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3−4

 夕暮れ。アルフレッドは波止場から朱に染まりゆく海を眺めていた。

 冬の空が闇に染まるのは一瞬だ。こんなところで時間を潰している暇はない。

 

 だが、すぐに行動に移そうという気分にならなかった。

 結局……今日はなにをやってもダメな日だった。

 探し物は見つからない。

 いや、見つかったか。ただそれが自分が望んでいた答えではなかっただけで。

 

 待ち人は現れない。

 もし現れたとしても、言葉を交わすことはできないはずだ。

 マエッセン・ノイマンはすでに、死んでいるのだから。


「わたくしと同じマダムのひとり、ペトロのところで彼を見かけたことがあるわ。フォーチュンエッグのタイアップ契約を結んだあとだったかしらね。あの女、多額の融資を口実に彼を自分の屋敷に招いたのよ」

 

 クーの頭に乗った猫がニャアと鳴く。

 すっと目を細め、小鳥を狙うときのようなまなざしをアルフレッドに向けている。


「あの女、好みの男を見ると後先考えずに手を出しちゃうの。妻子持ち? そんなの関係ないに決まっているでしょ。どうせおもちゃにして、満足したらポイするだけなんだから」


 その後は耳を塞ぎたくなるような話が続いた。


「特注の牢屋に監禁してね、じっくりいたぶって辱めて、壊れる直前まで搾り尽くしたら今度は優しく看病してあげてね。最後はハンターさんが獲物を剥製にするみたいに、自分のコレクションにするんだって。聞いてもないのに毎回ぺちゃくちゃ嬉しそうに喋るんだから。……そんなに怖い顔しないでよ。わたくしがやったわけじゃないんだから」


 アルフレッドは目を閉じ、護身用の銃を海に向けた。

 純銀製の弾丸はしっかり装填されている。エーテルの力を宿したペンダントもあるし、マエッセンを殺したペトロにケジメをつけにいく準備はできている。


 シンやクリム、ドットに助力を願うべきか迷った。

 だが、これはあくまで俺の個人的な復讐だ。チョコレート作りとはまったく関係ない。ペトロを殺したからといってマエッセンが生き返るというわけではないのだから、完遂したとしてもただの自己満足だ。

 そんな不毛な戦いに、他人を巻きこむべきではない。

 

 とはいえ、果たして俺だけで勝てるのだろうか。 

 頭の中の冷静な部分が、無謀な復讐を挑みにいく己に警鐘を鳴らしている。

 ペトロはルヴィリアに住む怪異の中でもとくに強大な存在だ。シンが世俗に興味を失って以降の裏社会で勢力を伸ばし、今や実質的な支配者のひとりとなっている。


 自暴自棄になっているのかもしれない。

 手元にあるものはなんでも利用する。いっときの感情に振り回されず、合理的な判断でもって行動を選択する――それが正しい錬金術師というものだし、俺は今までもそうやって道を切り拓いてきたはずだ。

 ここはいったん屋敷に戻って、シンに助力を求めたほうがいいだろう。


「どのみち殺そうと思っていた相手だ。処分してもらえたなら手間が省けてよかったじゃないか」くらいの皮肉は言ってきそうだが、最強の用心棒を雇うためだと思えば我慢できる。そもそもこういう場面くらいでしか、あのクソ吸血鬼の利用価値なんてないではないか。


 アルフレッドは海に背を向ける。

 が、そこで信じられない光景を目の当たりにして唖然とした。

 屋敷に帰る道。

 ゆるやかな傾斜がついた坂道の向こうから、ひとりの男が近づいてくる。


 赤毛の巨漢で、タキシードスーツを着ていなければ海賊にしか見えない。

 のっそりのっそりと歩く姿から、寄宿学校時代は『熊』と呼ばれていた。

 ――マエッセン・ノイマン。


「幽霊でも見たような顔だな」

「お前……生きていたのか? だが、マダム・クーは」

「化け物の言葉をあっさり信じやがって。まあ俺もヘマこいて危うく殺されそうになっちまったけどな。今ちょうど、命からがら逃げだしてきたところさ」


 旧友はカラカラと笑った。一ヶ月もの間ペトロに監禁されていたわりには元気である。

 服も汚れておらず、その点がいささか奇妙に思えた。だが、殺されたという話が嘘なのであれば、あの耳を塞ぎたくなるような話の数々も事実と異なる可能性が高い。


 マダム・クーめ。根も葉もないデマを吹きこみやがって……あとで覚えていろよ。


 とはいえ、マエッセンが生きていたとわかってホッとした。

 アルフレッドはいったん肩の力を抜き、そのあとで本題を切りだす。

 旧友とこうしてまた話すことができて嬉しいが、だからといって感動の再会というわけにはいかないのだ。


「お前が送ってきた『差し入れ』のせいで死にかけた。ただの嫌がらせか俺に対しての挑戦状か、どういうつもりでやったのかまでは知らねえが……殺意がなかったとしてもあんなことになったからには、ケジメをつけなくちゃおさまらねえ。そのくらいのことはお前だってわかっていたはずだ」

「もちろん。俺の知っているアルフレッド・ワーグナーなら、やられたらやり返すに決まっている。撃ちたいなら撃て。それですべては終わりになる」


 マエッセンは両手を広げた。

 わざわざ殺されるために、俺の前に現れたかのような顔だ。


 こいつもこいつなりにずっと考えて、ケジメをつけることを選んだのかもしれない。化け物のところからどうにか逃げだしてきたのも、こんな救いようのない目的を果たすためだったというのだろうか。

 アルフレッドは銃を構え、そのあとで力なく下ろした。


「今日は気分じゃねえ。さっさと失せろ」

「またそうやって後回しにするのか? お前が今やらねえってんなら次のチャンスはねえぞ。俺はこの町から出ていって、二度と会うことはない」

「妻子はどうする。この無責任野郎」

「金は十分に残した。あいつらも俺がいないほうが幸せになれる」


 もっともらしいことを言いやがって。クソが。

 だが、これが今できる最良の幕引きではある。

 マエッセンは命以外のすべてを失うが、ノイマン商会は安泰で、残された妻子も路頭に迷うことはない。

 アルフレッドは友情を失い、モヤモヤとした感情を引きずることになるものの、かつての友人を手にかけたという負い目を背負わずに済む。

 夫人との約束を果たせなくなってしまうことだけが、心残りではあるが。

 

 かつての親友はすれ違いざまにぽんと肩を叩き、波止場に停泊している船のほうに向かおうとする。ルヴィリアの空は紫色に染まりつつあり、アルフレッドの足もとから伸びる影を夜の闇が包みこもうとしていた。

 そこで、違和感を抱く。

 はっとして、去りゆく旧友の姿を見る。


「マエッセン。待て」

「なんだよ、お別れの挨拶か?」

「そうじゃない。お前にひとつだけ、聞きたいことがある」

 

 相手が振り返る。

 その表情で、疑念は確信に変わった。

 すかさず銃を構え、眉間に撃ちこむ。

 マエッセンはきょとんとした顔のまま、後ろ向きに倒れこんだ。


「下手な芝居はやめろ」

「なぜ、私だとわかったんだい。アルフレッド」


 旧友の姿をした化け物は地に伏したまま笑う。

 簡単な話だ。

 

 吸血鬼に、影はない。

 

 ◇


「なぜ、こんな真似を?」

「私はただ、君の願いを叶えてあげただけさ」

 

 吸血鬼はゆっくりと起きあがる。

 眉間に風穴を開けた旧友の姿のままで、いつもの余裕たっぷりの笑顔を向けている。

 

 マエッセンはこんな表情をしない。直情的で熱くなりやすく、商人になってからも交渉よりは恫喝のほうが得意なろくでなしではあったが、自分以外のすべてを嘲るような『人でなし』ではなかった。

 金儲けが第一と言いながら、困窮していると見れば赤の他人であっても無償で手を貸すような情に厚いやつだったのだ。自分の目的を果たすためなら相手の心を踏みにじろうとも意にも返さない、傲慢で冒涜的な吸血鬼とは似ても似つかない。

 

 だが、俺は騙されてしまった。

 不自然なところはいくつもあったのに。

 信じたいという気持ちが、錬金術師の目を曇らせたのだ。

 

 大抵の場合、真実よりも嘘のほうが甘い。

 とろけるチョコレートのように、見たくないものを優しく包みこむ。

 

 マダム・クーは針子のスザンヌから名前と身分を奪い取った。上位の怪異が姿ごと他人になり変わることができるのならば、吸血鬼の王に同じことができたって不思議はない。


「君はケジメをつけるべきだった。だが、ぐずぐずしているうちに相手のほうが姿を消してしまった。行方が知れなくなって一ヶ月だ。ルヴィリアという魔窟でこれほど長い間見つからないとなれば、間違いなく生きてはいまい。どうせ殺そうとしていた相手なのだから、手間が省けてよかったじゃないかと言いたいところだけど、生真面目な錬金術師様が納得しないことはわかっている。私は、アルフレッド・ワーグナーという人間をよく『理解』しているからね」

「だから……マエッセンに化けて俺の前に現れたのか」

「そうさ。私のおかげで、君は願いを叶えることができた。かつての友人との間に生まれた因縁にケジメをつけ、晴れて前に進むことができる。これは儀式なのさ、アルフレッド。究極の甘美にいたる探究に、集中するためのね」


 再び銃を撃った。

 立て続けに。あるだけ、顔面に純銀製の弾丸を撃ちこんでやる。

 マエッセンの顔は腐った果実のように爆ぜ、手足を踊らせながら地に伏した。


「お前は本当に、不愉快なやつだな。吸血鬼」

「ああ、最高だね。わざわざ骨を折った甲斐があった。君はもう過去に囚われていない。これからはきっと、私だけを見てくれるだろう。さあさあ、帰ろう。そしてまたいつものように――私のためだけに、チョコレートを作っておくれ」


 吸血鬼は起きあがる。

 美しい、銀髪の貴公子。

 本来の姿に戻った吸血鬼は、無邪気な笑みを向けてくる。


 この男は悪意があって、こんなふざけた真似をしているわけではないのだ。

 むしろ、善意なのかもしれない。

 だとすればなおさら、救いがたかった。


「どこへ行く、アルフレッド。帰る道はそっちではないよ」

「ひとりになりたい気分なんだ。頼むから邪魔しないでくれ」

「そうかい。まあ人間なら、そういうこともあるか」


 シンは平然と屋敷のある方向に足を向ける。

 いつになく上機嫌。今にも鼻歌でも歌いだしそうな背姿で、沈みゆく夕日の向こうに消えていく。屋敷に戻ったあとは湯浴みするか茶をすするかして、普段と変わらぬ優雅でまったりとした時間を過ごすのだろう。


 あいつは最初から見ようとも聞こうともしていない。

 俺の心をぐちゃぐちゃにしたことさえ、気づいていないのだ。


 深くため息を吐き、夜空を見あげ、ゆっくり、ゆっくりと怒りを鎮める。

 相手の行動に腹を立てるのは、そこになにかを期待しているからだ。

 人でなしの化け物に理解できるわけがない。感情の機微なんて伝わるはずがない。

 そういうもんだと諦めておけば、こんなふうに気持ちがささくれ立つことはない。


 君のことを理解しただなんだと語りながら、結局は自分の要求を押しつけてくるだけ。

 どうせろくに聞いちゃいないのだし、律儀に言葉を交わす意味がどこにある? 

 

 こちらも右から左に流しておくのが正解だってのに、いちいち構ってやったあげく失望しているのだから世話がない。ちっとは成長しているかもなんて考えるだけ無駄だ。錬金術の実験みたいに淡々とチョコレートを作って食わせて殺して、さっさとこのクソみたいな関係を終わらせちまおう。


 お前は羽虫だ、吸血鬼。

 煩わしくて、不愉快なだけで。

 言葉を交わす意味もなければ、期待するほどの『価値』もない。


 いつまでもそうやって、暗がりの中をひとりでくるくる回ってりゃいい。

 俺は俺で、やりたいようにやるだけだ。

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