真名
ボォォァァァァァァァ
赤く染まる夕焼けを背に、丸い塊が震えている。
なんだこれは、鳴き声?鳴いているのか?
身体そのものに響くような、心を締め付けくるような咆哮。
「おぉ、おぉぉぉぉ!」
エルフを抱えたままのダルガの膝がガクガクと笑っている。
ダルガの身体が恐慌を起こしたか!
「落ち着け!」
パァンとダルガの背中を叩きながら気を打ち込む。
ビクンとダルガの身体が跳ね、震えが止まった。が、滝のような汗が噴き出し、荒い息を吐いている。
「早く行け」
「わ、分かった。気を付けろよ」
三人のエルフを抱えたダルガが走っていった。
ダルガですらあんな状態になったんだ。先に避難して行った奴らはもっと大変な事になってるかもなぁ。
「申し訳ないな。外の空気が余程気持ちよかったんだろう。僕も叫ぶとは思ってなかったよ」
本当に申し訳ないと思っているのか分からない表情でクグルが言う。
「待たせたね。お帰り僕の半身」
黒い塊がふるふると揺れている様に見える。
喜んでいるのか?
それに何か・・・黒い塊が少しづつ小さくなってる?
そういえば、最初に会った悪魔は鎧から吹き出していたっけか。
留まれなくなれば・・・とかなんとか。
クグルが黒い塊に近付き、手を差し伸べた。
黒い塊が形を変え、クグルの手に伸びる。
クグルの手と黒い塊が触れ合い、ズズズと気味の悪い音を立てながら、黒い塊が徐々に小さくなる。
吸ってる?吸収してる⁇
黒い塊がどんどん小さくなり、瞬く間に消えてしまった。
「ふぅ」
一息ついたクグルがこっちを振り向いた。
「お待たせしました」
待ってはないんだが・・・。
クグルの目の端から黒い霧が揺らめく様に吹き出している。
いや、目だけじゃない。口からも少し、身体からも吹き出しているのか服の端から黒い霧が漏れている。
「半身が返ってきたら帰るんじゃなかったのか?」
「ふふっ分かっているのでしょうに意地が悪いですね」
クグルが両手を振り上げ、広げる様に振り下ろす。その手から黒い霧が滑り出し、棒状の形で固まった。
「今、帰ろうという所で、これまでにない程に楽しそうな人と出会えた。これも神の思し召し、というものでしょうか」
悪魔が神を語るのか。
いや、悪魔の神が別にいるのかね?
「貴方であるならば、もうお分かりかと思いますが、楔をなくし、膨大な魔力を取り戻した僕の身体は、そう長くは持ちません」
動く度に黒い霧が吹き出し、治る気配がない。
確かに長くは持たないだろうが・・・それでも丸一日位は保つんじゃないか?
「僕が帰ってしまう前に、僕に最後に最高の思い出を下さいよ」
やだなぁ。
俺が付き合わなきゃいけない理由ってなくない?
「でなければ、僕が現界出来る限りで皆殺しにしますよ?」
うわー、悪魔っぽい事を言ってるー。嫌そうにしてるので、考えてるのバレたかな?
まぁ仕方ない。腹をくくるか。
「一つだけ聞いていいか?」
「なんです?」
「何で人型なんだ?さっきの半身みたいな姿だとすぐ消えるからか?」
「それもありますが・・・、この世界で学び培い、自分のものとして昇華させたと自負している技術を試してから、帰りたかったんですよ」
「技術?」
「はい。誰も僕を満足させるまで打ち合ってくれなかった・・・。貴方なら、満足させてくれそうな気がするんです」
「見込まれたものだねぇ」
クグルが一歩、踏み出した。
ゆらりとしたその一歩が地を踏んだと思った瞬間、目の前に迫っていた。
歩く姿そのままに右手の剣で切り上げてくる。
それを身体を捻り躱した所に、もう一方の剣が横薙ぎに来た。
これを小手に変化させた右手で真上へと弾き飛ばした。
「ふふっやっぱりだ。初手を受けてくれたのは貴方で三人目です」
剣を弾かれ体勢を崩したままの状態で、満面の笑みを浮かべるクグル。
嬉しくないなぁ。
体勢を崩ししているクグルの腹部に一発入れようかと腰を入れ、突きを撃つ、と見せかけて後ろに跳ね下がる。
次の瞬間に、ズパン、と地面が切り裂かれた。
危ない危ない。
あのまま攻撃してたら真っ二つにされてたな。
「ふふっこれも避けますか。これを避けたのは貴方が初めてです」
・・・うーん。
なんか違う。気乗りがしない。
こいつが、クグルが強いのは確かだ。
最初はホルトルの様な戦闘狂のようなものかと思ったが、こいつはなんか違う。
クグルが離れた間合いから剣を振る。
その剣先から何かが飛んでくるが、特に怖いという事もない。
立て続けに飛んでくる剣閃を下に横にと躱し続ける。
ふと気付くと、クグルの顔から笑みが消えていた。
どこか怪訝そうな面持ちだ。
「なぁクグル」
剣閃を避けながら声を掛けた。
「・・・なんですか?」
「お前のそれは剣技じゃない。それに似せた魔法だな?」
「分かりましたか?ですが僕の魔法は剣技を超える!」
クグルが左手の剣を横様に振るう。
その剣から黒い霧が噴出すように漏れ、一瞬にしてクグルを隠してしまった。
転移魔法、とでもいうのだろうか。
姿が見えなくなったクグルの気配が、一瞬にして俺の頭上に現れた。
クグルが落ちてくるタイミングに合わせて横にずれて躱し、回し蹴りに蹴飛ばした。
腹に俺の蹴りをモロに受けたクグルがもんどり打って地面を転がった。
途中、ガスッとした頭を打った音がしたが相手は悪魔だ。大丈夫だろ。
うつ伏せに倒れていたクグルがふわりと浮き上がって起きた。
頭から黒い霧が吹き出させながら、困惑の表情を浮かべていた。
「なんでか分からんって顔をしてるな」
クグルは答えない。
ただ、歩いて近づいてくる俺に対して、警戒するように両手の剣を構えている。
「お前それは剣技に似せたただの魔法なんだよ。まぁ、それはいいんだが、その技にゃ中身がないんだよ」
まだ分からないって顔をしてるな。
「まぁお前自体が魔力の塊みたいなものなんだろうから、練習せんでも思った通りの事が出来るんだろうけどな。でも、お前のはただの真似なんだよ。技の真似、動きの真似、そんで人の真似。それっぽく真似して動いてるせいで、全部が中途半端になってんだ」
トンっと軽く跳ねてクグルとの間合いを一気に詰める。
そのタイミングを合わせてクグルの頭上から剣閃に似た魔法が降ってくる。
それをさらに加速して潜り抜け、クグルの目を軽く払った。
「ひっ」
目は軽く打たれるだけで、視界を失う。目に頼っていると一瞬で視界を奪われた時、人はパニックになる。
まぁこいつは悪魔だが、その間は殴り放題だ。
がら空きの横腹に一発、鳩尾に一発、意識が腹部に降りた所で横っ面に一発入れようとして、クグルの周囲に魔力が集まるのを感じて下がった。
離れたと同時にクグルの周囲が爆発した。
ドドドドドドと小さい爆発が連続で起こり、クグルを包み隠した。
威力は小さいが、自分も巻き込んでないか?
爆発で舞い上がった土埃が晴れてクグルの姿が見えた。
服が所々破れていた。
「何故・・・ですか?」
「ん?」
「何故、僕の攻撃を悉く避けることが出来るのですか?確かに僕の技は魔法で作り上げた偽物かもしれない。けど、威力も速度も精度も申し分ないものの筈だ。何故それを・・・」
「一言で言えば・・・素直だからかな?」
「素直?」
「確かにお前の技自体は脅威だよ。けどな、技を出す前の初動、その動きだけでどこに何が来るのか、出す前から全部分かる。
手や身体の動きだけじゃないぞ?視線、意識の向いてる方向から足の位置、重心のある場所。ついでに魔力の動く気配もだ。全部がわざとらしくてら素直過ぎて、丸分かりなんだよ」
「そんな・・・そんな事が」
「最初だけ、技の本質さえ見切れちまえば、後は何も怖くない。それにお前、暇だったから色々考えて技の様なものを作っただけだろ?お前の技は外見ばっかりで中身がねぇもの」
返事はなかった。
ただ身体から漏れ出る霧をそのままに、俺を見ている。
「他の奴ならお前のフェイントになってない無駄なだけの動きにも騙されるかも分からんが、俺とやり合いたいなら人の姿はやめろ。
それこそ、さっき見た半身の方の姿になれ。アレなら顔も目もねぇから意識がどこに向いてんのか分かりづらいし、デカ過ぎて重心がどこにあるかも分からん。魔力の動きもデカ過ぎて分かり難い。それに」
「いえ、まだです」
「ん?」
「まだ僕は全部を出し切った訳じゃない」
クグルが笑みを浮かべるている。
さっきまでの軽薄な笑いではない。心底楽しそうな笑顔だ。
「貴方が僕の技を薄っぺらいと言うのなら、今ここで本物にして見せる!」
クグルが両の剣を振り上げ、地面に叩きつける様に振り下ろした。
突き刺した剣先から地面が割れ、巨大な無数の棘が俺に向かって伸びて来た。
クグルはその一本の棘の上に乗り、剣閃を飛ばしながら迫って来る。
しかも飛んでくる剣閃が剣の動きと微妙にずれている。
時間差攻撃か、色々と考えるな。
棘を躱し、剣閃を弾き、俺に向かって振り下ろされたクグルの剣を受けようとした所で、クグルの剣がグニャリと曲がった。
鞭のようにしなり、蛇の様に突き刺さってくる剣を即座に払い落とす。
もう一方の剣は俺の頭の上に放られていた。
その剣が無数の針となって降ってきた。
そしてクグル自身は払い落とされた剣から手を離し、新たな剣を二本持って下から斬り掛かってくる。
時間差の多段攻撃から、多方向の多段攻撃。
いい手だがまだ甘い。
剣が振られる前にクグルの懐に滑り込み、胸ぐらを引張って降ってくる針の盾にしながら投げ落とす。
そしてゴスッと頭から地面に落ちたクグルを容赦なく蹴り飛ばした。
まともに蹴りを喰らったクグルは、転がりながらも指を地に食い込ませ、立ち上がる。
「まだまだ!」
叫びながら二本の剣を再び構え、姿勢を低くする。
顔は土に汚れているが、心底楽しそうな笑顔を浮かべてる。
タフな奴だ。
クグルが息を整えて足に力を込め、走り出した所でベキッとした音がした。
クグルの身体がつんのめるように宙を泳ぎ倒れた。
右の足が膝下から割れ、黒い霧が激しく吹き出している。
信じられない。
そんな表情で割れた足を見つめ、クグルは短く息を吐いた。
「どうした?終わりか?」
歩いて近づく俺に、クグルは寝転んだまま見上げてきた。
「残念ながら・・・、この仮の身体には少々刺激が強過ぎた様です」
そう言うクグルの顔に亀裂が走った。
「まさかこんな・・・気持ちを残して、帰ることになるとは思わなかった・・・。もう少しだけ、もう少しだけ・・・やりたかった」
死ぬ訳でもないだろうに。
しかし、なんて言うか、ひび割れて砕け散ろうとしている姿が、昔を思い出させる。
勇者の封印した直後の、俺の状態によく似ている気がした。
「貴方にとって僕は強かったですか?」
今にも消え入りそうなか細い声だ。
全く、生きてるんだったら、また会う事もあるだろうに。
「強かったよ。つーか、お前さんは最初から強かったんだから当たり前だ。ただちょっと考え方を間違えてただけさ。
それに最後のあの連続攻撃は良かったぞ。連続、時間差に多方向同時、どれもまだ甘かったがアレは確かに技だった。まだ他にどんな技を隠してたのか・・・少しばかり肝が冷えたよ」
クグルの顔がパッと華やぎ、だがすぐに苦々しいものに変わった。
苦しそうに胸を辺りを握るその手がさらにひび割れていく。
「おい、大丈夫か?」
膝を突き、寝そべったクグルに伸ばしたその手を掴まれた。
クグルは俺の手を握り、苦しそうに口をパクパクとさせている。
この姿は心に来るなぁ。
俺もこんな感じに砕けそうになっていたかと思うと、しばらく離れなかったビリィの気持ちが少し分かった気がする。
クグルは何が意を決したのか、俺を持つ手に力を入れ、真面目な顔で引っ張ってきた。
「最後に・・・一つだけ受け入れて欲しい」
受け入れる?
「なんだ?言ってみろ」
「僕の・・・僕は、クグルティムグラファサラート・・・」
「うんうん」
覚えられる気がしないが・・・頑張るか。
「エリ・フィルニマフェルキエルクフル・・・」
「うん?」
長くね?
「ハバーフフェル・イルニ・アマートレーン」
・・・終わったかのな?
これ、名前だよな?
「分かった。ちゃんと受けとったよ」
そう言うと、ヒビだらけになったクグルがニコリと笑った。
その瞬間砕け散った。
黒い霧が暴風の様に吹き荒れてぶつかり合い、捻れてさらにぶつかり合い、一つの小さな纏まりなって消えた。
カケラも残らないのか。それはそれで少し寂しいな。
後に残ったのは耳が痛くなる様な静寂だけだった。




