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対戦相手の姿が二重に見える。
ドットの体はぐらぐらと揺れている。
口の中に溜まっていた血をぺっと吐きだす。
イガイガとして苦い、鉄の味。
それでチョコレートのことをふっと思いだした。
たいした価値はないだって?
死んでいたやつを蘇らせておいてよく言うぜ。
こうしたいこうなりたいっていう『欲』がそのまま、オレたちの生きる力になる。
だから美味いものを食って、あれがもっと欲しい、もっと食べられるような生活がしたいって気持ちになれば……それだけで信じられないようなパワーが湧いてくるわけだ。
生きているって実感を、生きていてよかったって思わせるだけのものを作っているくせに、兄貴はそのすごさをまるで理解しちゃいない。
笑っちまうよな。
頭のよろしい錬金術師サマなのに。
雪男は攻めてこない。その表情に怯えの色が見える。
ありがてえことにビビってやがるんだ。血まみれの、死にかけたガキごときに。
なら今のうちに、ちょいと栄養補給させてもらおうか。
ドットはゆっくりとリングの端っこに歩を進め、金色の缶を拾う。
さすがの兄貴も仰天しているのか、眼鏡がズレて斜めに傾いている。
大事なものをポケットから落っことしたことにも気づいていなかったのかもしれない。
中身はやっぱりチョコレートだ。
観衆が息を呑んで見つめる中で蓋を開けると、六等分の切れ目が入れてあった。鞄に突っこんでおいて、栄養補給したいときに小出しにして食べられるようにだろうか。兄貴らしい面白い工夫である。
しかし製作者の思惑など関係なく、飢えた動物みたいにまるごと齧りつく。
するとチョコレートの濃厚な甘みが口いっぱいに広がった。
前に食べたものよりずっと固くて粘り気があり、正直なところ期待していたより美味しくはなかった。
兄貴が理由もなくこんな出来で満足するとは思えない。
たぶん『味』以外のところを重視して作ったものなのだろう。栄養とか、溶けにくさとか。
現に棒状の塊を平らげると、肉をたらふく食べたあとみたいな満腹感があった。
腹の中にずっしりとした重みがあって、それがじわじわと全身をめぐっていくかのような安心感。
これから戦うんだっていう、勇気の源。
もっと知りたい。もっと味わいたい。
もっと、もっと、もっと。
口の中いっぱいに詰めこんで、溺れるくらい味わいたいのに。
ここで終わっちまったら、そんなチャンスは得られない。
だから無様な姿を晒してでも、必死にあがいて。
生きて、生きて、這いあがって。
今いるところよりもっと、先を目指さなくちゃ。
持ち主めがけて缶を放り投げたあと、にっと笑いかける。
「やっぱりパワーが湧いてくるな。兄貴が作ったチョコレートは」
「……冗談だろ。お前まで、おかしくなっちまうなんて」
ようやく口を開いたかと思えばそれかよ。
いや、死んでいたはずのやつが急に起きあがってチョコレートを齧りだしたら意味わかんなすぎてそうなるか。
目の前にいるアルフレッドの兄貴や対戦相手の雪男はもちろん、会場にいる観客全員が様子のおかしい人狼のガキにビビり散らしている。
つまりオレは今カカオのパワーを借りて『化け物』になっているわけだ。
ならそのハッタリの効果が切れる前に、いっちょ試合を決めちまおう。
「兄貴、もう一個くれよ。そしたらこんなデブに負けやしない」
「させるかっ! このドーピング野郎が!」
案の定、雪男が慌てて勝負を仕掛けてくる。
しかしドットが右手を前に突きだすと、拳を振りあげる瞬間に「ひっ!」と悲鳴をあげてのけぞった。
得体の知れない術でも使うと思ったか?
理屈っぽい兄貴ならカカオの成分にそんな力を目覚めさせる効能はないって鼻で笑うだろうな。
なんせ『ただの嗜好品』だ。オレだって本気で両手から火の玉とかエネルギーの塊みたいなやつが出せるなんて思っちゃいねえし、今のポーズだってただのハッタリにすぎない。
だけどそういう奇跡を期待しちまうくらいのパワーがみなぎってきている。
チョコレートを食ったオレは、絶対に負けねえってな。
ともあれ、ビビって体勢を崩してくれたらこっちのもんだ。
当初のプランどおり足もとにタックルを仕掛け、勢いよく床にすっ転ばせる。なまじ図体がでけえから受け身を取らずに頭を打ちつけたときの衝撃は半端なく、周囲の歓声を吹っ飛ばすくらいの大音量でゴツンと鳴った。
ちびで軽くても、急所を狙って思いっきり体重をかけてやればなんとかなる。
膝を折り曲げて、相手の顔面と垂直になるように。
鈍い感触を味わったあとで、つくづく思い知る。
ああ、やっぱり向いてねえな。
群れのリーダーはグレイのほうが適任だよ。
賭け試合に勝っても。
人狼が本当はやべえやつらだって証明してみせたって。
「……こんなの全然、楽しくねえや」
だからオレは、チョコレートを作るんだ。




