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 朝から寝覚めが悪く冴えない一日のはじまりという感じだったが、アカデミーの研究室に顔を出すといっそう不愉快な展開が待ち受けていた。


「よう兄貴。くるのが遅いから待ちくたびれちまったぜ」

「……クソガキ。なんでお前が錬金術科にいる?」

「弟子だっつって耳を見せたらあっさり入れてもらえたよ。吸血鬼も人狼も人間にとっちゃ大差ない。天才錬金術師サマのお知り合いってことさ」


 見れば少年は女子学生たちに囲まれてチヤホヤされている。

 うす汚い身なりとはいえ母性本能をくすぐる可愛らしい姿。ふさふさとした耳と尻尾があればさらに受けがいい。タチの悪いことにこのガキは自分の長所をしっかり把握したうえで、外堀を埋めつつ俺の懐に入ってこようとしている。


 意外と頭が回るやつだ。それに度胸もある。

 だが、所詮は凡人の浅知恵。天才錬金術師様の返答はこうだ。


「部外者は立ち入り禁止だ。二度と顔を見せるな浮浪児が」

「痛ってえぇ! 初手で腹パンかますか普通!?」


 床に転がって悶絶する少年。

 案の定、周囲の女子学生たちから非難の声。


「ひどい! アカデミー生にあるまじき差別発言!」

「ちいさい子いじめたらダメだよアルフレッドくん!」

「いーけないんだいけないんだ! テオドール教授にチクっちゃお!」


「ほら見ろ! お姉さんたちもこういってる!」

「だからどうした。俺は女子の評判なんざ毛ほども気にしたことない」

「なんだって……!? やっぱり男が好きなのか!?」


 二度目はけっこう本気で蹴った。ガキでも人狼だから平気だろ、たぶん。

 落ちついたところで本題を切りだす。


「まあチョコレートの作りかたを教えてやるって約束したのは俺だからな。今から紙に書いてやるからあとは自分でどうにかしろ」

「は? そんなの無理に決まってるじゃん」

「俺は最初レシピだけを頼りに作ったが? そっから先も独学だが?」


 ガキはぐっと口をつぐむ。そういや名前もまだ聞いてないな。

 とはいえ設備を借りたり材料を仕入れたりはアルフレッドとて吸血鬼頼みだった。

 イチからぜんぶは現実的ではないというのも事実である。だから、


「どうしてもというならレクチャーしてやってもいい。だが、条件がある」

「わかった。命以外ならなんでもくれてやるぜ!」


 つい顔をしかめてしまう。どこかで聞いたようなセリフだ。


「授業料を払え。アカデミーの学費三ヶ月ぶんで手を打ってやる」

 

 またもや周囲から非難の声。

 今度は女子学生だけでなく、静観を決めこんでいた男連中まで怒りをあらわにする。


「こんなガキに払えるわけないだろ! うちの学費三ヶ月ぶんっていったら日雇いの労働者が一年働いてやっとって額なんだぞ!」

「体よく諦めさせようとしてやがるな。ほんとクズだよお前は!」


 だが、アルフレッドはぴしゃりといった。


「俺がチョコレート作りにどれだけの労力を割いてきたかわかっているのか? 高いと思うのは構わない。ただそれは『ショコラティエ』の経験と技術がその程度の価値しかないといっているのと同義であることは理解しておくべきだ」


  非難の声を浴びせていた連中は水を打ったように静かになった。


「知識はただでくれてやる。先人たちもそうやって文明の発展に貢献してきたわけだからな。だが、教えてやるとなると話は別だ。なぜ俺がわざわざ貴重な時間を使って、ど素人のガキにチョコレート作りのノウハウを伝授してやらなきゃならんのか。お前はゼロからはじめる努力をすっ飛ばして効率よくお勉強できるかもしれないが、俺のほうにメリットはまったくない。相応の対価を要求するのは当然の権利だと思うが?」


 反論があればどうぞと、手を広げる。

 人狼の少年は意気消沈したようにうつむき、周囲の学生たちもバツが悪そうに黙りこんでいる。

 アルフレッドは金払いがよく面倒見がいい男だ。

 しかしそれはあくまで自分に利がある場合にかぎっての話である。


 アカデミーの学生たちなら後々手伝いなりアドバイスなりで売った恩が返ってくるかもしれない。しかし人狼の少年には今のところそういった見返りは期待できない。

 いいとこ周囲の印象がよくなる程度。チョコレート作りを教える労力と釣りあうはずがないだろう。

 

 とはいえ、対価を得るとなれば教える側にも責任が伴う。アルフレッドは体よく断るために大金を要求したわけではなく、むしろ目の前の少年にそれだけの覚悟があるかどうか試している節があった。


「……わかった。金、必ず用意するよ。どれだけ時間がかかっても」

「そんときには約束したことを忘れているかもしれないけどな」


 ◇


「アルフレッド様、そのままではチョコレートが焦げてしまいますよ」

「おっといけねえ! 俺としたことが」


 慌てて鍋を火から離すも、ときすでに遅し。焦げついたカカオがぶすぶすと音を立てている。

 チョコレート作りをはじめた当初こそ手こずったものの、今となってはテンパリングなんて初歩の初歩だ。

 材料だって安くないというのに、集中を欠いてしくじるなんて天才としてはあるまじき振る舞いだ。


「お館様になにか言われたのですか」


 クリムの言葉につい苦笑いを浮かべてしまう。

 俺が振りまわされるとしたらシン以外にありえないと決めつけているような節だ。

 

 しかし今回にかぎっては別の相手である。

 変態吸血鬼とは真逆の、純朴すぎるがゆえに扱いに困る少年。


 鍋をいったん脇に置いて、昼間のことについて話す。

 クリムはしばらく考えこんだあと、


「アルフレッド様は留学の費用をどうやって捻出しました? 勘当同然で家から出たわけですから、お父上からの援助は受けられなかったはずでしょう」


 脈絡のない質問だ。首を傾げながらも正直に答える。


「寄宿学校にいたときから、マエッセンとふたりで町に出てバイトしながらちびちび貯めてた。あとは離婚した母親と、いいとこに嫁いだ姉さんに内緒で金を出してもらった。ルヴィリアにきてから働いて返したが、おかげでいまだに義理の兄上様にゃ頭があがらねえよ。クソ忌々しいことにな」


 ちなみにシェリー姉さんの旦那は王都テンゼルの近衛部隊に配属されている。アルフレッドより十ほど歳上で、実の父親やクソ兄貴どもと違って錬金術の道に進むことに理解を示してくれた恩人でもある。

 最愛の姉を奪われた憎き相手でなければ、素直に尊敬していたかもしれない。

 

 留学するまでの苦労を思いだしながら、次第に険しい顔になっていく。

 姉さんがそばにおらず本当に孤立無縁で幼いころからあの実家で暮らしていたなら、自力で抜けだすなんて考える前に首を吊っていただろう。

 寄宿学校に行ってからだって、びっくり箱のようなくだらない発明品を作るたびにマエッセンや他の学友たちが面白がってくれたから、本格的に錬金術の道を志そうという自信をつけたところはある。


 新しい世界に飛びだして、なんでもかんでも自分ひとりで成しとげたような顔をしてみせても、結局はアルフレッドだって様々な人々の手を借りて今があるのだ。

 だとすれば、教えを乞うてきた相手を突き放すのはいかがなものか。

 人狼の少年に告げた言葉のすべてが間違っているとは思わないが……かつては誰かに支えられてきた身としては、もうちょい優しくしてやってもよかったかもしれない。


 クリムもそのあたりのことを暗に咎めているのだろう。

 そう考えはしたものの、続けて語られたのはいっそう脈絡のない言葉だった。


「実際のところ、提示された額のお金を用意することは難しくありません。その少年は人狼で、この世ならざる領域に属する怪異ですから、ルヴィリアならいくらでも割のいい仕事を見つけることができますよ」

「そうなのか? なら思いのほか早く面倒を見るはめになるかもしれないな」


 現金なことに現実味が帯びてくると途端に気が重くなってくる。

 ど素人、それも気が強そうなガキの子守り。調子に乗って弟子にしてくれと訴えてくる可能性すらある。

 もちろん断るつもりだが、そうしたらしたでしつこくつきまとわれそうな気配がある。

 クソ吸血鬼だけで手一杯なんだけどな。


「もしすぐに大金を持って現れたら注意してください。純朴な少年というのは向こう見ずで、それゆえに後先を考えない怖さがありますから」

「……どういう意味だ?」

「アルフレッド様はたまに育ちのよさが出ちゃいますよね。割のいい仕事というのがどんなものか、なんとなく想像がつきませんか。ルヴィリアでも外の世界でも、ろくでもない内容なのは変わりありませんよ」

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