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二週間後。
人狼の少年はアカデミーの研究室に顔を出した。
予想外の早さだ。
が、渡された紙幣を見て眉をひそめる。
「これだと全然足りないぞ。せいぜい学費一ヶ月ぶんくらいだ」
「一度にぜんぶってのは難しいんだよ。オレが住んでいるところは治安が悪いから、大金を持っているとトラブルの種になる。どういうふうに渡すか決めてなかったし、数回にわけたって別に構わないだろ」
むしろ前金でもらっているようなかたちになるぶんメリットのほうがおおきい。こいつが根をあげて途中でバックれたりしたら、アルフレッドはなにもせずに大金を懐に入れることができるからだ。
しかし仮にあと二回にわけて持ってきたとしても、たった六週間で全額を用意できることになる。
普通では考えられないペースだ。
「お前みたいなガキがなにをやったらこんなに稼げる?」
「どっかからくすねてきたわけじゃないから安心しろって。それだとたぶん納得してくれないだろうし、あとからケチつけられるような真似はしてないさ」
「ならいいが。それとさっき研究室に入ってきたとき、右足を引きずっていたように見えたが大丈夫か。ええと……」
「ドットだよ。ようやくオレに興味を示してくれたな、兄貴」
少年は軽快な足取りで出ていく。
強がって痛みを我慢しているようなのが気になった。
◇
そしてさらに二週間後。
再び姿を見せたドットから漂う違和感はもっと顕著だった。
頭に包帯を巻き、まぶたのあたりに痛々しい青あざが浮かびあがっている。
歩きかたを見るかぎり、顔以外の箇所もあちこち痛めているだろう。
「残すは一回。貯まったら約束どおり教えてくれよな」
「その前にお前が死ななければな。本当に大丈夫なのか、それ」
「心配してくれるとは思わなかったよ。兄貴、思っていたより優しいじゃん」
「周りの視線が痛いだけだ。俺がなんかカツアゲしているみたいだろ」
ドットは笑った。おかげで余計に痛々しく見えてくる。
いったいなにをしてそんな怪我をしたのか。
クリムがいうところの、ろくでもない仕事とやらが関係しているのは間違いない。
だが、あえて問い詰める気にはなれない。
正直なところ怖かったからだ。自分の厳しさや融通の効かなさが原因で、この純朴な少年に取り返しのつかないことをさせてしまったのではないかと。
◇
夜。屋敷の工房。
アルフレッドは新たなチョコレート作りに取り組んでいた。
といっても究極の甘美にいたる探究とは別件だ。実は数日ほど前に王都テンゼルの研究所から依頼を受けており、その内容は行軍中の兵士に配給する野戦食を開発してほしいとの旨だった。
栄養価が高く、携帯性に優れ、保存がきく。
チョコレートの利点を活かした新たなレーション。
つまり錬金術師としてではなく『ショコラティエ』としての技術を買われたオファーだ。
もし採用されたならセーブル王国軍の兵站を影から支えることができる。
士官学校の体力審査をパスできず、軍の入隊審査でも書類の時点で弾かれたワーグナー家の面汚しが、その明晰な頭脳によって王国軍から高く評価される。
たかがお菓子作りと侮っていたが、回り回って確固たる実績を築く足がかりになりそうなのだから、運命の巡り合わせというのは実に皮肉である。
失敗できない。
絶対に成功してみせる。
幼いころから受けてきた屈辱をようやく払拭できるかもしれないのだから、力が入るのは当然だ。
しかし――アルフレッドは目の前の探究に集中できない。
昼間に見た傷だらけのドットの姿がちらついて、どうしても心が乱されてしまうのだった。
痛みを抱えながら気丈に振る舞おうとする少年を、幼いころの自分と重ねているのかもしれない。
彼にとってのチョコレート作りを学びたいという思いは、あの日のアルフレッドが抱いた錬金術に対しての『憧れ』と同じものである。
だとすればシェリー姉さんが自分にしてくれたように、優しく手を差し伸べるべきだったのではないか。
あるいは寄宿学校時代の学友たちのように、その熱意に共感するか面白がるかするだけでもよかったかもしれない。ワーグナー家という狭い世界の価値観に縛られていたアルフレッドにとって、彼らが才能や努力を認めてくれたことは大いなる福音であり救いでだった。
外には外のまったく異なる価値観があり、だからちっぽけな実家の『落ちこぼれの烙印』なんて気にする必要はないと、抑圧から解放される原動力になったのだから。
だのに邪険にして突き放すなんて。
それでは父親や兄たちがしてきたことと大差ないじゃないか。
「お悩みのようだね、アルフレッド。私でよければ相談に乗るけど」
「……今すぐ失せろ。お前に構っていられるような気分じゃない」
いつものように前触れもなく現れた吸血鬼はクスクスと笑う。
「嫉妬、してしまうよ。君にまさか小児愛の傾向があるとは思わなかった」
「毎度そういう下世話なことしか考えられないのか? 王様が聞いて呆れるぜ」
「しかしあの少年がそそる容姿であることは事実。ましてや人狼となれば、さぞかし高く売れるはずだ。なにせルヴィリアでもっとも需要のある特産品は『怪異』だからね。それ目当てで外からやってくる観光客も多い」
「お前はさっきからなんの話をしている」
「もちろん『ろくでもない仕事』について、だよ。知りたがっていただろう?」
懐に隠していた銃を取り、忌々しい吸血鬼めがけて発砲する。目の前にあったはずの姿は黒い靄となって消えたあと、アルフレッドの背後に再び現れる。
耳を塞ぎたくなるような、甘く妖しい囁き声。
「子どもが手っ取り早くお金を稼ぐ方法なんて、たったひとつしかないとすぐに察しがつかなかったのかな。チョコレートの作りかたなんて気前よく教えてあげればよかったのに、君がつまらぬ意地を張ってつい厳しく接したせいで、純朴な少年は道を踏み外してしまった」
「黙れっ! 俺は――」
「悪くない、かい? だが、身を削るような覚悟を求めたのは君だよ。人狼としての尊厳を汚してまで教えを乞うとは、実に見上げた根性じゃないか。チョコレートを作れるようになれば、自分の中でなにかが変わると思ったのだろう。ルヴィリアの掃き溜めに住み、親を亡くしたばかりの少年にとって、すがるべきよるべはほかにない。かつての君が錬金術を追い求めたように」
そう告げたあとでシンはふっと消えた。
しかし、まとわりつくような気配は今なお工房に充満している。
良心の呵責に苛まれているアルフレッドの姿を、見えない靄となって眺めているのだろう。
暗がりからクスクスと、嘲るような笑い声が響いてくる。
「……いつになく楽しそうじゃないか、クソ野郎」
虚空を睨みつけながら、舌打ちする。
俺はたぶん、取り返しのつかない失敗をしてしまったのだ。
後悔ならいくらでもできる。
だが、今すべきことはそれではない。




