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 第四話『若き錬金術師の死と吸血鬼王の変化』



 ひとりで屋敷に戻ってきたあと、シンはしばらく上機嫌だった。

 アルフレッドが無能な商人ごときに執着するようになってからずっと内心穏やかではなかったので、これでようやくチョコレート作りに集中してくれる。

 主である私のために働いてくれると、精神的苦痛から解放されたことがおおきい。


 邪魔になるものはすべて、力によって排除してきた。

 しかしあの錬金術師の若者と生活をともにするようになってから、そういう強引なやりかただけではうまくいかない場合があるという事実に気づきはじめている。


 人間を動かすのは感情だ。我々のような存在よりもその心は複雑怪奇であるがゆえに、よく深く理解し、思いやりをもって接しなくてはならない。

 犬や猫を飼うほど簡単ではないのだ。レオナルドは手がかからない男だったが、アルフレッドはそうではない。


 だが、うまくできた。彼との絆が深まったような気もする。

 屋敷に戻ってきたら、ぎゅっと抱きしめてあげなくては。

 くだらぬ過去と決別し、またひとつ成長したショコラティエのことを。 

 そこで、クリムが慌ただしくシンの部屋に入ってくる。


「お館様、緊急事態です」

「あとにしろ。私は今、チョコレートドリンクで祝杯をあげたい気分なんだ」

「アルフレッド様が消息を断ちました。念のためセーブルタイムスの記者をつけていたのですが、途中で気づかれたらしく見失ってしまったとのことです」


 シンは眉をひそめる。

 ひとりになりたい気分なのはわかるが、怪異うずまくルヴィリアで完全に放し飼いというのは危険がおおきい。

 

 だが、すぐさま対処すれば問題ない。

 隷属契約があるかぎり、アルフレッドがどこにいるかはすぐにわかる。効力が不安定になっているとはいえ完全に繋がりが切れているわけではないから、そのくらいのことはできるだろう。


「妙だな。アルフレッドの気配を感じない」

「魔術的な妨害ですか」

「いや、それならば容易に看破できるはずだ。となると」


 隷属契約自体に問題が?

 最後に見たアルフレッドの姿が、脳裏をよぎる。

 あの男は本当に過去と決別できたのだろうか。今さらながら疑念を抱く。 


 もしあれで納得していないというのなら、今ごろ旧友を殺めた怪異に復讐しようとしているかもしれない。

 エーテルのペンダントや純銀製の弾丸でどうにかできる相手なら心配はいらない。

 しかし、そうでない場合――たとえば隷属者の成れの果てやマダムが標的だとすると、かなり危険な状況だ。

 クリムも同じことを考えていたのだろう。シンにこう問いかける。


「念のためおたずねいたしますが、アルフレッド様に今日なにかしましたか? 隷属契約による繋がりが切れているとなれば、相応の理由があるはずです」


 端的に、波止場でのことを話した。

 首がなくても、侍従が困惑しているのが伝わってくる。


「こうなる気がしてたんだよな。ちくしょうめ」


 今度はドットが部屋に入ってきた。

 ケヴィンのところに顔を出すといって外出していたらしいが、今ごろになって帰ってきたようだ。

 せめてこの人狼の少年がそばにいれば……と思わなくもなかったが、それを言ったらアルフレッドを波止場に残して帰った自分のほうがよっぽど問題がある。


「オレはいったんケヴィンのとこに戻るぜ。連中だってショコラティエ様の『影響力』を認めていたし、この機会に恩を売るチャンスだぜって説得すれば手を貸してくれるかもしれない。オレが兄貴を連れ戻してくる間、あんたらはここで指を咥えて待ってろや」

「待て。アルフレッドの居場所に心当たりがあるのか? それになぜ私ではなくケヴィンに助力を求める。私は王で、彼はその従属者だ。ゆえに庇護する義務がある」

「拒否られてんのに? そもそも契約切れるのだって二回目なんだろこれで」


 ドットはなぜかひどく苛立っているようだった。

 クリムは困惑したまま成り行きを見守っている。

 忠誠心の高いこの侍従なら不敬な態度を取るドットを叱責してもよさそうだが、そうではないことに違和感を覚える。口には出さないものの、本心では同じ考えということか。


 ――もしかして、私は間違えたのだろうか?


 そんなはずはない。王自ら、あれほど手を尽くしてやったのに。

 湧きあがる疑念をとっさに否定したくなるものの、客観的事実を見るにそもそもの計画が見当違いだった可能性は捨てきれない。本来の想定であれば旧友との訣別を果たしたアルフレッドはおおいに喜び、憑き物が落ちたような晴れやかな顔で再びチョコレート作りに励んでいたはずなのだから。


 しかし実際は真逆の反応を示している。

 あの男が素直な性格ではないことは承知しているからいつもの照れ隠しかと思いきや、よもやかつてないほどの拒絶を示していたとは。違うなら違うとその場で言ってくれたらいいのに、なんでまたへそを曲げたあげくひとりで突っ走ってしまうのか。

 

 もどかしい……。

 人の心がわかるドットやクリムのことが、羨ましいとさえ思えてくる。


「あんたはチョコレートのことしか考えちゃいない。だからこうやって何度も失敗する。今回の問題がどうにかなったとしても、結局また同じようなことをするだろうさ。人でなしの化け物に、兄貴の気持ちなんて理解できるわけがねえ」

「かもしれない。だが」


 うまく言葉が出てこない。

 個として完璧であるがゆえに、私は常に奪う側だった。

 大抵は殺すか奪うかすれば解決したので、誰かに助力を乞うまでもなかった。


 レオナルドとアルフレッドだけが、特別だった。

 慣れないことはするものではない。

 思いどおりにならないのなら、隷属させてしまえばよかったのだ。


 しかし私はそれを望まず、アルフレッドも拒否した。

 ゆえに不完全だった契約に致命的な綻びが生じ、今こうして深く後悔するはめになっている。

 王にとっては、耐えがたき『屈辱』――。

 なのに私はまだ、その恥を上塗りしようとしている。


「私はどうすればよかったのだ」

「兄貴の神経を逆撫でするだけなんだし、余計なことしねえほうがよかったんじゃねえの? あんたが欲しいのはチョコレートだけなんだろ。だったら生まれたての雛鳥みたいに、おとなしく巣の中で口を開けてりゃいいのさ」

「それはできない」

「なんで」

「私は、アルフレッドの願いを叶えたいと思っている」


 静寂。

 今度はドットも困惑しているようだった。

 しばし間を置いて、人狼の少年は力なくため息を吐いた。

 その仕草は、師匠であるアルフレッドにとてもよく似ていた。


「マジでなんなのこいつ。人の心がわかんねえのにわかったような気になって茶々入れた結果が今だろ。どうせ無理なんだから諦めろって話をしてんだよ」

「しかしドット様。苦手なことに挑戦しようとしているのはあなたも同じでは? アルフレッド様のようなショコラティエになるなんてどうせ無理だからと他人に言われて、はいそうですねと素直に引きさがれるでしょうか」

「それとこれとはぜんぜんちがくね?」

「同じですよ。お館様にとっては」


 ドットは黙りこむ。

 クリムはこちらに振りかえり、穏やかに問うた。


「アルフレッド様のことをもっと知りたいとお考えなのですよね」

「いや、私だけを見るべきだと考えている」

「理解したいとは思いませんか」

「わからないことがあるのは腹立たしいな」

「生まれたての赤ちゃんかよこいつ」

「もうひとつお聞きします。それはチョコレートとは関係なく?」


 どういう意味だろう。

 私の願いとアルフレッドとの関係は、切っても切れないものであるはずだ。

 首を傾げていると、たまりかねたようにドットが口を挟んでくる。


「兄貴がチョコレートを作れなくなったとして、そのときあんたはどうする。単に興味を失うか、それとも今のまま関係を続けるか」

「愚問だな。あんなに面白い人間を放っておくはずがないだろう。次になにを見せてくれるのか。どんなことをしでかすのか。常に予想を裏切り期待を越えてくれるからこそ、私の長く退屈な時間は彩りに満ちたものに変わっていったのだ。今さら戻れるわけがない。アルフレッド・ワーグナーが存在しない暮らしなど、チョコレートがない食卓と同じくらい味気ないではないか」


 またしても短い静寂がおとずれた。

 やがてクリムが、ドットの肩をぽんぽんと叩く。


「ご納得いただけましたか? アルフレッド様の居場所を知っているなら教えてください。こんなところでぐずぐずしていたら、本当に手遅れになってしまいます」

「ちっ……しょうがねえな。吸血鬼、あんたにはまだチャンスがある。兄貴が生きているうちは、失敗したって自分でケジメをつけることができるわけさ」


 吸血鬼は目を閉じる。

 わかるとも。今なら。

 アルフレッドがなぜ、寄宿学校時代の友人ごときにあれほどこだわったのか。


 千年以上生きてきた吸血鬼にとって、たかだか一年の歳月なんて瞬きに等しいほどのわずかな時間でしかない。だのにあの男と過ごした今日にいたるまでの日々を、私はそれ以前の生涯とは比べようもないほど濃密なものに感じている。

 たとえこの先さらに千年生きることになったとしても、今この胸に抱えている感情は色褪せることはなく、どころかより華やかな色彩でもって深く刻まれているはずだ。

 さながら引き出しの奥に眠る宝物のごとく――たまに光に当ててみては、うっとりと眺めるのだ。


 だがもし、このまま二度と話ができなくなったら。

 私はきっと、後悔するだろう。

 宝物のような記憶は泥にまみれ、見るに堪えない汚点に成りさがる。深く刻まれているぶん治らぬ傷となって残り、思いだすたびにどろどろとした黒い血を吐くはめになる。

 

 そして過ちを犯した自らを、未来永劫、呪い続けることになるのだ。

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