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同時刻。隷属者ケヴィンは変化の兆しを感じとっていた。
塔のような構造のアジトをよじ登り、バスローブ姿のまま星空に向かって両手を広げる。
夜風によって衣がめくれ裸体があらわになると、解放感のあまり獣のような雄叫びをあげてしまう。
ルヴィリアの深部に潜むほかの成れの果てたちも、長らく停滞していた楽園に福音がもたらされたことを感じ取り狂喜乱舞していることだろう。
やはり鍵となるのはアルフレッド・ワーグナーだった。
あの男の『死』こそが、すべての前提を覆すのだ。
稀代の天才、レオナルドですら成し得なかった。彼の死もきっかけを与えたことは間違いないが、永劫の時間を生き続ける不死者にそれをすぐさま理解させるのは難しかった。
しかし二度目とあれば、かけがえのない存在の喪失が引き起こす変化を想像するのはたやすいはずだ。
完全なる『個』として君臨していた王ですら、今となっては我々と変わらぬ弱さを有しているのだから。
月並みで、低俗で。
しかし死よりも耐えがたい苦痛を与え、苛烈なまでに生の実感を抱かせる。
――孤独。
素晴らしい!
お前はようやく思い知るのさ!
主を失った隷属者たちの、嘆きと苦しみを!
泣き叫び、わめき散らす姿を見て。
愚かだと呆れるか。
見苦しいと嗤うか。
だが、お前もその苦しみから逃れようとするだろう。
僕と同じように。
自らの中にある、もっとも『価値』あるものを歪めるとしても。
◇
一方、マダム・ファタールもまた自らの勝利を確信していた。
シンの馬車がペトロの屋敷に向かったことを部下から報告されると、テーブルのワインに口をつけたあとでほくそ笑む。
偉大なる守護霊様からもたらされた予言によれば……あの愚かな蛇女がついうっかりアルフレッド・ワードナーを始末してしまった直後に、王が乗りこんでくる未来となっている。
ろくに心構えもできていない状況で自らの軽率な行いを隠しとおせるはずもなく、ペトロは逆上したあげく無謀にも真っ向から返り討ちにしようとするのである。
「間近で観戦できないのが残念ですわね」
そう呟いたあと、チョコレートを一粒つまむ。
手元にあるショコラティエ作の逸品はこれで残り三品。
ルヴィリアにいるほかの怪異たちは、彼が作る黒い宝石に秘められた『価値』に気づいているだろうか。
いずれにせよ闇オークションに出品されるチョコレートは、今後もすべて買い占めておかなくては。
アルフレッド亡き今さらに増えることはありえないのだから、それだけでケヴィンのような連中が力をつけるリスクを排除することができる。
王を滅ぼすだけではない。
もっと味わいたい、快楽に溺れたい。
そういった衝動は魂の内側にある潜在能力を引きだし、怪異にさらなる覚醒を促す。
いや……たとえそんな効能がなくとも、ルヴィリアにいるすべての存在はチョコレートをめぐって争いだしていたことだろう。今でさえ怪異も人も関係なく、アルフレッド・ワーグナーがもたらす甘美に呑まれ続けているのだから。
黒い宝石による、終わりなき狂宴。
未曾有の騒乱を生みだす天才ショコラティエは、ルヴィリアのみならず世界のパワーバランスを崩しかねない非常に危険な存在だ。そうなる前に抹殺することが、星読みの力を持つ自分に与えられた役割だったのだろう。
無事に終えられることができて、本当によかった。
せめてもの手向けとして、残りのチョコレートは舌先で転がしてじっくり味わうとしよう。
だがそこで、ざわりとした悪寒を抱く。
こめかみがぴりぴりと痺れるような、独特の感覚。
――新たな予言だ。
しかも、かつてないほど不吉な予兆。
ファタールは立ちあがる。
皮肉なことに、殺した相手が作りだした甘美がさらなる覚醒を促したのだ。
頭上には満天の星。
そこから、降り注ぐように囁き声が聞こえてくる。
極限まで集中しなければ、ひとつひとつの言葉の意味を計りとることさえできない。
彼女はそれを『偉大なる守護霊様』と呼んでいる。
しかし実際のところ、声の主が何者なのかはわかっていない。道を究めんとするうちに人の道から外れ、一介の占星術師からこの世ならざる存在の仲間入りを果たした今でも――幼いころから慣れ親しんだ『神秘』は、依然として理解の範疇を超えた『なにか』としてそばに在り続けている。
偉大なる守護霊様。ノストラダムス様。
あなたはなにを、伝えようとしているのですか。
『…………』
『……………………』
『…………』『………………』
そんな、まさか。
ありえない。
あってたまるものか。
運命を。
未来を。
ねじ曲げるほど の。
――力?
ファタールは愕然とする。
自らに授けられた予言を信じられなかったのは、そのときがはじめてだった。




