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1−9

 覚悟を決めて階段をおりたはずだった。

 ところがアルフレッドは扉を開けた先に広がっていた光景に、しばし言葉を失ってしまう。


『おおっとー! 赤コーナー、オーガ族のキンタロウ選手! ここで強烈なラリアットだーッ! 強靭な肉体が取り柄のブルーマン選手もさすがに今のは厳しいか!? 首が変な方向に曲がっているぞー!?』

「よーし一気に畳みかけろキンタロウ! 今日の試合で勝てば連勝記録更新だぞ! 報奨金で大好物のビフテキたっぷり食わしてやっからな!」

「バッカ野郎、起きろブルーマン! トロール族のしぶとさはこんなもんじゃねえだろ! 極寒の地で鍛えたフィジカルの強さを港町でぬくぬく育った怪異どもに見せつけてやれ! お前は強い! ルヴィリアで一等輝く星になれ!」


 リングの青い床に大の字になっていた禿頭の巨人が立ちあがると、会場全体から歓声が巻き起こる。

 はっと我に返ったアルフレッドは、困惑した表情で呟く。


「……いったいなにをやっているんだこれは」

「さては兄ちゃん、地下闘技場ははじめてか?」


 扉のそばにいた男が話しかけてくる。

 血と汗の匂いが充満する空間にあって、不釣り合いなほど上品な立ち姿だ。晩餐会に出席する貴族のような燕尾服で、口もとには立派な髭をたくわえている。

 だがそれよりも目を引くのは、先っちょが尖った耳と山羊のような横長の瞳孔だろう。

 あきらかに人間ではない。ルヴィリアの裏社会に住まう上位の怪異。


「男だったら一度は考えたことがあるはずだ。グリフォンとヒポグリフ、戦わせたらどっちが強いか。あるいは人狼とウェアタイガー、ケルベロスとガルム。今そこでやっている試合も怪異としての『格』を決める儀式のひとつだよ。俺はキンタロウのやつに賭けたが……チッ。あっさりカウンターを食らいやがって」


 見れば優勢だったはずの赤コーナーの選手のほうが倒れていた。

 禿頭の巨人は制止しようとするレフリーを弾き飛ばし、追い打ちとばかりに額に生えた角をへし折った。

 びくんびくんと痙攣し、口から泡を吹くキンタロウ選手。

 アルフレッドは向きなおり、口髭の男に言った。


「要するにボクシングの賭け試合みたいなもんか。非合法の」

「ほんの百年前まではグリンデン様の名のもとに開催されていた由緒ある催しだったのだがね。くそったれマダムどもが『怪異の品格を貶める野蛮な儀式』だとかなんとか抜かしやがって、今じゃ裏社会でも禁止されちまってる。兄ちゃんみたいな若いやつが知らねえのも無理ねえよ。――って、あんたもしかして噂のショコラティエ様か?」


 相手は首もとの刻印に気づくなりぎょっとしたように身構える。

 それはさておき、今の話で大体のところは理解できた。


 ドットは夜の店で働いていたわけではなく、その地下で行われている賭け試合に出場して金を稼いでいたのだ。体のあちこちに怪我をしていたのは変態趣味の顧客に手荒なプレイを要求されていたからではなく、対戦相手とステゴロでやりあっていたからだろう。


 まったく……クソ吸血鬼め。

 あいつがいかがわしい表現を好むのは今にはじまったことではないが、そのせいで妙な想像をしてしまった。

 

 クリムの『ろくでもない仕事』という表現のほうは、目の前で起こっている惨状を見るかぎりさほど間違ってはいない。『いかがわしさ』はないというだけで、自らの体を見世物にしていることに変わりはないのだから。

 

 ぴくりとも動かなくなったオーガ族の選手に憐憫のまなざしを向けつつ、それなりに賭け試合に精通していそうな口髭の男にたずねかける。


「ドットって人狼のガキがいるはずだ。どんな選手か教えてくれ」

「成績はパッとしないが人気はあるぞ。生意気そうなチビが倍くらい背丈のちがう対戦相手にボコボコにされているのを見ると興奮するだろ? ケヴィン様が新たに採用したデッドチェイスってのもあるからな。簡単に説明すっと、その試合で死ぬかどうかを賭けるのさ」


 思わず眉間にしわを寄せる。聞けば聞くほど野蛮で下品な催しだ。

 己の強さを証明したいだとか人狼種の地位を引きあげたいだとか、うちの親父あたりが好みそうな血の気が多い理由で出場するならどうぞご勝手にと見送るところではある。

 しかしチョコレート作りを教わるためだけに地下闘技場で命を賭けるなんて、あまりにも馬鹿げている。

 

 まったくなんでこんな面倒な話になったのか。

 ショコラティエに憧れているといっても所詮はガキの戯言。どうせすぐに飽きて投げだすに決まっている。だったらボランティア感覚で気楽に相手して、それなりに満足させたあとで放りだしてやればそれで終わったことなのに。


 身を削るような覚悟なんて必要ない。がむしゃらに努力させる意味なんてない。

 なのになぜあのときドットにそれを求めたのかといえば、自分と同じくらいの熱量で臨んでくれるかもしれないと、ぽっと出てきただけのクソガキに期待してしまったからである。


 そう、期待だよくそったれ。


 自分についてこれるやつがいるわけないとうそぶきながら、ひたむきに追いかけてくれそうな『同志』を求めていたのは俺のほうだ。

 だったら寄宿学校時代の学友たちのように素直に認めてやればいいものを、昔の自分を見ているようなバツの悪さからつい邪険にしてしまったのだ。

 アルフレッドが物思いに沈んでいると、口髭の男は下卑た笑みを浮かべてこういった。


「兄ちゃんもあのガキに賭けるのか? 今の弱りっぷりを見るかぎりそろそろ限界だろうし、実はみんな次の試合にはけっこう期待しているんだぜ」


 ◇


 地下闘技場の構造は一般的な競技施設とそう変わりない。

 中央にロープで囲われた四角いリングがあり、その周りにぐるっと観客席が設置されている。

 

 アルフレッドが今いるところは入り口付近の立ち見席。

 反対側に対戦者の組み合わせとオッズが記された掲示板が見えたので、ひとまずそちらに向かう。

 ドットが出場するのはこの日の最後の試合。スタッフの男にたずねたところによると今からでも棄権はできるらしい。ただ目ん玉が飛びでるような額の違約金を請求される。


 ……本人の了承を取ったあと、自分が肩代わりするほかないだろう。


 以前のアルフレッドなら到底払いきれなかったが、今ならギリギリどうにかなる範囲だ。クソガキの襟首つかんでこのくだらねえ地下闘技場から引っぱりだして、あとはチョコレート作りでもなんでも教えてやればいい。ついでにいっちょ説教をかましてやればそれで万事解決だ。


 だが、実際はそんな簡単に話は進まなかった。

 隷属者の刻印を見せて投票券売り場の裏手にまわり、出場前の選手が待機する控え室でようやくドットと顔をあわせることができたものの――アルフレッドが要件を伝えると人狼の少年は牙を剥いてこう返してきた。


「冗談じゃないぜ。対価を要求してきたのは兄貴のほうじゃないか。オレはそれで納得したし、だから自分なりのやりかたで金を用意しようとしてんだよ。なのにようやく払いきれそうな目処が立ったところで、やっぱりタダで教えてやるから棄権しろってか? なんだって急に保護者ヅラしてきやがるのさ」

「お前みたいなガキに死なれたら良心が痛むからだよ。たかがチョコレート作りに命を賭けるなんて馬鹿らしいだろ。お前の覚悟は伝わった。だから――」

「ごちゃごちゃうるせえな。兄貴の良心なんざこれっぽっちも興味ねえよ。つうか本心じゃそんなこと微塵も思っちゃいねえだろ」

 

 返答に窮してしまう。

 ドットはもはや最初にチョコレート作りを教えてくれとせがんできたときの、図々しい子どもの顔をしていなかった。本気で自分なりに考えに考えて、相応の対価を支払うことで覚悟を示そうとしている。

 そういう志に、アルフレッドもある種の期待と共感を抱いているのは事実だった。

 

 理屈で諭すのはやめだ。

 こうなったら真っ向から受けとめるしかない。


「チョコレート作りは吸血鬼のクソ野郎をぶっ殺すため、この首につけられた忌々しい鎖を引きちぎってやるために取り組んでいることだ。お前が親の仇を討つために協力するってんなら納得できるが、俺みたいなやつになりたいって話になるとよくわかんねえ。なもんで正直なところ戸惑いはある」

「もしかしたら兄貴はやりすぎたって思っているかもしれねえけど、オレは嬉しかったんだよ。金を用意しろっていわれたとき。このひとはガキだからって容赦しねえ。本気でチョコレート作りを教えてくれるって思ってさ」


「大人げないとも融通がきかないともいえるけどな」

「誰に対しても対等に相手してくれるってことだろそれは。兄貴の作品からも伝わってくるよ。嫌々やっているふうに話しているけど、実際は魂を込めて一粒一粒を作っている。だからみんなを夢中にさせるパワーがあるんだ」

「さすがにそれは買いかぶりすぎじゃないか? チョコレートなんてただの嗜好品だ。クソ吸血鬼は体質が特殊なだけで、それ自体にたいした価値はない」

「嘘つけ。自分が一番わかっているくせに」


 ドットは見透かしたような顔をする。

 カカオの中に秘められた『可能性』――その探究に命を賭けて取り組んでいる。

 であればほかの誰よりもチョコレートに価値を感じ、その力を信じているのはアルフレッドだ。

 

 結果として生まれたのがルヴィリア中を巻きこんだ熱狂である。

 人間も怪異も区別なくとろけるような甘美の虜になり、一介の留学生にすぎなかったアルフレッドは不本意ながら『天才ショコラティエ』として祭りあげられている。

 ステージの真下から眺めていたら、その姿はさぞかし眩しく映ったことだろう。

 かつての自分が、レオナルドのような錬金術師に憧れたように。


「どうやっても試合には出るつもりなのか」

「オレが渡すのはただの金じゃねえ。血反吐を吐いて交わす『契約』だからな」

「どっかで聞いたような嫌な響きだな……。ならお前もひとつ約束してくれ」

「わかっているよ。オレは絶対に死なねえ。なんなら圧勝してやるさ」


 ところがいざ試合がはじまると、ものの数分でドットは血の海に沈んでいた。

 床を真っ青にしている理由がよくわかった。そのほうが飛び散った赤色が目立つからだ。


 体格の差。経験の差。種族の差。


 すべてにおいて対戦相手に劣っていた人狼の少年は、リングに横たわったままぴくりともしない。レフリーがカウントをはじめるが、試合終了のゴングが鳴り響く前に――そのちいさな心臓は鼓動をとめていた。

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