3.薬物乱用防止教室(1)
夏休みを目前に控えた北中では、毎年恒例だという薬物乱用防止教室が行われた。外部から講師を招いて、タバコやその他危険なドラックについてのあれこれを学び、生徒たちの浮かれた気分を引き締めるのだそうだ。
5時間目の授業が終わると、各学年、各クラスの男女ごとに分かれて、名前の順で体育館に整列することになった。
我らが1年2組の学級委員の指示に従い、クラス全員がまっすぐ並んで体育座りをして講習の開始を待つ。私たちが体育館の床に腰を下ろしてから少しして、私の並ぶ列の左隣に1年1組の面々が整列を始めた。しかし1組は他のクラスとは違い、列の右側に女子を、左側に男子を並べているようだ。したがって、私の左側に女子の列が作られる。
整列を指揮していた1組の学級委員の女子は、その役目を果たしたのちに、自らも20名弱から成る列の中間あたりに加わった。中間あたり、つまりは私のすぐ隣である。彼女はそこに、ちょこんと体育座りをすると、こちらに向かって話しかけてきた。
「お待たせ、シャロ」
そう言って彼女は前下がりのショートボブをさらさらと揺らし、愛らしいえくぼを作った。
彼女は高岡彩。私の1番の友達だ。小学6年の頃からの短い付き合いだが、彼女の存在はすでに私の心のスペースの大きな割合を占めていた。
学級委員を務める彼女は度々その特権を使用して、学年集会や全校集会の場で私の隣にやってくるのだ。
「待ってたよ」
私は屈託なくそう返した。
すると彩はわざとらしく驚いた顔を浮かべた。
「あれ? なんか今日は素直だね」
「今日は機嫌がいいのです」
私は目を閉じ、すまし顔でそう言った。
彩はしばらく思案気な顔でこっちを見つめていたが、やがて目を細めると、
「もしかして、夏休みが近いから?」
と聞いてきた。
私は似合わないすまし顔をやめて、頬を緩めた。
「あー楽しみだなー、夏休み」
「夏休みの宿題はたんまり出てるけどね」
彩がいたずらっぽい調子で水を差してくる。
「宿題はそこまで嫌じゃないな。私はそもそも勉強嫌いじゃないし」
「シャロは嫌いなのは勉強じゃなく学校だもんね。なにしろシャロは友達が少な――んん!」
私は彩の口を両手で塞いだ。いくら友達でも言っていいことと悪いことがある。
だがしかし、残念なことに彩の言うことは事実に相違ない。私は勉強が嫌いなのではなく、集団の中に身を置くことが苦手なために学校を嫌っているのだ。集団にうまくなじめないことは友達作りにおいて不利に働く。当然の帰結として私には友達が少ない。
あまりに正鵠を射たばかりに酸素の吸引を妨げられてしまった哀れな彩は、私の手の中でもごもごと文句を言っている。
思いのほかそれがこそばゆくて、私は彼女の口から手を離した。
彩は「酸欠で死ぬかと思った」と開口一番口にして、
「この罪は重いわね。そう、この罪を贖うには夏休みの宿題の読書感想文1本で勘弁してあげてもいいわ」
と右手の人差し指をぴんと立てながら、まじめくさった声でぬかしてきた。ちなみに私が彼女の口を塞いでいたのは、せいぜい5秒程である。
「水彩画なら代わりにやってあげてもいいよ」
体育館前方のステージを確認し、そろそろ講習が始まりそうな雰囲気を察した私は声のトーンを落として言った。
「いや、それ絶対バレるでしょ。斎藤先生は私たちの画力知ってるもん」
この中学校のきまりで、1年生の部活動への所属は絶対となっている。私たちはともに美術部に籍を置いていた。その美術部の顧問の斎藤先生は、1年生全クラスの美術の授業を受け持っている。つまり私たちの夏休みの宿題をチェックするのも斎藤先生なのだ。当然のことながら斎藤先生は私と彩の絵を見たことがある。私が描いた水彩画を彩の名で提出したとすれば、一目でその悪だくみは看破されるであろう。
私たちの画力や作風が似通っていれば、万が一という場合もあったかもしれない。しかしあいにく、私たちの絵は似ても似つかない。私の作風は写実に寄っているのに対し、彩はなんというか、その、型破りで前衛的な絵を描く。
彩の絵に対する周りからの評価はいまいちだ。彩の唯一の欠点として、絵心のなさを挙げる人物も少なからず存在する。だが、私は彼女の絵がとても好きだった。もちろんそれは直接彼女には伝えてはいない。そのささやかな好意は今も胸の内に大事にしまってある。
小太りで化粧の濃いおばさんのあいさつで、薬物乱用防止教室が始まった。講演の内容は、おそらく私には関係のない話だろう。また、薬物に関係のある人がいたとしても、ちょっとおばさんの話を聞いただけで薬物を辞められるかと言ったらそうではないので、結局この講演は誰にとっても無駄なのだ。
事前の情報によると、この講演は1時間にも及ぶらしい。全校生徒約900人の1時間がこれから浪費され行くのは、馬鹿々々しくもあり、むしろ贅沢でロマンがあるとも言えた。
ステージに立つおばさんの講釈を適当に聞き流すことは、体育館に足を運ぶ前からすでに私の中の決定事項となっていた。隣に彩がいなかったら、なかなかに地獄だったろう。
「そういえば」
私がぼんやりとステージの方を向いていると、だしぬけに彩が小声で話しかけてきた。
「水彩画の宿題について、斎藤先生が変なこと言ってなかった?」
そこで私は、つい先ほど受けた美術の授業での一幕を思い出した。変なことと言えば、これしかあるまい。
「海は描いちゃダメ」
特徴的なフレーズのみを切り取って呟くと、彩が目を丸くした。
「そう。やっぱり2組でも同じこと言われてたんだ」
「ということは彩の1組でも言われてたんだね。なにかそれについて理由を話したりしてなかった?」
すると彩は少し困ったように眉根をよせた。
「一応、言ってたよ」
いつになく歯切れの悪い返答だ。なにか引っかかることがあるのだろう。私は斎藤先生が「一応」説明したという内容について、彩に話してもらった。
「『なんで海はダメなんですか?』ってクラスの男子が質問したんだ。すると先生は『朝の海は危ないから』って短く答えて、その後あからさまに話題を変えたの」
それを聞いて、私は誰もが思いつくだろう所感をそのまま口にした。
「なんだか怪しいね」
「私もそう思う。朝の海がどのように危険か、具体的な説明が何もなかったし、態度も少しおかしかった」
ステージではいつの間にかおばさんのあいさつが終わっており、DVD映像を再生するための準備が行われていた。見たことのある理科の先生がそれを手伝っている。
私はしばしの間、黙ってその作業を見守った。
薬物乱用防止教室が終わるまで、あと50分以上かかるだろう。それまでの暇つぶしとして「海は描いちゃダメ」の理由について想像を膨らませてみるのも悪くない。
夏休みを目前に控え、浮かれ気分であった私は、極めて軽はずみな気持ちでこのゲームをスタートさせた。




