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4.薬物乱用防止教室(2)

 天井の照明はすべて落とされ、前方のスクリーンには安っぽいビデオがぼんやりと映し出されている。私の1つ前に座っている生徒(名前はたしか関さんだ)は今しがた舟を漕ぎだした。まあ、無理もない。もし彩が隣にいなければ、私だって同じことになっていただろう。


 鹿威しを彷彿とさせる、関さんのゆっくりとした頭のスウィングを眺めながら、私は考える。


 我々生徒が、夏休みの宿題「郷土の風景(水彩画)」で海を描いてはいけない理由を考える。




 2分の間考えて、出てきた案は全部で4つあった。その案を1つ目から彩に提示する。


「水彩画で海を表現するのは、中学1年生には難しい。みんな同じ水色の絵具を使って、それで画用紙を塗りたくって提出されたら、さすがの斎藤先生も渋面を浮かべるでしょう。だから斎藤先生は海を描くことを禁じた」


 彩はこくりと頷いた。


「私も似たようなことをすぐに思いついた。


 つまり、みんなの風景画の対象があまりに1つのモチーフに偏ることで一人ひとりの水彩画にオリジナリティが生まれないこと。あるいは一見単調に見える海の色にかまけて手抜きをする生徒が出てくること。


 もっと細かく技術的なことについて言えば、人工物の描写力や構図における遠近法のとり方など、海が題材となるとどちらも技術的に見えづらくなる。


 それでは生徒は楽をし、先生は生徒の画力を判断するのに困ってしまう。


 シャロが言いたいのはそういう、いわば『海を絵の題材とすることによる成績判断上のデメリット』についてだよね?」


 所々、難しい言葉が入っていてよく呑み込めなかったが、「たぶんそういうこと」と私は返した。


「でも、それは正解ではないと思う。なぜなら斎藤先生が描くことを禁じていたのは『ただの海』じゃない。先生は『朝の海』に特にこだわっていた」


 なるほど。たしかに一理ある。


 1つ目の案の却下と同時に、2つ目の案も不正解の線が濃厚になった。


 私が思いついた2つ目の案とは、斎藤先生が生徒たちに説明した通り「海は危険だから近寄ってはいけない。延いては絵を描くことを許されない」というものだった。


 これも1つ目の案と同じ反駁であえなく轟沈する。


 2つ目の案は自ボツとし、3つ目の案を彩に伝える。


「斎藤先生って、よく験を担ぐようなことするじゃない? 贔屓のサッカーチームを応援しに行く日は、必ず相手チームのチームカラーのものは触らないようにするって言ってたし。だからもし、先生にとって朝の海が縁起の悪いものだとしたら、それを避けようとすると思うんだ」


 ある日の授業で「相手チームのカラーだから」と白いチョークを持てなくなってしまった斎藤先生のエピソードはあまりに有名だ。


「だからって授業を受け持ってる生徒全員に、『朝の海は描くな』って言うのはいくら何でも乱暴すぎるよ。斎藤先生はそういうことをする先生じゃない」


 思いつきの案だけあって、却下されるのも早い。しかしここまでの私の案がすべて却下されることは、実はある程度想定していた。次に言う4つ目の案こそが、私の本命だった。


「じゃあ最後。斎藤先生は朝の海辺に、人目に見つかってはいけないような何かを隠している。それを生徒に見られたくない先生は、朝の海から生徒を遠ざけるよう、朝の海の絵を描くことを禁じた」


 そう、例えばコンビニとかで売っている女性の裸の写真がでかでかと載った本を浜辺のどこかに隠していて、人目に付かない朝の時間に斎藤先生はそれを読んでいるのだ。そんな姿を自分の教え子には見られたくないだろう。


「なるほど、それは面白い案だね」


 彩もすぐには反論してこない。これはこの案で決定か、と思っていると


「で、具体的には何を隠していると思うの?」


 彩が訊いてきた。


 その問いに私は赤面を返した。


「さてはエッチな本とか考えてたんでしょ」


 なんでわかるのだ! 私は耳まで紅く染め、


「違うよ、お金とか金塊とかだよ」


 と我ながら意味不明なことをのたまってしまった。


 完全に彩にからかわれたことが悔しく、


「斎藤先生は朝の海辺に人に見られたくない何かを隠してる。だから私たち生徒には朝の海に近寄ってほしくなかった。そこで夏休みの宿題に『朝の海の絵を描いてはいけない』と、わざわざ注文をつけた。この説についてはなにか欠点あるかな?」


 と強がってみせた。


「んー。特に穴は見つからないけど、なんて言うか曖昧模糊としてるんだよねー」


「どういうこと?」


「もっと具体的な内容じゃないとすっきりしないってこと」


 具体的にと言われても、それ以上推し測りようがないじゃないか。頬を膨らましていると、「あとエロ本はないと思う」とさりげなく彩が付け足してきやがった。こいつめ。


「そんなこと言ったって、私はそんなに斎藤先生のとこ知らないし、これ以上詳しく想像するのは無理だよ」


「なんにも知らないのはシャロだけでしょ」


 私は頭にクエスチョンマークを浮かべる。


「その顔、もしかして斎藤先生と川口先生が付き合ってることも知らない?」


「……知ってた」


「そうだよね、斎藤先生は美術部の顧問だし、川口先生はシャロのクラスの担任の先生だもんね、シャロが知らないはずないよね」


「しーりーまーせーんー!」


 彩が声を上げて笑いそうになるのを堪えた。今は薬物乱用防止教室の講演中である。


「それ本当なの?」


 質問してから、もしこれが彩の悪いジョークだったとしたらただじゃすまないからな、と邪悪な気持ちが沸き立った。


「前々から生徒の間でも噂が流れてたよ。それで先週、真理子のお母さんが2人で手をつないで水族館に入っていくところを見たんだって」


 真理子が誰かは知らないが、2人が付き合っているというのは、どうやら本当だったようだ。


「ちなみに真理子のことは知ってるよね」


「……」


「え、まさかそれも知らないの? シャロのクラスの後藤君と最近付き合い始めたみたいだよ」


 無論、私が知らなかったのは真理子が後藤と付き合っているという事についてではない。いや、それももちろん知らなかったのだが。


 私が知らなかったのは真理子そのものについてだ。しかし、そのことについて、あえては言うまい。そろそろ本気で私の交友関係について心配されそうだ。なんだか私も自分が自分で不安になってきた。


 そこで1つ思い出した話がある。


「うちのお母さんも、この前隣駅の百貨店で偶然斎藤先生を見かけたって言ってた」


「へー、あのおっきい百貨店?」


「うん。それで、そこでの斎藤先生の様子って言うか、態度っていうか、少しおかしかったみたいなんだ。普通の人とは様子が変だったからこそ、お母さんも斎藤先生のことを見つけられたんだと思うんだけど」


「え、そんなにおかしな言動してたの? 斎藤先生」


「なんでも、おぼろげな目でふらふら歩きながら『100ミリグラムで給料の3か月分』なんてぼそぼそぼやいていたみたいだよ」


「それは、ちょっと怖いね……」


 学校一の変わり者で知られる斎藤先生に加えられた新たな変人エピソードに、彩も少し困惑しているようだった。


「それで、お母さんは声をかけずに知らない人のふりをしたみたい。で、その話をし終わった後、『もはやしごね』なんて言って話を締めくくっていたの」


「シゴ? シゴって死んだ言葉の方の死語? それとも――」


 その時、先ほどから再生されていた薬物乱用防止教室のDVDの音声が耳に入ってきた。


『このような種類の薬物は、非常に高額な値で取引されます。中毒性が非常に強いため、一度手を出してしまうと、なかなかやめることができません。さらに薬物を乱用すると、意識はおぼろげになるなどして、このように目がうつろになり、最悪の場合はオーバードーズという症状で死に至ってしまいます』


 私たちは顔を見合わせた。


 まさか、ね。

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