2−8
屋敷に帰る途中も、着いたあとも、吸血鬼は不満たらたらの様子だった。
「ならば君はいつ行動に移す。先送りとは実にらしくないね、アルフレッド」
「部外者が口を挟んでくるんじゃねえよ。うざってえな」
「そうはいかないよ。君の問題は私の問題でもあるのだから。なぜ、今さらになってためらう。友人だったからかい? しかしあの男はすでにそう呼んでいい相手ではなくなっているはずだ。このまま放置していたら、また同じようなことをやらかすかもしれない。そうはならなかったとしても、アルフレッド・ワーグナーは敵をみすみす見逃す間抜けという評判が立つ。それは自らの『価値』を貶め、新たな敵を生むだろう」
延々と喋り続けて気が晴れるかと思いきや、シンのお小言は一向に終わる気配がない。
普段のアルフレッドなら律儀に相手をしてやったかもしれない。
だが、あいにく今はそこまでの余裕がなかった。
かつての旧友に逆恨みされ、あわや殺されかけたという事実が、あとになってからじわじわと心を蝕んでいる。
ビルや夫人の身なりは以前と比べるとだいぶ貧相なものになっていた。
それに怯えたようにさっと消えた窓の影は、間違いなくマエッセンのものだった。
逆恨みされる謂れはなくとも、アルフレッドが彼らを追い詰めるきっかけを作ったことに変わりはない。
チョコレートの流行こそが、ノイマン商会の転落を招いたのだとすれば。
「まさか責任を感じているのかい。華々しく脚光を浴びる者がいれば蹴落とされる者もいる。強大な力を持った怪異ですら人間の手によって淘汰されつつあるというのに。天才錬金術師様ともあろう君がその程度の甘っちょろい感傷で足をとめるとは思わなかったな」
返す言葉が出てこない。
吸血鬼に柄にもなく諭されずとも、本来の自分ならそう考えてしかるべきところではあるはずだ。
目的のためなら容赦なく他人を蹴落とす。あるのは利害の一致のみで、たとえ仲間であろうと足手まといになるなら迷わず切り捨てる。錬金術師として合理的に、可能なかぎり最短距離で栄光の階段を駆けあがっていく。
アカデミーの門戸を叩くとき、そういう生きかたをすると誓った。
情に振りまわされるような軟弱な覚悟で、歴史に名を残すほどの人間になれるとは思えない。
だが、今は足がすくんでいる。マエッセンはかつて冷徹なまでに自分を切り捨てた相手なのだから、むしろあのときの仕返しをしてやろうと息巻いてもおかしくはないというのに。
「そんな体たらくでは困るのだよ、アルフレッド。君は壇上にあがった。特別な存在となった。みなの羨望を一身に受けて邁進し、自らの信念にもとづきはるか彼方にある頂点を目指さなくてはならない。なのに無能どもに足を引っ張られ、そのたびにすっ転んで時間を無駄にするつもりか? マエッセンはかつては君の友人だったかもしれない。だが今は地獄に巣食う亡者のひとりにすぎないのさ。貧民街にいる浮浪者に対してするように、すがりついてくる手を踏みつけて歩を進めたまえ。でなければ、君も価値なき者の仲間入りだ」
シンは喋りながら苛々としているようだった。
無理もない。これが逆の立場だったら、アルフレッドとて似たような反応を示していたはずだ。
煽りを食ってしくじった間抜けのことなんざ知ったこっちゃねえだろ。
おまけに自分の無能を棚にあげて逆恨みたあ、いい根性してやがる。
情けをかけてやってもろくなことがねえから、そういうやつはさっさと掃除しちまえ。
わかっている。わかってはいるさ。
マエッセンは親友だった。寄宿学校時代にいつもつるんでいて、この町に来てからもしばらく腐れ縁が続いていた。あいつが俺の発明品を面白がって学校中に広めてくれて、おかげでだんだんと自信がついてきて。
錬金術師になりたいって夢を語ったときも、笑わずに最後まで聞いてくれた。
一緒に、ルヴィリアに行こうって背中を押してくれた。
そんなのは過去の話だ。
なにもかも変わっちまったんだから、大事に抱えておくようなものじゃない。
今の俺と、あいつは――。
「理解しちゃくれないのか」
「最大限の努力はしているよ。今も」
そうなのだろうな。でなけりゃ今ごろマエッセンの屋敷は消し炭になっていたはずだ。
チョコレートの供給という『弱み』があるからこそ、癇癪持ちの王様は内心メラメラと炎を燃やしながらも、うだつのあがらない隷属者の意向を尊重してくれているのである。
いざ直面してみると、仲間とか友情というのはそう簡単に切り捨てられるものではないと気づいてしまった。自分は目の前にいる吸血鬼のような『人でなし』ではないのだから、当然といえば当然なのかもしれないが。
しかし喜ぶべきかどうかはわからない。
世間でもてはやされているほど、それは『価値』のあるものではないのかもしれないのだから。
たかが一年かそこらで、たやすく砕け散るのだとすれば。




