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王立アカデミー錬金術科、研究室。
アルフレッドはいつものように実験の準備をしていた。
そこに、他の学科の教授がやってくる。
セーブル王国の最高学府とあって、アカデミーには著名な学者や研究者が多数在籍している。
中には生徒に対して横柄な態度を取る者もいるが、大抵は一定の節度を守って接してくれる。
たまに専門外の分野について、意見を求めてくることさえあるくらいなのだ。
この教授も天才アルフレッドの噂を聞きつけて、わざわざたずねてきたのだろう。
錬金術にまつわる相談事なら大歓迎だ。ひとまず手をとめて応対する。
ところが、
「私の孫が、君の作ったチョコレートが食べたいとうるさくてね」
「ここは錬金術科の研究室であって、町のお菓子屋さんではないのですけど」
思わず肩を落とすが、結局作ってやることになった。
実のところ、チョコレートを求めてお偉い教授がたずねてくるのは今にはじまったことではない。
もはや錬金術師としての実績より、ショコラティエとしての名声のほうがはるかに上回っているのだから。
まったくどいつもこいつも……チョコレート、チョコレートだ。
たかがお菓子と侮っていたが、カカオの魅力は吸血鬼の王だけでなく、多くの人々の心をつかんでいる。
錬金術における画期的な発明と同じか、それ以上に。
アルフレッドとしては複雑な心境である。
目指していた方向とはまったく違う。しかし思いがけず評価されている。
同輩の学生にいたっては「いっそチョコレート職人に鞍替えしたら?」と本気の顔で勧めてくる始末。
錬金術の研究だって堅実にこなし相応の実績をあげているというのに、チョコレート作りの腕がそれ以上の速度でメキメキと伸びていくせいで、どうしたって『天才ショコラティエ』のほうが強くなる。
かといって手を抜くわけにはいかない。
錬金術の研究に専念するためには一刻も早く究極の甘美にいたる探究を完遂する必要がある。
かつて人狼の暗殺者たちに襲われた際、アルフレッドは窮地から逃れるためにシンと隷属契約を結んでしまった。吸血鬼との忌々しい関係を断ち切るためには、不死者であるあの男を殺すほかない。
そのために必要となるのがチョコレートだ。
絶対者の舌を満たすほどの『甘美』を生みだす。
不可能に思える挑戦を成し遂げ、必ずや憎き吸血鬼に引導を渡してやらなければならない。
まったく……やるべきことが多すぎて、気持ちばかりが急いてくる。
悶々としていたところで、テオドール教授に呼びだされる。
「おめでとうアルフレッド君。エーテルにまつわる実験レポートはテンゼルの王立研究所でも喝采をもって迎えられた。彼らも君の才覚について高い関心を抱いているようだ」
「本当ですか? チョコレートとは関係なく?」
「当たり前だ。誰も彼もがお菓子にうつつを抜かしているわけではない。エーテル結晶は蒸気機関よりもはるかに効率のよいエネルギー資源となる。いわば魔法や奇跡と呼ばれた力を人の手によって自在に扱える時代がやってくるわけだ」
しかしと、テオドール教授は続ける。
「今はまだ問題ないが、いずれはより大規模な実験が必要になるときがやってくるだろう。そうなるとさすがにこのアカデミーでは手狭になる。幸いにもテンゼルの王立研究所は、卒業後の君を受け入れる準備があるようだ」
それはつまり――。
「君がアカデミーに留学してきて一年半くらいかな。となるとちょうど折り返し、修士課程を含めても残すは二年半ってところか。進路を考えるタイミングとしては悪くない。それまでにルヴィリアの王を殺すことができるかどうかは、ともかくとして」
アルフレッドは老教授を見る。
「卒業までにといわず、在学中にケリをつけてやりますよ。いつまでもチョコレート作りなんてしちゃいられないですからね」
「志が高いのはけっこうだが、足もとが疎かになってすっ転んでしまわないように気をつけたまえ。君は途方もなく巨大な『うねり』の中にいる。多くの羨望を浴びているとなれば、それだけ嫉妬や怨恨の対象にもなりやすいということだ。私が今、夢に向かって駆けあがっていく若者を苦々しく感じているように」
テオドール教授は捨て台詞のようにそういった。
一度は殺そうとしてきた相手だからこその、説得力がある。
◇
外に出ると肌寒かった。
夏がクソ暑かった反動か、今年のルヴィリアの秋はずいぶんと冷えこんでいる。北国育ちの自分がそう感じるくらいだから、温暖な気候に慣れたルヴィリアの民はさぞかし堪えていることだろう。
シンと出会ったのは留学してきた初年度の冬だから、あと二月もすればチョコレート作りをはじめてから一年が経つということになる。
その間ずっと奔流に揉まれっぱなしの生活をしているわけだ。たまには休ませてくれよといいたくなるが、ルヴィリアの町は天才錬金術師様を放っておいてはくれないらしい。
今だってそうだ。
アカデミーを出てからずっと、背後に剣呑な気配を感じている。
尾行されている――誰に?
ゴルドック商会か? しかし固形チョコレートの輸入販売を手がけている彼らにとって、ショコラティエであるアルフレッドは格好の広告塔である。今さら闇に葬り去って得することはなにもない。
テオドール教授が個人的な理由でというならありえなくはないものの、ついさっき話したばっかりで暗殺なんて仕掛けるだろうか?
となるとやはり別の線だろう。
最近の注目されっぷりを考えると知らんところで恨みを買っている可能性は十分にある。
錬金術師としてかショコラティとしてか、はたまた吸血鬼の王シンの隷属者としてか。
できれば相手が怪異のたぐいでないことを祈るばかりだが、大抵の場合こういうときは悪いほうに話が転がっていくものだ。
アルフレッドは街路の曲がり角に差しかかると身をひるがえし、入り組んだ路地裏にすっと入りこむ。
そのまま流れるように、家と家の間にあった狭い空間に身を潜める。
足音だけを頼りに、目標を見失って通りすぎていった相手めがけて背後から発砲。
護身用の回転銃だから威力も低いし射程も短いが、純銀製の弾丸が込められている。
人間だろうとそうでなくても、頭か心臓を撃ち抜けば殺せる。
が、外した。
尾行はお世辞にも上手いとはいえなかったものの、思いのほか素早い。
すかさず胸もとのペンダントを握りしめ、エーテル結晶によるアーク放電を――。
「待て待て……待ってぇ! いきなり銃ぶっ放してくるやつがあるかぁっ!」
再び路地裏に躍りでると、キャンキャンとした悲鳴が飛んできた。
若い。というより幼い。
ボサボサした灰色の髪。ヤンチャというか野生味を感じさせる鋭い目つき。
日雇い労働者風のうす汚れたオーバーオール。
こんな生意気そうなガキんちょの知り合いはいないはずだが……キャンキャンとした犬のように高い声は前にどこかで聞いたような気もする。
「きょとんとすんな! 忘れたとはいわせねえぞ、このオレをよぉ!」
頭からぴょこんと獣の耳。それでだいたい思いだした。
前に会ったときは怪異の姿だったから、人間に化けたときの顔に見覚えがなかったのだ。
「人狼のガキ。親がシンに殺されて復讐したいとかなんとか」
「わかればよろしい。――ってなんでまた銃向けんの!?」
「尾行した目的はなんだ。スリー、ツー、ワン」
「カウントすんの早いって! チョコレート! チョコレートの話!」
「そういや渡したっけな。礼ならいらんぞ」
「じゃなくって。お前、約束したじゃん」
「なにを?」
「作りかた。教えてくれるって」
思わず首を傾げる。
すると少年は再び泣きそうな顔になった。
「まさか忘れたのか……? オレはまた、大人に騙されたのか……」
めちゃくちゃショック受けているな、こいつ。
さすがのアルフレッドもバツが悪くなってきてしまう。
マジでまったく覚えていないのだが、あのときはノリでそんな約束をしたのかもわからん。
ともあれ路地裏で銃を構えたまま立ち話というのもあれなので、馴染みのコーヒーハウスに場所を変えることにする。懲りずに親の仇を取りにきたという雰囲気ではないし、泣きやませる意味でもチョコレートドリンクくらいは奢ってやったほうがいいはずだ。
◇
「あれから色々と考えたんだ。あんたの言葉とか、親父たちのこととか。ケヴィンの兄貴からも話を聞いた。で、結局どうしたらいいかわからなくなった」
少年は「……っす」と控えめに礼をいうと、店員から差しだされたチョコレートドリンクに口をつける。
頭の耳をひっこめて、すました表情を貫いている。
だが、カカオの風味のおかげでご機嫌になっていることは間違いなさそうだ。
うす汚れた身なりを見るに、この手の高級品にはまったく縁がないだろう。
「あいつは死ぬことを望んでいて、そうするにはチョコレートを食べさせるしかなくて、だからあんたは美味しいチョコレートを作ってあいつを殺そうとしている。だとしたら復讐なんてなんの意味もねえ。憎い相手を喜ばせるだけだ」
「見事な要約だな。お親父さんたちは依頼を受けて俺を狙った。が、たまたまそこに吸血鬼の王が居合わせていて、対応をしくじったから殺された。いわば鹿狩りの最中に熊に襲われたようなもんだ。となると憎しみ自体がそこに存在しない。だとしても人狼族の面子をかけて、勝ちめのない相手に喧嘩を挑むか?」
「ケヴィンの兄貴も笑っていたよ。だからお前たちはそんなザマなんだってな」
アルフレッドは無言でコーヒーに口をつける。
顔を合わせたことはないが、隷属者の数少ない生き残りはガキんちょだろうと忖度しないようだ。
もしかしたら自分よりもずっと、この少年を対等に見ているのかもしれないが。
「チョコレートの作りかたを教わりたいって話だったよな。復讐のためじゃないってんなら、いったいなんのために俺のところにきた。尾行……っていうか声をかけるかどうか迷っていたみたいだし、考えがまとまってねえのかもしれないが、一応聞いてやるだけなら聞いてやるぞ」
「会話を先回りされているみたいで嫌な感じだな、あんた」
「経験者だからな。そういったお悩みごとの」
少年は笑った。なかなか可愛らしい表情だった。
「ケジメみたいなもんさ。あいつに舐められたままってのがいやだ。でもそうなると勝つしかなくて、そのための手段がチョコレートしかない。聖ハナーン祭のコンテストはオレも見ていた。あのときのあんたはなんつうか」
しばし間があった。
「かっこよかったよ。オレもあんなふうになりたいと思った」




