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1−2

 時はいったん四ヶ月ほど前までさかのぼる。

 アルフレッドがまだ、数多の苦難に苛まれていないころの話である。


 町の北東、古くからの貴族たちが暮らす居住区の中心。ひときわ広大な屋敷できらびやかな晩餐会が開かれていた。主賓は『マダム』の名を冠する貴婦人のひとりで、ルヴィリアにおいてその敬称は上流階級の影なる支配者を意味する。すなわち吸血鬼の王とは別の、怪異の親玉ということだ。


 もっともワインを片手に談笑している淑女たちのほとんどは、この世ならざる存在とは縁もゆかりもない普通の人間だ。セーブルの王都テンゼルから派遣されてきたばかりの若い役人は、その傍らで静かに耳を傾ける。まるでこの会場のどこかに、怪異の気配はないかと期待するように。


 貴族の男同士がルリジューズ(修道女)を取りあって決闘を行った。

 上流階級にありがちなゴシップ……かと思えば、そうではない。

 よくよく聞いてみると『ルリジューズ』とはチョコレートを使ったお菓子の名前で、ルヴィリアの人気店で考案されたばかりの新作をめぐって刃傷沙汰が起こったという話だった。


 チョコレートですからね。チョコレートですものね。

 正気の沙汰とは思えない動機を当然のように受け入れる淑女たち。


 ゴシップはなおも続く。それも、チョコレートをきっかけに起こった事件ばかりだった。

 カカオの宝石は今やルヴィリアの人々の生活に深く入りこみ、上流階級においては人気店の品を口にすることがひとつのステイタスとなっている。たった一粒のチョコレートを得るために、家財を売り払った貴族までいるという。


 私だってそうしちゃうわ。旦那に黙って。

 ショコラティエ様の作品ならね。どうやったら手に入れられるのでしょう。

 お店を持たない御方ですもの。やっぱり血を捧げるしかないのかしら。

 吸血鬼になれば、毎日チョコレートが食べられるの?


 根も葉もない噂が飛びかい、聖ハナーン祭のコンテストで優勝した『ショコラティエ』は吸血鬼の仲間ということになっていた。


 ――アルフレッド・ワーグナー。

 調書によれば、彼もまた普通の人間でしかない。

 隷属者であることを踏まえると、『今のところは』と注釈を入れるべきではあるが。


 役人は会場をざっと見まわす。表向きはテンゼルから派遣された書記のひとりだが、その正体はサングリア教団の要請で現地調査にあたっている諜報員。

 軍直属の部隊が宗教家ごときに手駒のように扱われるのは釈然としないが……法皇ジルドレたっての願いとあっては、将校たちも無碍にはできなかったのだろう。


 それに、現地に来てよくわかった。この熱狂はただごとではない。

 たかが菓子ひとつで、天地がひっくり返ったような騒ぎじゃないか。


 魔都と呼ばれるだけあって町のあちこちに怪異の気配が感じられたが、彼らも普通の住民と同じようにチョコレートを買い求めていた。本来なら人里に降りてこないエルフたちですら、尖った耳を隠してお菓子屋の列に並んでいたくらいである。今や人間も怪異も区別なく、アルフレッドなる人物が生みだした流行の渦に呑みこまれている。


 もっとも驚くべきは、狂乱の発端がルヴィリアの領主そのひとであることだ。

 悪名高き不死の王は二百年ぶりに隷属契約を結んだだけでなく、たかが人間にすぎないアルフレッドを対等の存在のように扱っている。

 美味しいチョコレートを作れる。たった、それだけの理由で。


 アルフレッドなる錬金術師は、ルヴィリアにかつてない混乱と繁栄を招いた天才レオナルドの再来なのだろうか? 

 教皇もセーブル王家もほんのちょっと前まで一介の学生にすぎなかった青年の動向を密かに注視している。彼が我々にとって脅威になるにせよ救世主になるにせよ、新たな時代の福音を告げる兆しであることだけは間違いなかった。


「ご婦人がたに声をかける勇気がないのかい。それともダンスが得意でない?」


 はっとして振り返る。

 ワインとともに置かれたチョコレートに手をつけながら、貴族の男がからかうような笑みを浮かべていた。


 獅子のように乱れた金髪。襟足だけ異様に長く、二股に分かれた尻尾のように三つ編みにして束ねている。瞳は左右で色が異なり、右が青で左は紫。

 なにより印象的なのはその美貌だ。雪のように白い肌に、精巧に作られた石像を思わせる整った顔立ち。しかし表情や仕草はわざとらしいほど溌剌としていて、まるで魂を宿した人形が軽薄な男の役を演じているようにすら見える。


 役人の男は内心の動揺を隠しつつ、相手と同じ気さくな笑みを返す。


「そんなに浮いて見えましたかね」

「チョコレートが目の前にあるのに、一粒も手をつけずにいるなんて普通はありえない。仕事熱心なのはいいことだけど、少しは場に馴染む努力をしないとボクみたいなやつに絡まれるヨ。おっと、王都の連中がまたチョロそうな若者を寄越してきたぞってネ」


 緊張に顔をこわばらせる。自分が諜報員であることなんて、この貴族風の男は声をかける前からとっくにお見通しだったのだろう。よもや晩餐会で最初に接する機会を得られたのが、ルヴィリアでも屈指の『大物』になるとは。


 ――ケヴィン。

 グリンデンの契約を受けた隷属者の成れの果て。

 王であるシンを除けば、ルヴィリアでもっとも高位の吸血鬼のひとりだ。


 晩餐会の主催者である『マダム』たちとは敵対関係にあると聞いているから、彼も情報を集めるために正体を隠して潜りこんでいるのだろう。つまり自分とそう変わりない招かれざる客というわけだ。

 ならばと開き直り、役人の男はこうたずねた。


「アルフレッドなる人物について、どうお考えですか」

「実に興味深い。たかがチョコレートとはいえ、ボクとしてもその味わいに抗いがたい魅力を感じている。あと期待もしているかナ。彼はもしかしたらこのルヴィリアに大きな『変化』をもたらしてくれるかもしれない」

「それは、どのような?」

「善いようにも、悪いようにもサ。偉大なる王は完全性を失い、見る影もなく衰えていく。神話の終わりを福音と捉えるか破滅と捉えるかは各々によって異なるだろうけど、少なくとも君たちのボスが喜ぶ結果になるのは確かなはずだ」


 だから――と、ケヴィンは続ける。


「さっさとお帰り。怖いご婦人がたに食べられてしまう前にネ」

 返事のかわりに肩をすくめる。

 ご忠告には感謝するが、今の言葉だけで調書がまとめられるのならば苦労はしない。

 今しばらくは晩餐会に潜りこみ、情報を集める必要がありそうだ。


 ◇


 しかしその数日後、王都から派遣されてきた男は姿を消した。

 諜報員だったからか。それとも単に若くて美味しそうだったからか。

 いずれにせよルヴィリアにおいて、行方不明者というのはそう珍しくはない。

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