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4−5

 最初の被害者はマダム・クーだった。


 普段は慎重な彼女も、ファタールから計画の『仕上げ』について聞いたあとはすっかり油断しきっていた。

 屋敷の自室でのんびりくつろぎながらあくびをかく始末。

 朝になったらペトロが血祭りにあげられていて、ファタールがあとで高笑いしながら計画の報告をしてきて、あとは数十年から数百年くらいぬるま湯のような日々が続くはずだ。


 アルフレッド・ワーグナーに恨みはない。だが、ルヴィリアの支配者であるマダムに目をつけられた時点で、排除される運命になることは決まっていたのだ。

 賢くて才能があるといっても所詮は人間。転げ落ちるときは一瞬だ。

 心を読む力でもあれば、危険を避けながらうまい汁だけをすすることができるのだが。


 そこで、突き刺すような冷気を感じて身震いする。

 窓から隙間風が入っているのだろうか。

 豪奢な建物とはいえ築年数は古い。執事を呼んですぐに塞いでもらわなければ。


「こんばんは」

「――誰っ! そこにいるのは!」


 驚いて背後に飛びのく。

 かつてスザンヌと呼ばれていた女は慌てて猫を抱えあげると、革張りのソファを盾にしながらにらみつける。室内の暗がりから浮かびあがるようにして現れたのは、夜の月がそのまま人の姿をまとったかのような美しい男だった。


 長い銀色の髪に血のような真っ赤な瞳。

 名を問うまでもない。

 ルヴィリアの支配者にして吸血鬼の王、シン。


「はじめましてかな、お嬢さん」

「いえ、以前にお会いしたことがありますわ。あの頃のわたくしは今とは違った姿でございましたから、おわかりにならないのも当然かと思います」


 とはいえカフタンの仕立てをしたのだから、面識があることくらい覚えていてくれてもいいはずだが。承知の上ですっとぼけているのか、あるいは本当に忘れているのか。

 クーは内心の動揺を抑え、毅然とした態度で言った。


「しかしこんな夜更けに淑女の部屋に断りもなく入るのは、いささか無作法ではありませんか。貴方様がいかに高貴なお立場であるとはいえ――」

「私は紳士であり吸血鬼でもあるが、その前にひとりの王なのだよ。これが王である前に吸血鬼であったり紳士であったりするのであれば、お行儀よくコンコンと窓を叩いて屋敷に招かれる許可を求めていたかもしれないがね。さあお座りなさいお嬢さん」


 シンは断りもなくソファに腰をおろし、まるで自らが家主のように振るまう。

 吸血鬼の中には許可がなければ他人の家に立ち入れない種族もいると聞くが、王にはそういった『縛り』は存在しない。

 そもそも彼らはルヴィリアの化身そのものであり、ある意味では町全域が自らの『領域』なのだ。

 そこに住むすべての存在は、王の所有する土地を間借りしているだけにすぎない。

 

 クーは考える。

 心を読む力を、今ここで使うべきかどうかを。


「もちろん私は、君の力がどんなものか知っている。そして、見えざる手で触られたらすぐにわかるくらいには敏感な肌をしているよ。といっても断りもなく心の戸口に立ちいられたくらいで『いささか無作法ではあるまいか』と非難するつもりはない。王は臣下に対して常に寛大であるべきだからね」


 続けて、底冷えするような声で告げた。


「いくつか聞きたいことがあるのだけど、いいかな?」


 無言でうなずく。

 心を読まなくてもわかった。

 返答を間違えたら、即座に首を落とされる。


「君はアルフレッド・ワーグナーの暗殺計画に関与している。首謀者は誰?」

「わたくしは――」

「場を取り繕うためだけのお返事は控えたほうがいいよ、お嬢さん。最近なぜか私の周りで喜ばしくない偶然が続いていてね。もちろんただのアンラッキー、なにやってもうまくいかなくて困っちゃう……って可能性もなくはないのだけど、それにしてはあまりにも多いなあと感じていたところなのさ」


 それでねと、世間話をするときのように笑う。


「君たちが悪さしているかもと思って。念のため、お掃除しようかなって」

「ま、待ってくださいまし。証拠は? 理由は?」

「必要あるかい。それ」


 吸血鬼の王は穏やかに返す。

 クーはあまりのことに言葉が出てこない。

 今やルヴィリアを実質的に支配しつつあるマダムたちを、この男は『なんとなく怪しいから』というだけで処分しようとしているのだ。


 本気なのか、それともカマをかけているだけなのか。

 心を読むべきか。

 いや、今ここで相手を刺激するのは得策ではなさそうだ。


 絶対者と呼ばれる存在に自分の力がどこまで通用するかわからない。

 だが、こちらだっていざというときのための『切り札』は持っている。

 やるならほかに意識を取られるか気を抜いたときの、一瞬の隙を狙うしかない。


「ペトロはとりあえずクロだな。アルフレッドを屋敷に捕らえていたことは間違いないようだから。相手のほうが乗りこんできた? だから正当防衛? いやいや、猫ちゃんがお屋敷に入ってきたら優しく保護してあげるのが淑女としての正しい振る舞いじゃないか。君だってまさか虐待なんてしないよね」

 

 うんうんと、全力でうなずく。

 こうなったらペトロにすべての罪をなすりつけるしかない。

 そもそも最初からそういう計画だったのだし。


「そのうえで……愛しいアルフレッドをあわや殺しかけた不届き者を始末するよりも先に、私が直々にこの屋敷まで足を運んだ理由はひとつ。君やファタールこそが、アルフレッドをこの世から消し去ろうとしている事件の黒幕なのではないかと疑っているからさ」

「違いますの! 悪いのはぜんぶファタール! わたくしは心を読んでいましたので計画についてはなんとなく勘づいておりましたけど、まさか本気でそんな真似をしやがるとは夢にも思ってもいませんでしたわ! おほほほほっ!」

「なるほど? 続けて」


 クーは洗いざらいぶちまけることにした。


「ファタールは貴方様がチョコレートによって滅ぼされることを危惧しておりました。ルヴィリアという怪異にとっての楽園を存続するために、アルフレッド・ワーグナーを抹殺しようと目論んだわけですの。しかし隷属者である彼に直接手をくだせば偉大なる王の逆鱗に触れますから、未来を読む力を利用し偶然を重ねることで遠回しの暗殺を遂行しようと――」


 真相を聞いても、シンはとくに驚いた様子はなかった。

 ファタールも、ペトロも、そしてわたくしも、とんだ間抜けだった。

 長らく上流階級の頂点に君臨していたがために、はるかに格上の存在に対しての恐怖が鈍化していたのだ。

 

 自分はなぜ、目の前にいるこの男を出し抜けると考えたのだろう。

 王は憶測や推理を必要としない。

 直感だけで行動し、自らの不利益となるものをすべて排除する。

 ……めちゃくちゃだ。

 ちょっとでも怪しいと思われたら終わり。裏をかく前に首を刎ねられる。

 そんなやばいやつが相手では、心を読んでみたところで意味はない。

 

 なら、どうすればいい? 

 困ったことに自分はすでにだいぶ深みに嵌っている。

 ファタールのど腐れブスめ。わたくしをこんなことに巻きこみやがって!


「大体のところは想像していたとおりだな。君がさほど今回の計画に加担していないこともよくわかった。せいぜいアルフレッドに、マエッセン失踪の手がかりを教えたくらいか。ペトロの復讐に向かったのは彼の自由意思によるものなのだから、計画の首謀者であるファタールや直接的な危害を加えようとしたペトロと同様の罪があると断ずるのは理不尽かもしれないな」

「ああ、偉大なる王よ! 貴方様の慈悲に感謝いたしますわっ!」

「だが、そこまで知っていて私に黙っていたのはなぜだい」

 

 クーは言葉に詰まった。

 今やほとんど表舞台に姿を現さない王に忠誠を示すより、ルヴィリアの施政に絶大な影響力を持つファタールに借りを作っておいたほうが利になると判断したがゆえに、である。

 シンはクスクスと笑う。


「君たちごときに軽んじられるとは、忘却のなんと罪深きことか」


 全身の毛が逆立つような殺気を感じたクーは、反射的にエーテルによる結界を張った。

 バチバチと激しい火花が散り、シンが放った炎を相殺する。

 ――弱っていると聞いていたのに、なんて力!

 こんな化け物と真っ向からやりあったところで、勝てるわけがない。


 しかし直後、物音を聞きつけたのか家来たちが部屋に駆けつけてくる。

 全員が若い男。

 無言で、虚な瞳をしたまま主の前に立つ。


「洗脳による服従か。ただの人間では数合わせにもなるまい」

「いいえ。術の媒介としては十分よ」


 クーは金切り声のような呪文を唱えた。

 今こそ、とっておきの『切り札』を使うべきときだ。


 ◇


 彼女の力は、ただ心を読むだけではない。

 むしろその真髄は、汚染と洗脳にある。


 いかなる強者であろうとも、心は等しく柔らかい。

 厳重に閉ざされた扉をこじ開けて中に入ってしまえば、好きなだけ書き変えることができるのだ。

 精密に描かれた絵画を泥まみれの足で踏みつけるように――自分の思考で元の色が見えなくなるくらいまで汚しきったあと、表面を爪で引っかいて模様を刻む。


 乱暴に、野蛮に。

 まるで『描く』と『壊す』が同じ意味であるかのように。

 

 相手が格下の存在であれば簡単だ。

 しかしアルフレッドのように隷属契約で守られていたり、対等以上の怪異である場合は注意が必要になる。

 表面をなぞって思考を読むくらいなら問題ない。

 だが、こじ開けて中に押し入るとなると骨が折れるし、術をかけている最中はこちらも無防備になる。

 クー自身はさほど強大な怪異ではないから、手こずっている間に攻撃されたらひとたまりもない。

 万能なようでいて、相応のリスクが伴う行為なのである。

 

 ゆえに万全を期すなら、媒介を用いて力を増幅させる。

 完全に掌握した人間の心を自らと同期させ、何層にも束ねた強大な『思念』に変えて相手にぶつけるのである。

 ひとつの体に心はひとつ。吸血鬼の王とてそれは同じ。

 人間の心は怪異に比べると脆弱だが、中には強い力を宿した個体もいる。

 クーが用いるのは選りすぐりの媒介を束ねた強靭な矢。

 錠前に狙いをつけて渾身の一撃を放てば、厳重に閉ざされた絶対者の心とてこじ開けることができるはずだ。

 

 危険な賭けだが、勝算はある。

 それにシンを傀儡にすることができれば、いかなる外敵をも容易に抹殺しうる最強の下僕が手に入る。

 ファタールとペトロをこの世から消し去り、自らが唯一の『マダム』となることだって夢ではない。


 ――さあ、心を開きなさい! 吸血鬼!


 シンはまったく抵抗しなかった。

 媒介を用いて増幅するまでもない。

 最初から扉は開けっぱなし。

 いつでもどうぞと、お客様を招き入れているような状態だ。


 なんと無防備な。これこそがまさに強者の驕り。

 心がいかに繊細で脆いかを知らず、絶対者である私が屈することはないと侮りきっている。

 クーは王の心に土足で踏みいりながら、ほくそ笑む。


 はたして王は今、なにを考えているだろう。

 その精神性がどれほど高尚であったとしても……わたくしが存分に、汚してさしあげますわ!

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