンに火をつけようとして屋敷を消し炭に変えてしまったことさえある。
そして元の姿に戻すために、いつも以上にエーテルを消費するわけだ。
建物自体が『怪異』である王の屋敷と違い、ただの人間にすぎないアルフレッドは失われてしまったら二度と元の姿に戻すことはできない。
暗闇が広がるあぜ道にぽつんと佇み、刻印から発せられるエーテルの流れをたどろうとするものの、何度やっても空振りするばかりだった。
隷属契約が再び結ばれつつあったのは間違いないというのに、今は嘘のようにぷっつり途絶えている。
力が不安定だからか、それとも……。
『やはり、アルフレッド様の姿はどこにもありません』
クリムがコウモリを介して報告してくる。
ペトロの屋敷を出たところまでは契約の力で感知できていたから、なにかあったとすればその直後ということになる。数百の使い魔を駆使しても見つけられないとなると、お姫様は再び悪漢にさらわれてしまったと考えるべきだろう。
マダム・ファタール。
エーテルの流れを感知できないようになんらかの妨害工作を施している可能性もある。
だが、それよりも契約自体が不安定になっているタイミングを見計らってアルフレッドを転移させたとみるほうが正しそうだ。
未来を知る力か。思いのほか、手ごわいものだな。
しかも彼女はクーやペトロのように驕ることなく、全霊でもって目的を果たそうとしている。道を究めんとするあまり人の道を外れた『魔女』――生まれながらの怪異ではないからこその、強かさがある。
彼女の一族についてはよく知っている。
星読みによって権力者に諫言をもたらす占星術師。
その先祖は三王時代の崩壊を告げ、グリンデンに首を刎ねられた。
数百年後に彼がアニエラの槍に貫かれたとき、マーリゥにこう話した覚えがある。
「ノストラダムスだったか。あの男の言葉は正しかったらしいね」
絶対者である吸血鬼の王ですら、自らの運命を推しはかることはできない。
グリンテンのような堅物が人間の女ごときにのぼせあがり、究極の愛を謳いながら死を迎えるとは、いったい誰が想像できただろうか?
ノストラダムスのときと同じく、ファタールは最後の王がチョコレートによって滅ぼされる未来を見たのだろう。
先祖と異なるのは、星読みの力を用いてアルフレッドの暗殺を企て、本来あるべき運命を捻じ曲げようとしているところだ。人の道を外れマダムと呼ばれるほどの存在になった彼女の力を考えれば、その『挑戦』を無謀と唾棄することはできない。
シンは苛立ちを覚えた。
これは焦りか、それとも不安か。
体の内側から馴染みのない感情がどんどん溢れてくる。
いっそファタールもアルフレッドもまとめて火に焼べてしまえたらどんなに楽になるかと思うが、そんな真似をすればあとで後悔することになるのは目に見えている。
あの稀有な才能が再びこの世に現れるまで、どれほどの長い年月を無為に過ごさなければならないのか。
ぐにゃりと、視界が歪む。
吸血鬼の王はよろめいた。膝は震え、呼吸が荒くなる。
これは、チョコレート中毒の禁断症状だ。
馬鹿な。なぜ、このタイミングで。
アルフレッドは旧友の消息を探る最中も、究極の甘美にまつわる探究をかかさなかった。
だから自分は相応に満たされていたはずだ。
不満があるとすれば、チョコレートの味についての感想を述べることができなかったくらいである。
発作の引き金になったのはなんだったか。
アルフレッドが失われたあとのことを具体的に想像したからだ。
新たな才能を、再び待たなければならないと――。
「そうか。無理なのか」
ないのだ。あの男の代用品なんて。
究極の甘美を求めるだけなら、問題ないかもしれない。
人間は星の数ほどいて、私には無限に近い時間があるのだから。
ではなぜ、無理だと感じるのか。
それは気づかぬうちに、前提が変わっていたからだ。
私はただ、究極の甘美を求めているだけではない。
そのときの『感動』を、あの男と分かちあいたいのだ。
吸血鬼の王は今さらながら理解する。これは明確な弱点だ。
チョコレートと同じくらい脆く崩れやすいというのに――代用の効かない相手に、自らのすべてを委ねている。
救いがたいほど不安定で、わがままな欲求。
アルフレッド。
私は、
君がそばにいなければ、
怖い。




