第88章
88.
必ずしも、真実が人を幸せにするとは限らない。理想と現実は何時の時も乖離した物であるのだから。だが、一人真実を握ったまま墓場に持ち込もうなんて言うのならば、友としてそれは認められない。
シャーリーが飲ませようとする回復薬を拒むエゼルを見下ろしながら、せめても、それだけは言わせて貰おうと思う。シャーリーにはアルス王の、つまりはエゼルの娘として、今は知らぬ真実を知る権利がある。だがエゼルが『それは今ではない』と言うのならば、今はそれで良い。つまり、エゼルが生きてそれを背負うというなら、それで構わない。いつか、真実が語られる時もあるだろうから。
「フィレンツェさんは、なかなか酷いですね。死に行く友を、暖かく見送ろうという優しさはないのですか?これでは、同じエルフとしてシャーリーさんを託して良いか、疑問に思います」
死に掛けにしては、なかなか言うねぇ、エゼルさん?
エルフとして、か。父として、ではなく。
この人の良さそうな、とんでもない大根役者の恨めしそうな視線は、何処までが真実なのだろう?
まぁ、ここまで来たら、俺としては何があってもエゼルを死なせてやるつもりはないけどな。それにシャーリーに関しては、名乗りもしない父親からダメ出しされたくないし。既成事実だし。合法だし。ロリだけど。
あ、そこっ!
『フィルって、優しくないわよね・・・』とか、エゼルの恨み言に変に腕組んで頷かないでくれます、ソフィアさん?
そういう娘には、ちゃんと、優しくお仕置きですね。
今はソフィアのお仕置きは後にして、俺は屈みこんでシャーリーから回復薬のビンをひったくると、強引にエゼルの口に流し込む。幸い、観念したのかエゼルも吐き出したりせず、最後まで飲み干してくれた。
取りあえず、エゼルはこれで良いだろう。
後は、アリシアの方だ。
「何ぞ、アリシアもフィレンツェはんを恨んでいたみたいやけどアンタ。怪我を負っていなければ、ダークエルフなんぞに負けへなんだのにとか、何とか。かて今は、眠っていまんねん」
アリシアを抱き抱えたエレインが言う。
やっぱり・・・。
助けたのにエゼルに文句を言われ、アリシアには恨まれるとは。
まぁ、そうだよね。そう言うと思ったんだよね、アリシアってそういう娘だよね、なんとなくだけど。
エレインの為す水魔法による回復措置は終わっていて、先ほどエレインの手の平に浮かんでいた淡い白い光は既に掻き消えている。だが、まだ消えぬ背中に負った刀傷の痛みからか、アリシアの赤い髪に縁取られた顔には眠っていても、いまだその左目を覆う黒い眼帯だけでは隠す事の出来ない苦悶の表情が見て取れる。それとも痛みよりも、その心を占めるのは俺への恨みなのだろうか?
何にせよ、俺を恨んだまま死んだりしなくて良かった。願わくは、アリシアの目の覚めぬうちに撤退したいところだ。
「俺たちも『世界樹の若木』の外まで出てきてしまった訳だが、傷ついた二人を連れて今から『世界樹の城』に戻れるのだろうか?」
おそらく『世界樹の城』の主であるエゼル同等に詳しいであろう、エレインに問う。
先程、アリシアに導かれ『世界樹の若木』の根元に至った時とは、周囲を覆う闇の質感が違う。今はごく普通の木陰の涼しさと、頭上には木漏れ日が煌めく。先ほどまでの濃密な纏わりつくような闇はその身を潜め、『事象の地平線』によって分かたれたはずの外界とは、ごく普通の連続した空間で繋がっている。
「無理でっせー。アリシアによって、この『世界樹の若木』と『世界樹の城』は、とーに分かたれとるさかいっしゃろ。この『世界樹の若木』はその役目を終え、もはや普通の大木に過ぎまへん。ほら、あたしたちも地に坐していてもまーりに何の歪みもへんでっしゃろ?」
つまり、この『世界樹の若木』は、既に、この世界に何本かあるという『世界樹の若木』ではない。
二人が、死なずに済んだのは良いが。
それってつまり、いろいろとまた、背負い込んじまったってことだ。
フィレンツェは、がっくりと肩を落とした。




